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読売ジャイアンツユニフォームギャラリーシリーズ#9皆さんのお陰で今月に入り人気記事ランキングにも顔を出すようになり、自分でも驚きを隠せません、『プロ野球ユニフォームギャラリー』。第9回目は世界のホームラン王である王貞治さんの誕生日ですので、それを祝して読売ジャイアンツ「第一次長嶋政権2連覇の立役者達」を取り上げます。1974年に9連覇で黄金時代が終わり、さらに長嶋茂雄監督が就任した1975年には球団史上唯一の最下位を経験することになりました。「四番・長嶋茂雄」が居ない打線を率いることの
高校野球の辞退の件で、先日放送された『プロ野球レジェン堂』を思い出しました。部員の不祥事で甲子園に行けなかった江本孟紀さんや、出場辞退を避けたい学校の思惑で、無実の罪を押しつけられてメンバーから外された張本勲さんが語る、当時の心境が生々しいです。出られなかった大会の開会式を、甲子園の観客席で見ていたという江本さん。見ている間の気持ちの移り変わりを赤裸々に語っておられます。それから、張本さんが広陵高校への進学を希望していたのに実現しなかったという話。今聞くと何とも、皮肉というか何というか
東映フライヤーズホーム用1961年〜1967年ビジター用1961年〜1967年前半、1967年後半略年表1961年《ホーム・ビジター共通》水原茂監督就任に伴い、焦げ茶とオレンジを使ったユニフォームに変更。1967年途中ビジター用のみ。水色地に金色の縁取りのユニフォームに変更。この年限り。ホーム用1960年オフ、東映球団は水原茂監督を招聘しました。当時球界きってのお洒落でダンディな水原監督が採用したのは、パッと見で読売ジャイアンツによく似ている焦げ茶とオレンジを使った白地