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欽明天皇の時代、百済から仏教が伝来。蘇我氏は受け入れ、物部氏は反対。疫病をきっかけに仏像は捨てられ寺も焼かれる。さらに宮殿まで火災に。仏教をめぐる対立は、やがて蘇我馬子と物部守屋の激突へ!くるくる🌀:「宮殿まで全焼しちゃって大パニックじゃない!欽明天皇のあとは、そのバトンを受け取った子供たちの世代になるの?」海亀🐢:「はい。欽明天皇の次に即位した敏達(びだつ)天皇の時代になり、バトルは息子の代――蘇我馬子(うまこ)と物部守屋(もりや)へと引き継がれます。これがさらに過激化していくんです
歴史系図トリビアこれは楽しい!おもしろい!そう感じるような歴史上の人物の系図を紹介していきます歴史上の人物の系図を追っていく歴史系図トリビアです。はい(´Д`)。本日は崇峻天皇の系図を見ていきたいと思います。崇峻天皇は諱を泊瀬部皇子と言います。用明天皇崩御後に丁未の乱が起こると、蘇我馬子側に参戦して物部守屋討滅に協力し、馬子らによって擁立されて即位しました。しかしその後、馬子と対立し、馬子配下の東漢直駒によって暗殺されて崩御しました。崇峻天皇は日本史上、臣下によって暗殺され