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平賀源内先生について学ぶため、学童はさぬき市へ🚌香川に行ったらうどん食べるしかない問題。色々食べるものはあるのですが、うどん一択になってしまうのはなぜだろうそして今回は、うどん小が大盛りすぎて大ピンチ💦うどんが多すぎる💦平賀源内記念館行く前に津田の松原でうどん屋さんに寄ったのですが、大盛りうどんとの戦いに相当な時間を使ってしまい、時間おしまくり💦さぬき市の、平賀源内記念館に着きました🚌中は写真NGで細かく紹介できないのですが、いろんなことをやっていて全体像を掴みにくい人物です。それ
それはね、何と言っても自由研究!めんどくさがりやけんね!何していいかわからんものはやりたくな〜い!「自由」ってことは、やるのもやらんのも「自由」!?ってことで、小学校の時は一度もやりませんでした!ドヤ〜さすがに中学校の時は、社会科系と理科系のどっちかでいいから!?とかで、どうしてもやらんといけん雰囲気だったのでやりましたけどね!(⌒-⌒;)何をやったかな…1年生の時だったかな?社会科系で地元の名士!?(私は香川県の高松市出身…なので言葉も讃岐弁と広島弁のチャンポン
あと数年、早く生まれていれば。一瞬だが、そう思うことがある。1971(昭和46)年10月から1972(昭和47)年9月まで、金曜日の午後8時から放送されたテレビドラマがあった。『天下御免』時代劇である。主人公は平賀源内。演じたのは、山口崇。脚本は、早坂暁(1929〜2017)。知る人ぞ知る不朽の名作だ。私は当時小学4年生だったか、5年生だったか。一家にテレビ一台の時代。親が昭和ヒトケタといえば、チャンネルはナイターかプロレスか。もう少し早く生まれていれば、もう少しよい条件で
きょうは、台東区の北端に位置する橋場まで行ってきました!お目当ては、こちらの場所。そう、この橋場2丁目には江戸時代の発明家として有名な平賀源内さんのお墓があるんです!(台東区教育委員会掲示より)平賀源内は享保十三年(1728)、讃岐国志度浦(現香川県志度町)に生まれる(生年には諸説ある)。高松藩士白石良房の三男で名は国倫。源内は通称である。寛延二年(1749)に家督を継ぎ、祖先の姓である平賀姓を用いた。本草学・医学・儒学・絵画を学び、事業面では成功しなかったが、物