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大学助教授教え子殺害・一家心中事件1973(昭和48)年殺害された教え子の関京子さん1973(昭和48)年9月6日、伊豆半島石廊崎(いろうざき)の奥石廊の海岸で、大人の男女2人の溺死体が発見され、その後さらに幼い子ども2人の遺体も見つかった。石廊崎の断崖の一つ伊豆半島の南端・石廊崎4人は、立教大学助教授・大場啓仁(ひろよし、38歳、以下肩書・年齢はすべて当時のもの)と妻の順子(33歳)、娘の充(6歳)と晶(4歳)で、近くの崖の上に「大変迷惑をかけて申し訳な
「悪女」福田和子の生涯(前編)今回は、松山ホステス殺害事件の犯人である福田和子を取り上げます。逮捕後の福田和子福田和子がおかした犯罪は強盗殺人ですが、そのこと自体よりもむしろ、警察に指名手配されてから、整形手術で顔を変えて15年近くも逃亡生活を送り、公訴時効のわずか21日前にようやく逮捕されたことで、犯罪史に名を残すようになりました。福田の「逃亡劇」については、特に時効が迫るにつれて新聞やテレビで大きく取り上げられ、また逮捕につながる情報提供者には懸賞金を出すと警察が
昭和の出会い系ツール「ペンフレンド」と文通スマホやSNSがなかった昭和の時代に、見知らぬ人との新たな出会いと交流を求めて、手紙でやり取り(文通)する「ペンフレンド」が若者の間で人気でした。定期的に手紙を交換する人のことを「ペンパル」とも言い、少年少女を含めて若者が読む雑誌にはペンフレンド/ペンパルを募集するページ(掲示板や投稿欄)が必ずのようにあったそうです。また、英語の勉強を兼ねてアメリカやオーストラリアなど英語圏のペンフレンドと国際文通をしたい人のために、海外のペンパ
昭和に起きた教師・指導者による暴力事件④戸塚ヨットスクール事件③―何が起きていたのか戸塚ヨットスクールで訓練生たちは、戸塚宏やコーチからどういう「訓練」をされていたのだろうか。。。1982(昭和57)年、雑誌『FOCUS』4月16日号が「先生、死にたくないんです!戸塚ヨットスクール〝しごき〟の現場」という記事を掲載している。この年には、先のブログで書いたように、戸塚ヨットスクールの2人の高校生が夏合宿帰りのフェリーから太平洋に飛び込んで行方不明になり(後に死亡と認定)、また年の瀬には
1986年岐阜高校教師教え子殺人事件②テーマ:当時の週刊誌を振り返って~新しく書き直しました↓『1986年岐阜教え子殺人事件【改訂版】』岐阜・教え子殺人事件1986(昭和61)年前編※以前に書いたブログを2回に再編集した改訂版です🤗【事件の概要】1986(昭和61)年10月14日の深夜…ameblo.jp『(続)1986年岐阜教え子殺人事件【改訂版】』岐阜・教え子殺人事件1986(昭和61)年後編前編と後編に分けて書きました!前編はこちらで
昭和に起きた教師・指導者による暴力事件⑪風の子学園事件②―坂井幸夫という人物と事件にいたる経緯2人の子どもを凄惨な体罰で殺した園長の坂井幸夫とはどういった人物なのか。前回あげた毎日新聞姫路支局『追いつめられた子どもたち』や広島地方裁判所の判決文(1991、https://daihanrei.com/l/広島地方裁判所福山支部%20平成3年(わ)155号%20判決)などをもとに、坂井の人物像と事件にいたる経緯を探ってみた。坂井幸夫は、1924(大正13)年に韓国で
昭和に起きた教師たちの性非行以前このブログでは、1986年に起きた「岐阜高校教師教え子殺人事件」を取り上げました。久世繁仁という岐阜県の高校の美術教師が、教え子を愛人にしてソープランドで働かせ、貯金をしてやるとだましてお金を預かりながら私的に流用、それがバレてお金を返すか結婚するかと迫られるや殺害し、別の教え子の愛人に手伝わせて遺体を焼却したというとんでもない事件です。『1986年岐阜高校教師教え子殺人事件【改訂版】』岐阜・教え子殺人事件1986(昭和61)年前編
岐阜・教え子殺人事件1986(昭和61)年後編前編と後編に分けて書きました!前編はこちらです↓↓↓『1986年岐阜教え子殺人事件【改訂版】』岐阜・教え子殺人事件1986(昭和61)年前編※以前に書いたブログを2回に再編集した改訂版です🤗【事件の概要】1986(昭和61)年10月14日の深夜…ameblo.jp【校内暴力と荒れる学校】この事件は、もちろん久世繁仁という身勝手な人間が引き起こしたものであり、彼の欲望の犠牲となった鷲見敬子さんの無念を想えばその罪の重
厚木市幼児餓死白骨化事件ネグレクト2014(平成26)年朝日新聞(2014年5月31日)写真は亡くなった齋藤理玖くん2014(平成26)年5月30日、厚木市のアパートの一室で齋藤理玖くんの白骨化した遺体が発見されました。理玖くんが亡くなったのは2007年1月、5歳7ヶ月くらいの時と推定されましたので、発見されたのはそれから7年以上も経ってからのことです。奇しくもこの日は、理玖くんが生きていたら13歳の誕生日だったそうです。警察は父親の齋藤幸裕(当時36歳)を、保護責任者遺棄致
