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廃藩置県の話をしましょう。江戸時代の「幕藩体制」というのは、地方分権システムです。日本は三百いくつの「藩」という半独立国に分かれていました。しかし、黒船が来て、諸外国が通商を求めて(要求して)きて、フェイズが変わってしまったんです。嫌がおうでも世界経済とコミットせねばならなくなった、「世界の中で競争して勝ち抜いていかなけれればならない」というふうに、モードが変わった。このためには、地方がバラバラの幕藩体制は解体して、日本を作り替えなければならない。そのために「倒幕運動」がおこりました。
2025年11月21日。西村慎太郎です。本日より浪江に向かいます。さて、前回は浪江神社に安置されている十日市記念碑を検討してみました。撰文は西齋治。西植堂という号でして漢文学者として名を馳せています。この人物はもともと藩士でして、「家中土着」として北幾世橋村に転居してきました。「家中土着」とは、明治4年(1971)の廃藩置県に際して、藩が各村々から土地を買い上げて、それを藩士に与えて自活を推進した政策。「家中土着」によって中村城下町を離れて、各村々に転居した藩士は440軒です。このうち
戦後生まれの僕には天神明治通りの県庁舎が懐かしい僕らの脳裏に刻まれている旧福岡県庁は、ネオルネサンス建築を思わせる煉瓦造りモルタル仕上げのカッコよい洋式建築の庁舎だった。旧福岡県庁(絵葉書)その旧福岡県庁舎跡地には、現在アクロスが建ち、後面は天神中央公園に整備されている。↓場所を確認しますと、次のマピオン地図の③の場所になる。現在の県庁は東公園内の④です。江戸幕府が倒れ、明治新政府は「廃藩置県」に着手します。明治4年(1871年)7月に行われたその「廃藩