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今回はこういうお題でいきます。オカルト論になります。さて、祝詞とは何か?Wikiで見ると「神道の祭祀において神に対して唱える言葉で、文体・措辞・書式などに固有の特徴を持つ」と出てきます。まあ、そのまんまです。ただ、これだと特徴がいまいちはっきりしないので、仏教のお経と比較してみましょう。仏教のお経(経典)は、一言でいえば仏の教えであり、絶対的な真理です。ちなみに、お釈迦様の教えを書いたものを原始仏典、その他の諸仏の教えが説かれているのを大乗仏典と言います。有名な「般若心経」
今年も、伴小PTA新聞『とも』を頂きました。昨今の個人情報保護の観点から、保護者以外への『とも』の配布は今回が最後となるとのことで、大切に拝見いたしました。開くと、今年の卒業生の皆様の、似顔絵と御名前と、「将来の夢」が見開きに掲載されています。巫女舞に出て下さったお嬢ちゃま方や、御近所そのほかで御名前のわかる方々、皆様早くも小学校を卒業され、中学生になられるのかと、月日の経つのは早いものと、毎年のことながら感慨深く思いました。在学中にコロナ禍を経験し、学校行事や集団活動が
巫女さんが頭に着けている、花かんざしの、後ろ側の、髪飾りとしてございます、この、熨斗(のし)を作っているわけですが、9月9日に齋行されます、高倉彦神社様の式年1150年祭に、巫女舞を奉仕するべく、日々練習しております、当珠洲支部神職のご令嬢様方が着ける用で、ちょっと数が足りなかったんですよね~・・・今朝は、朝から緊急エリアメールが鳴っておりましたが、依頼されておりました、能登町のお宮さんの秋祭りに齋主代理で赴き、ま~、ヒドイ雨でしたけどね、祭典は無事ご奉仕いたし、
私の祖母はとても信心深い人で、子供の頃は私も一緒に仏壇と神棚に手を合わせていました。小さい頃は神仏習合なんて知らなかったからそれが自然なことだったけど、もう少し大きくなるとキリスト教徒とか「宗教」という概念が芽生えてきたのでどちらにも手を合わせている祖母を見ていいのかな?と子供ながらに思っていたものです。子供の頃にはよく「神様と仏様はいつもみていらっしゃる」と言われました。誰が見てなくても、いつもご神仏様は見ていらっしゃるからそう思って日々過ごしなさいって。
占いって当たるも八卦当たらぬも八卦って感じで楽しめるなら悪いものではないと思うんです。でもたいていの人はどうしたらいいかわからずにものすごく悩んで、真剣に、最終手段的な勢いで「占い」に答えを求めますよね。私もそのうちの一人でした。はじめて占い師に頼ったのは結婚するか自分の夢を選ぶかで迷った若い頃。この時、当時「絶対当たる」と評判だった占い師の方、4人に占っていただきました。で、そのうち3人には別れるから結婚はないと言われたんです。もう一人は別れ
[巫女舞]明治以降、近代化という名の元に、日本文化の真髄の一部は換骨奪胎されてしまいました。それは良かった面とそうではない部分があります。「巫女舞」もその一つで、明治以降、本来の巫女舞には禁止令が出されました。現在、神社の拝殿などで見ることのできる「浦安の舞」※などは舞踊の一種と言っても過言ではありません。かつて巫女舞は、憑依などの危険性を伴うものも含まれており、多分にサイキックの要素を含んでいました。いわゆる神がかりというだけではなく、奥義の中には舞っている本人が覚醒し、エネルギー