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退職金が振り込まれた。大した額では無いが、収入が止まっている間はありがたい。だが、時間が掛かった保険が無事に降りて、石綿救済がちゃんと認められて給付金が貰え、もう少し化学療法の回数を重ねて副作用を見ながら最低限でも仕事が出来る様になるまでは相変わらず毎月貯金が減る一方。そう考えると切なくなる。石綿救済の書類は先日ようやく医者が書く分が出来上がり、速達で出したが認められるまで3ヶ月は掛かると聞く。つまり早くて7月か。その月から給付されるのか、隔月で奇数月の給付だから9月か?そもそも認められな
朝、いつも通りに起きる。特に不調は無い。良く眠れた。軽いストレッチの後で朝食のシリアルに無調整豆乳をかけていただく。食後、シャワーや髭剃り、歯磨き等を済ませ昨日用意した荷物を持って車に乗る。今日は初めての化学療法の為に医大へ向かうのだ。場所は母が生前に癌で入院していた頃から、現在の僕の病気に至るまで何度も何度も行き、通い慣れているが、あえてスマホをカーナビにして道案内させた。天気はあいにくだ。ここ数日はずっとどんよりとした曇り空。気が重い僕の心境そのものだ。カーナビの道案内だと、通い
4か月前までしていた母の在宅介護、何が嫌だったってやっぱりそりゃオシモの世話がイチバンやったけど…なにかとトラブルの元になったのはお金のことだった。物取られ妄想の時期は泥棒が来るだのなんだのと私も疑われていたしボケた老婆が薄暗い部屋でうずくまってお札を並べて数えている姿はゾッとしたし毎日数えては封筒に入れて金額を書き込む母が嫌だった。見栄張って行きもしない教会に何十万も寄付する母が嫌だった。しょっちゅう「通帳を出せ」と言われて預かっていた通帳を出させられて
朝、いつもより2時間早く目が覚める。僕は介護職時代のストレスで不眠症を患い、ずっとレンドルミンを飲んでいる。寝る時は耳栓をしている。そのままでは耳の穴が痛むので、乳液をたっぷり耳栓に付けて穴を塞ぐ。コレで何とか寝ている。以前載せた様に、自室があんな状態で無ければ、Bluetoothスピーカー付きシーリングライトで快眠BGMを耳栓越しにも聴こえる音量にして、余計な外の音を取り込まない様にして寝ていた。居間と隣接した和室では流石にそれは出来ない。今は暫く仕事が出来ていないからか、精神面での不安
こんにちはつたないブログにご訪問頂きありがとうございます2019年5月に外陰がんと診断されました引き続き、告知までの記録を綴ります20年以上前から気になっていたデリケートゾーンの痒みと痛み数々の婦人科クリニックへ通っても納得できる治療法も答えも得られず…何度検査してもカンジタ菌やウィルスは検出されませんでした5年ほど前ただの湿疹ならばデリケートゾーンだけど皮膚科方が良いかも?と婦人科と皮膚科を兼ねていて院長の女医さんが一人で診てくれるクリニックを見つけ
顔半分、切り取るってどんな風になるんだろういや、でも今の妻の顔。全然普通なんですけど。手術しなくちゃいけないなんか手段あるんじゃないと次の手立てを考えている時に、妻が、驚きの一言。「手術って痛いですか?」って、気になるのそこ~?ドクター「もちろん痛いですね(^^;)顔を切り取るだけでなく、同時に形成もするので、手術時間は、10時間以上。もしかしたら、1日かかるくらい大がかりな手術です。」形成は、切り取った骨の代わりに肋骨
こんにちはつたないブログにご訪問ありがとうございますm(__)m告知までの記録の続きです20年以上前からのデリケートゾーンの痒みと痛み検査しても菌など検出されずただの湿疹だろうということで塗り薬、飲み薬で治療しても食べ物に気をつけても治らず年々酷くなって行きました。。。ある日、婦人科より皮膚科の方が良いと思い婦人科を兼ねている皮膚科へ通院そこでは何度か細胞診検査も行っていましたが結果はいつもクラス2悪性腫瘍ではありませんでしたけれど、症状はひどくなる一方で20