昭和に起きた教師・指導者による暴力事件⑩【風の子学園事件①―事件の概要】ブログの⑥で戸塚ヨットスクールに類似した事件として紹介した「風の子学園事件」について、これからもう少し深く考えていきたい。この事件は1991(平成3)年に起きているので「昭和に起きた……」というタイトルから外れるが、その前身は1983(昭和58)年に開設されており、戸塚宏ともつながりがあるので、同質の暴力事件として取り上げることができる。なお、この事件については毎日新聞姫路支局が精力的に取材してまとめた
開成高校生殺害事件1977(昭和52)年YouTubeできました⬇️朝日新聞(1977年10月31日夕刊)事件の裁判の内容はこちらの本を参照しています↓1977(昭和52)年10月31日、佐藤忠良(当時46歳)が妻の成子さん(同44歳)と一緒に、10月30日未明にひとり息子の健一君を自宅で首を絞めて殺したと赤羽署に自首してきました。警察が自宅を捜索したところ、2階6畳間の押入れの布団の上で、長男で開成高校2年の健一君(同16歳)の遺体を発見したため、父親の忠良を殺人容
岐阜・高校教師教え子殺人事件新しく書き直しました↓『1986年岐阜教え子殺人事件【改訂版】』岐阜・教え子殺人事件1986(昭和61)年前編※以前に書いたブログを2回に再編集した改訂版です🤗【事件の概要】1986(昭和61)年10月14日の深夜…ameblo.jp『(続)1986年岐阜教え子殺人事件【改訂版】』岐阜・教え子殺人事件1986(昭和61)年後編前編と後編に分けて書きました!前編はこちらです↓↓↓『1986年岐阜教え子殺人事件【改訂版
名古屋アベック殺人事件1988(昭和63)年読売新聞(1989年2月27日夕刊)1988年2月、名古屋市で戦後日本の犯罪史上稀に見る残虐非道な事件が発生しました。世に言う「名古屋アベック殺人事件」です。さらにこの年の11月には東京都足立区で、この事件に勝るとも劣らぬ残虐な「女子高生コンクリート詰め殺人事件」が起き、どちらも名古屋の一人を除き未成年者による犯行だったことから、社会に大変な衝撃を与えるとともに、少年法改正の議論にも大きな影響を与えました。【事件の概要
昭和に起きた教師・指導者による暴力事件㉑岐阜県立中津商業高校体罰自殺事件④試合で力投する竹内恵美さん【裁判】(その2:体罰と自殺の因果関係、そして責任について)前回のブログにあるように、竹内恵美さんに対する山内浩の違法な体罰について、裁判所はかなりの範囲で訴えの事実を認め厳しく断罪している。しかし、肝心の体罰と自殺との因果関係の問題に入ると、判決文は一転して歯切れが悪くなった印象が強い。原告(恵美さんの両親)は、恵美さんの自殺による死亡が山内の違法行為(体罰)に起因し、
母親による実娘保険金殺人事件1977(昭和52)年朝日新聞(1977年10月31日)先にこのブログでは、名古屋市で実の父親が保険金欲しさに「便利屋」に娘を殺させた「1986年名古屋実娘保険金殺人事件」を取り上げました。↓↓↓『1986年名古屋実娘保険金殺人事件』名古屋実娘保険金殺人事件1986(昭和61)年朝日新聞(1987年1月14日)1986(昭和61)年6月24日の午後11時前、名古屋市千種区内山3丁目の路…ameblo.jp実はその事件から9年前の
昭和・平成・令和と繰り返されるえい児殺害・遺棄事件北海道えい児連続殺害1971(昭和46)年〜1981(昭和56)年朝日新聞北海道本社版(1986年7月22日)1986(昭和61)年7月21日、北海道富良野市のホステス伊藤三枝子(当時41歳)の自宅を前日訪れた知人から、「変なにおいがした」と警察に通報があり調べたところ、納戸の中からミイラ化した9人のえい児(嬰児:生まれたばかりの赤ん坊)の遺体が見つかったため、伊藤を殺人容疑で逮捕しました。伊藤三枝子遺体は、
東大阪クラクション殺人事件1977(昭和52)年車のクラクションが原因のトラブルは、いつの時代も問題となることが多いものです。本来は、交通安全を目的に用いられるはずのクラクションが、どうしてトラブルのもとになるのでしょうか今回は有名な東大阪クラクション殺人事件を中心に、昭和に起きた他の2つ事件を取り上げようと思います。【東大阪クラクション殺人事件】朝日新聞(1977年8月28日)1977(昭和52)年8月27日の夕方5時ごろ、事件のあった大阪府東大阪市内の市道は、幹線道
昭和に流行した悲劇を呼ぶシンナー遊び『FOCUS』(1983年9月2日号)この写真は、昭和58年9月に雑誌『FOCUS』が「終電車のシンナー遊びー少女たちの危険な“夏休み”」と題して掲載したものです。記事によると、京浜東北線磯子行きの終電車に乗り合わせてこの場面に遭遇した出張帰りの会社員が、たまたま持っていたカメラで撮影した写真だそうです。最初は、15〜16歳と思われる3人の少女が、1本の缶ジュースを仲良く回し飲みしているように見えたそうですが、どうも様子がおかしい。