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馬路石邊神社(うまじいそべじんじゃ)近江国野洲郡滋賀県守山市吉身4-4-1(境内に駐車可)■延喜式神名帳馬路石邊神社の比定社■旧社格郷社■祭神建速須佐之男命[合祀]大己貴命「野洲川」下流南岸、民家が建ち並ぶ中に鎮座、鬱蒼とした樹叢に包まれた社。この樹叢は原生林であり「天王の森」と称されているようです。◎創建由緒については社伝によると、白鳳三年(674年)建速須佐之男命を奉斎、続いて朱鳥元年(686年)大己貴命を合祀したとしています。そして田中大明神として崇められていた
箕曲神社(名張市)伊賀国名張郡三重県名張市箕曲中村821(P無し、駐車は下部写真参照)■祭神応神天皇[合祀]宇迦之御魂神五男三女神建速須佐之男命大物主命火之迦具土神大山祇神天手力男命名張市街地から南の郊外、農村地帯に鎮座する社。社伝によると創建は、永禄年間(1558~1570年)に鶴岡八幡宮(未参拝)からの勧請とされています。弓矢使いの名家であった郷士、中村氏によるもので弓矢八幡神社と称されていたとか。明治に近隣五社を合祀して箕曲神社と改称したようです。その合祀社の
みなさん、こんにちは。先ほど書いた文章が消えてしまい、がっかり~。気を取り直してまた書きます。建速須佐之男命は伊邪那岐命から三貴神(天照大御神・月読命・建速須佐之男命)の一柱として生まれた、天津神です。須佐之男命は乱暴な振る舞いが多く、天照大御神が恐れ、天の岩戸に隠れたために、高天原から追放されてしまいました。しかし、地上に降りた最初の神須佐之男命は、出雲で八岐大蛇(やまたのおろち)を退治し、人々の役に立ち英雄と称されました。その時、助けた櫛名田