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スタイリッシュなA.Marqueがもうすぐ、完成します。袖に、リボンをつけたいのですが、アイボリーにしようか、赤紫にしようかと、迷いました。今の時点で、ボネにのみ、白を使っていますのであと1か所くらいは白を持ってきたいのです。濃く暗い色調のなかでは白は明度を上げるさし色の役割を持つので、新鮮で清楚な雰囲気になるのです。そこで、リボンは赤紫を使い、靴下を白に代えることにしました。アンティークではありませんが、昔買っていたワインがかったアンバー色のブロカントを、ボディーに這わせま
こんにちは(*^_^*)3月末から4月初めにかけて連日の報道が緊迫感をいっそう強く感じるものになっているように思います。でも、いつかは収束の日が来ることでしょう。医療に携わる方々のご健闘に感謝をしたいと思います。ーー私は家に引きこもって石膏デッサンをしていました。ミロのヴィーナスの首像です。薄く背景をつけてみました。アイビーを首にかけてみました。また違う角度から描いてみたいと思います。描き方プロセスを公開します。①大まかな印影で形を捉えます。漫画のように、目や鼻
今日はショパンの没後173年日です。息をひき取ったその日に、ショパンの友人で彫刻家オーギュスト・クレサンジェによって左手と顔が型どられ、キャストが作られました。数年前にフランスの骨董店で入手した、この左手の複製を家宝として飾っています。1900年初頭のものです。ショパンの手にぴったりなコレクションケースを見つけ、ポーランド旧紙幣も、一緒に飾っています。横は、ショパンの友人フランツ・リストの手。ちなみにワルシャワのショパン博物館の売店で購入したお土産用の左手は、実寸より大きかったり小さかった
旅行記です。本日もブログにご訪問頂きありがとうございます。サウスダコタ州と言えばMountRushmoreNationalMemorialParkアメリカに来たらまず見てみたいと思う場所。私もアメリカにやってきて最初に見てみたいと思っていたのが岩山に刻まれた大統領の4つの顔でした。今回は再訪になります。アメリカ合衆国成立と成功、発展を記念するべき作られたもの。元々はサウスダコタの「歴史家ロビンソン」が”観光を促進するため”にブラックヒル
かねてより一度は訪れたいと思っていた碌山美術館。日本近代彫刻の礎を築いた荻原守衛(碌山)の作品と資料を永久に保存し、一般に公開するために、1958年に碌山が生まれた安曇野の地に開館した美術館です。碌山美術館といえば、中世の教会を思わせるこちらの建築。この建物は、長野県下の小中学生を含む29万9100余人の寄付金で建てられたのだそう。しかも、外観の煉瓦は、隣接する穂高中学校の生徒たちによって積み上げられたのだそうです。日本にはさまざまな美術館がありますが、このようにボランティアで
皆さん、こんばんは✨歌手の大江恵です。https://megumioe.com/category/biography/いつも私のブログをご覧くださいましてありがとうございます。私、大江恵が、今年2月22日〜5月22日まで、計8回具象彫刻家・松田光司さんの裸婦モデルを務めさせていただいたブロンズ像が、2018年7月4日(水)に、とうとう完成致しました!私が、彫刻の裸婦モデルに挑戦する経緯や、モデルの7日間のレポートはこちらから。https://ameblo.jp/meg
先日、ある友人から、「前はどんな作品作ってたの?」「どんなもの作ったことがあるの?」とご質問いただきました。ホームページはありますが、全てのページに辿りつけているとは限らないですよね。ということで、展覧会には出していないものをちょっとずつご紹介させていただいきます。「手水鉢」手水鉢は、もともとは神前、仏前で口をすすぎ、身を清めるための水を溜めておく器です。その後、茶の湯にも取り入れられて、露地の中に置かれるようになり、手水鉢に近づいて乗るための石と合わせてつくばいと呼ばれ
(岩手移住時代<昭和22年・65歳>の高村光太郎<1883-1956>)母をおもふ高村光太郎夜中に目をさましてかじりついたあのむつとするふところの中のお乳。「阿父(おとう)さんと阿母(おかあ)さんとどつちが好き」と夕暮の背中の上でよくきかれたあの路次口。鑿(のみ)で怪我をしたおれのうしろから切火(きりび)をうつて学校へ出してくれたあの朝。酔ひしれて帰つて来たアトリエに金釘流(かなくぎりう)のあの手紙が待つてゐた巴里(パリ)の一夜。立身出世しな
飯山仏師の仁王像が安置されたのはこの辺りか?善光寺旧仁王像善光寺の門前に建っている仁王門は大正7年(1918)に建立されたそうです。今年が100年の節目の年にあたります。善光寺は、建立以来数度の火災に見舞われた歴史があります。明治24年にも、仁王門と仁王像が火災により焼失しました。善光寺には、大正7年に仁王門の再建に至るまでの27年間、3回の御開帳は仁王門がありませんでした。善光寺は、明治45年の御開帳をめざして、仁王門と仁王像の再建の計画を立て明治40年ごろ、彫刻家であり仏
ごく最近知って驚いた事:彫刻家とばかり思っていた佐藤正明氏。実は画業のほうも精力的にこなしていらっしゃるとのこと。佐藤正明氏といえば、去年訪れた山梨県立美術館の庭で、でーんと一番いいポジションを与えられているのが氏の作品。「ザ・ビッグ・アップル45」。↓あまり頻繁に耳にする作家さんではないですが、無理もありません、NY在住なので。NYのニックネームがTheBigAppleなので、NYに住むうちに親近感をもって生まれたのがこの作品なのでは、と思っています。そもそもなぜN
“地球を彫刻した男”イサム・ノグチ。その片腕的存在として、イサム・ノグチの石の彫刻制作を、20年以上にわたって支え続けた石彫家・和泉正敏さんが、今月13日に、肺がんのため82歳で逝去されました。石彫家の和泉正敏さん死去彫刻家イサム・ノグチの制作を支える:朝日新聞デジタル彫刻家の故イサム・ノグチの石の彫刻制作を20年以上にわたって支えた石彫家で、イサム・ノグチ日本財団理事長でもある和泉正敏(いずみ・まさとし)さんが13日、肺がんのため死去した。82歳だった。葬儀は近…www.as