ようやく退院。弟に迎えに来てもらい、10時に退院出来た。もう二度とこんな医大にはお世話になりたくは無いが、早速来週23日に化学療法が始まる。本来なら、今回の入院はCVポートを埋め込み、今日16日から化学療法第一回目が始まるはずで、その様子見も兼ねて19日までの予定だった。病院側の負担の都合とやらで、今日退院し化学療法も1週間先延ばしになった。この医大は何年か前から経営側と運営側で対立が激しく、そのしわ寄せが患者に来ることがあるらしい。僕もそれに当たった。母の癌の発見が出来なかった田舎
予想通り、昨日の筋トレで筋肉痛だ。とは言え、思ったよりは軽い。朝、布団から出られない何て事は無かった。思いのほか動けたので、ストレッチと筋トレをセットで行う。豆乳とシャワーを済ませて、ドライブに行く。久しぶりに岩見沢市へ向かう。中々の遠出だが、道なりに走るだけで途中に信号の無い直線道路が続くのでなんて事は無い。混み合う道と信号、出入り口で渋滞する医大の方が、距離的に近くとも余程疲れる。長い長い直線道路を走るなら音楽は必須と言える。幾ら運転が好きでも、変わり映えのしない景色を運転するには
こんにちはつたないブログにご訪問ありがとうございますm(__)m2019年5月に外陰がんと診断されました引き続き告知されるまでの記録を綴ります今から約20年前からあったデリケートゾーンの痒み10年ほど前には患部が白くなってきてコンジローマ疑いをかけられました…(-_-;)今の主治医であるがんセンターの先生からは「コンジローマではなく、この時すでにガンだった可能性がある」「知らないで長い間大事に育てちゃったんだね」と言われています。。コンジローマ疑いか
紹介状を持って、総合病院の耳鼻科へ行った。ファイバースコープで喉や声帯をみたが特に異常はないとのこと。(3月にも他のとこで見てもらったんだから、そりゃそうだろ‥と思ったがそれは黙っていた。)「特に異常はないけど、いちおうCT撮っておこうか」と言ってくれ、仕事の都合もあり2週間後に予約を入れた。きっとまた何でもないです‥って言われるでしょと気軽に考え日常生活を送っていた私。2週間後…CT撮り、すぐに先生がその画像を見て「食道に巨大な腫瘍があります。大きさは4cm〜6cmくらいかな。」
退職金の知らせが来た。思ったより早く、今月中に振り込まれる様だ。額はまずまず。介護職員の退職金なので微々たるモノだ。だが、ありがたい。今月もかなりの額が口座から引かれるから、そろそろ貯金の底が見え始めていた。諸々の保険や救済の手続きが全部終わり、受け取るべきものが受け取れる様になれば、晴れて自分の残りの時間と本当に向き合って行ける。今までの人生とのケジメにもなる。その第一歩がようやく見えた。そんな気がした。今日は以前から行こうと思っていたドライブへ出かけた。あいにくの天気で、終始曇り時
重粒子線がん治療センターから5日間の間に、メタトロン、マイクロ温熱療法などと出会い、方向性は決まりました。「手術はしない」そう、心に決めて、医療センターの診察日。相変わらず待ち時間長い~ドクター「重粒子線がん治療センターでは、どうでした??あ、これ報告書ですね。ふむふむ。で、ご本人はどう思われています?」妻と私「妻の状態だと、重粒子線治療は予後が悪すぎるので、やらないです。」とはっきりお伝えしました。そして、見せ
ドクターと直接お話しさせてもらったとき見せてもらった画像の写メ。撮り忘れた〜ので、手書きしてみました!ガイコツだとこんな感じでした。MRI画像などではこんな画像が白黒反転してます。眼球にも腫瘍が触れてて、目がまだ見えてるのか?動かす事は可能か?を再三聞かれました眼球まで行ってると言うことは、目の下の骨は破壊されてます。もちろん頬骨も。上顎骨も。リアルに画像を見せられると、ジワジワと、本当なんだな。と感じさせられます
こんにちはつたないブログにご訪問いただきありがとうございますm(__)m20年前からのデリケートゾーンの痒みと痛み菌もウィルスも検出されず長年ただの湿疹と思っていましたが2019年4月クリニックから紹介状をもらって憧れのセンス良い病院へ…そこで細胞診検査の結果が悪性となりアッサリとガン告知されました放射線治療で治すのが主流だから毎日自宅から通える病院を探してと言われた帰り道とにかく病院を決めなくちゃ〜明日病院をいくつか回ってみよう。。告知されても実
妻を無事に見送ってから、ドクターと直接お話タイムドキドキドクター「鼻と上顎洞の壁に切れ目を入れたときに血がドバーっと出てきました。これは、血腫の古い血液なので、問題ないです。あとは、上顎洞の壁がふさがるまで2,3日かかるので、様子を見ます。出血が止まっていたら、日曜日には退院できると思いますが、止まっていなかったら、伸びてしまいます。」とのこと。なるほど。やっぱり差し歯が長年悪さをしてたんだ~おやで、腫瘍はと本題
入院2日目です昨晩は何とか眠剤飲まずに何とか眠りましたできるだけのみたくないですよね今朝は朝食後また心電図撮りに行ってその数値が問題無かったという事でいよいよ抗がん剤となりましたコーディネーターさんから始めに説明を受けた時はゲノムでお薬が見つかった事にびっくりしてたし「治験」っていうものがよく解ってなかった説明されてもどこか他人事みたいな感じ…後からガンのサークルで治験はには3段階あり1段階目は動物実験が終わったあとあんまり安全性が確保されてない段階
翌日、耳鼻科から突然の電話。「なぜ、すぐに耳鼻科にこないんですか?」と怒りの電話。こっちはなんで??と困惑。病院から二日後で良いって言われたのに~と思っていたら「医療センターで診察を受けてください。すでに予約はしていますので、次の月曜日に必ず。」と厳しめな感じで、必ず行くように。と念押し。え?どういうこと?がつづく。
正月明けから、入院に向けた検査が始まりました。血液検査尿検査はもちろん、ありとあらゆる検査をなんと2日間かけて。本当に検査だけで疲れる(-_-;)そして、最終日にMRI。そして手術日を決める。手術日は、1月12日。前日から入院して、当日に生体検査手術。手術は全身麻酔で行うみたい。こちらとしては、上顎洞(鼻)なので、全身麻酔まで必要なんだ??と驚き。そこから1週間ほど入院。と聞くと、やはり簡単な状況ではないんだな。と感じ
こんにちはつたないブログにご訪問いただきありがとうございます台風10号大変ですね宮崎に大事な同病仲間がいるのでずっと心配してました(>_<)皆さまご無事でありますように!2019年4月通院していた町のクリニックから紹介状を持って行った憧れの海辺の病院で外陰がんを告知されました告知された日にがんを告知されたこと手術ではなく放射線治療しかできない為毎日通える近所の病院を探す以上を極めて明るく家族に報告しました(^。^)ガンと聞いて無言で静かに泣いて
ゲノム解析で辛うじてでも1つお薬が見つかった私は先端医療開発課というところに廻されましたそこはその名の通り今の医療の最先端の事をやってる所だからと説明されてところがそこがわりと何と申しますかはっきり言って塩対応「腫瘍内科の先生から何て言われてきました?」っと聞かれ「お薬が1つ見つかったからこれからはこちらの先生の指示に従うように言われて来ました」「ふ〜ん…」みたいな「4つガンの遺伝子が見つかってその内の一つにお薬が見つかるってどの程度効果がある
悪性腹膜中皮腫と診断されました。希少ガンと呼ばれるもので、5年生存率が10%未満だそうです。診断されたのは今月28日。抗がん剤治療第一回目は来月11日。診断と症状について医者に聞き、自分でも調べたりしてかなり気落ちしてしまい3日経った今日、ブログを開設して日記の様なものを付けていこうかなと思い当たりました。北海道在住の33歳男性。ご年配の方やアスベストを吸い込んだ事でなる病気と言われていますが、考え得る限りアスベストとは無縁の生活・仕事だったので何故発症したかは不明。今は思い付きで
普段、まったく変わりない生活をしながら、やっと10日が経ちましたいよいよ、九州国際重粒子線がん治療センターへとってもキレイで、心落ち着く空間になっている病院で、待っている間も、ちょっとしたこじゃれたカフェに来た雰囲気です予約していたので、診察もスムーズ。いよいよ、先生との診察が始まりました。ドクター「遠いところ、よく来ましたね~あ、〇〇(地域名)からも今、治療に来られている方居ますよ~何時間くらいかかりました~あ、〇〇の名産は美味しい
車での帰り道。妻は「手術しなくちゃいけないのかな~」と同じ質問を繰り返してくる。私は、「そうだね~でも手術しか方法が無いって言われても、別の方法を試したりしてからでも遅くないんじゃないかな」と返す。妻は「でも早くした方がいいんでしょ・・・」これを何回か繰り返して、答えは出ず。でも、二人の共通の認識は「なんかほかの方法、あるでしょ絶対にあるでしょというか、探すでしょ」という、根拠のない自信でも、ほんとに大丈夫
手術直後のこと思い出しながらの記録です2021年11月29日に1.2キロの脂肪肉腫を摘出お腹のキズはトの字の形に胸の真ん中からおへその下まで縦に25センチくらいそしておへその少し上くらいのところから横に9センチくらい手術直後に麻酔から目覚めたあとICUに移動どれくらい時間が経ったかわかりませんが「リボンさん、すいません」と女性の声目を瞑ったままで回りがどんな状況か全くわからないのですが返事はできる状態です「実はICUがいっぱいで、リボンさんが1番いい状態なので別の部屋
つたないブログにご訪問してくださりありがとうございますm(__)m前回の続きになります☆友人が亡くなってしまったことを書いております。心が不安になってしまう方は読まないでくださいね。。申し訳ありませんうさみみさんが他界してしまったと聞いてとてもとても悲しいけれど実感が湧かず…まだ何処かにいるはず!という気持ちの方が強かったですでも時々ふとした時にあ…もういないんだ。。と急に涙が溢れることもあれば…いやいや!そんなことない!だってこの前あ
3時間、病院で待ってましたコロナの影響で、病室で待つこともできず、待合もバタバタしているので。ということで、妻の病棟の食堂が待合室になっていました広い食堂に一人3時間はさすがに暇だろ~って思って、少し仕事が出来るように書類などももってきてたのですが、一切手につかず大きな窓から見える青い空を眺めてました3時間たったころ、看護師さんが呼びに来てくれて、最初にお別れしたエレベーターホールでご対面。行くときは、自分の足で入っていきまし
売れる物が無いかコレクションを整理する。幾つかそれらしい物が出て来た。だが、今日は売らないでおく。売りに行くのもドライブの一環だ。それまで取っておく。メルカリをチェックする。本日の売り上げは特に無いが、今日は買う物を物色する。気が早いが、再来月に弟の誕生日が来る。メルカリで現金化していないポイントが溜まっているので、何か買ってやりたい。色々見て周り、予算内で収まりそうな物を二つ見つけた。だがコレもすぐに買わない。希望価格を設定する。出品者の販売希望額に対して、値下げを要求するシステム
母の在宅介護で外出もままならなくなったがデイサービス利用を始めたら母がいない時間帯ができて少し自分の時間が持てるようになった。月イチでショートステイ利用を始めたら旦那と旅行に行けるようになった。1泊しかしてくれない母で10時過ぎから翌日4時までのバタバタ旅行しかできなかったけど月に1度のプチ旅行がすごく楽しみで子供が巣立ったあとの私達夫婦の大事な時間だった。なかなか母を手放すきっかけがなくてグズグズと在宅介護を続けストレスマックスだった私達夫婦。旦那が癌になった
さて、治療開始ですが、その前に。前回かな?前々回から、結構絵文字を使うようになりました。ちょっとふざけた顔文字とか使いますが…記事を書いていると、その時の情景が浮かんで、なかなか辛いんです。なので、ちょっとふざけてみました。絵文字を使っているときは、凹んでるんだなぁと思ってくださいw重粒子線治療は、40回にわけて毎日実施します。なので、前回までのような日付でどうのとかではなく、まとめて書きたいと思います。では、続きです。2020年5月