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嵯峨野にある常寂光寺です。小倉山常寂光寺という日蓮宗の寺。安土桃山時代の慶長元年(1596年)、大堰川の開拓を行い嵯峨野に邸宅を所有していた豪商・角倉了以が本圀寺16世・日偵に寺領の寄進を行い、創建されました。小倉山中腹に位置、境内は藤原定家が「小倉百人一首」を撰んだと伝わわる小倉山の山荘・時雨亭跡地ともされています。仁王門。南北朝時代に本圀寺南門として建造されたものを、元和2年(1616年)この地に移築したもの。安置されている仁王像は、若狭国・長源寺から移されました。
ひょんなことから、一日一首和歌を紹介することになりました。でもとっても勉強になります。そして、「知る」ってとても面白いです。好きだからこそ続けられる、続けていきたいなと思います。今のところ、一首紹介するのにかかる時間は1時間です。なるべく手際よくできるように頑張ります日頃から、本を読むことを心がけているのですが、和歌を紹介することが決まった翌日に、たまたま読んだ本が和歌を趣味としている方の本でした。本の内容にちょこちょこと和歌が出てくるので、笑ってしまい
裏神道「陰陽道」その36<最終回>◆「武内宿禰」と「継体天皇」の謎籠神社の故・海部光彦宮司は、日本神話における神の「多次元同時存在の法則」を明らかにした。神は時空を越え、名前も変え、性別すら変えると。「神」の名のつく天皇は全て同一人物であり、皇后で唯一「神」の名をもつ「神功皇后」も同一人物。神武、崇神、応神は同じ人物で、騎馬民族だったイスラエル10支族の大王、ユダヤ人ユダヤ教徒だった。武力を表す「神武」は初の天皇であり大和を平定した天皇である。崇神天皇は『日本書紀』での
こんにちは、ゆらのとですいつも読んで下さって、いいねやフォロー、コメントなど本当にありがとうございますここまで再発治療の終了まで書き綴ってきましたが、だいぶ長くなってきてしまい、最初の方は皆さんお忘れだろうと思いますので(そもそも最初から読んでねーよとか)、ここまでの経緯をまとめてみました2015年5~6月不正出血があり子宮頸がん検診を受ける→案の定クロ、組織診を経て「高度異形成」の診断→総合病院に転院7月円錐切除術を受ける→病理検査で「浸潤がん」と判明。その後の検査で転移はな
小倉百人一首競技かるたでは、競技者それぞれが札の「定位置」を決めているかと思います。わたしの定位置は、もちろん自分が取りやすく相手から取られにくい配置をベースとしていますが、その上で、歌を詠んだ作者同士の繫がりを考慮していました。この札の作者とこの札の作者は仲が良いとか、逆に仲が悪いとか…そうすることで札同士がケンカをしなかったり、喜んだりしている気がして、かるたの試合においても、札と自分が仲間となって一緒に戦っているような気分になったのです。作者たちがどのような時代
私は中学高校と都内の中高一貫の女子校に通っていたのですが…中学の冬休みに毎年ユニークな国語の宿題が出されていました。それは…「小倉百人一首の暗記」です。母が近所に住む私の小学校時代の友人(彼女は公立に進学した)のお母さんにあった時に「◎◎(私の学校)では、今、どんなことをやってるの?」と聞かれたそうで、母が「百人一首の暗記が冬休みの宿題で出て悪戦苦闘してるよー」と答えたら、「へー!宿題でそんなことをさせるの」と驚いていたそうです。通学していた本人(私)も母も「え!?覚え
ひと月ほど前、Twitterでの雑談で「熟女だけのかるた大会があったらいいのに」という話題になった。そしてひょんなことから、それを実現することになった💦その経緯や想いは、また近く改めて語るとして「もし熟女大会があったら、和装限定だよね💖」と中身よりも、カタチから入るのがオトナの悪い癖(爆)競技かるたを始めた女子なら一度は憧れる「袴姿」その夢は年齢を超越する。その後、熟女大会は「昭和レディース杯」と命名。“レディース”というワードが、昭和のイケナイ女子集団を思わせるとご心配
大河ドラマ「光る君へ」第17話は藤原道隆の最期でした。道隆と貴子、ふたりが出会った頃のことを語り合う姿は胸に迫るものがありました。貴子の和歌は儀同三司母(藤原伊周の母)として、小倉百人一首に収められています。「忘れじの行末まではかたければ今日をかぎりの命ともがな」数十年ぶりに箱をあけました。他にも、「光る君へ」のいろんな登場人物の和歌があります。ずっとしまったままだったけれど、これは良い機会。学び直しましょう。和歌の解釈も、子どもの頃に知ったものとは格段
l冷たい風が吹き、見事に咲き誇る椿の花を次々に落としてゆく。自然の摂理とは言え酷たらしくも思えてくる。地上に落ちた花は、自分の終わりに気付いていないかの様に、箒を持つ私に満面の笑みを見せる。さっきまで木の枝で戯れていたのだと思うと、一層哀れを誘う。この光景に、ふと思い当たるもう一つの光景が浮かんできた。「花誘う嵐の庭の雪ならでふり行くものは我が身なりけり」小倉百人一首中の歌で入道前太政大臣の桜を読んだ歌である。古き時代の人も、Aiの時代の今の人間も、機微の感情
鈴ヶ森かるた会です!毎月最終日曜日に、北品川の本照寺さんの本堂をお借りして百人一首かるたの初心者練習会を月に1回、開催しています新年度4月は、4月28日(日)14〜15時半に開催します!奮ってご参加ください💖———————-集合13:45〜練習時間14:00-15:30(およそ2試合程度)参加費無料(本照寺さんのご好意で無料開催が実現✨)服装動きやすい服装でお願いします(正座などで畳の上で座って練習します)———————-年齢、性別、経験は問いませんまった
詠い込まれた小川は?御物忌川と御手洗川が合流する「ならの小川」である。『風そよぐならの小川の夕暮れはみそぎぞ夏のしるしなりける』後堀河天皇中宮・竴子(シュンシ)の屏風の歌として詠進された。
今回は国道走ってるとこで目につくとこのことです国道9号線を走っていると、国道沿いにこんな看板を見ます小倉百人一首やかりの地京都方面からこちらは福知山方面からこの辺りは看板に書いてある、百人一首でご存じの大江山いく野の道の遠ければまだ文も見ず天のはし立小式部内侍が書いたまさに生野の里になります実は幾度となく記事にしています→生野の里『福知山散策その2京街道周辺を探索!?する2(生野里)(かごの木・むくの木)』福知山散策の続きです梅田神社を後にして、国道9号線に戻
百人一首で遊んだことある?中学生の頃意味も分からず、カルタ遊び感覚でやりました小倉百人一首の句、幾つか覚えていますよ今は全国大会とか華やかですね~(ネットからのお借りもの)京都嵐山の静かなところで和服姿で遊べたらステキですね!紅葉の頃なら最高ですが・・今年も紅葉シーズンの京都に行きたいです・・▼本日限定!ブログスタンプあなたもスタンプをGETしよう
『2024.1.23チノポス書道史③「趣味が功を奏して…」』前回のブログでも記載した通り三筆「嵯峨天皇、空海、橘逸勢」に関する先生のお話をチノポス・書道史に沿って御衣黄の覚書から、記します。*詳細が気になった方は著書…ameblo.jp前回のブログで小野篁が、流罪に処された(隠岐に流された)事に触れました...その時、詠んだ歌と小野篁に関して先生が語られていましたので御衣黄なりに、まとめてみます。参照チャンネルむっちゃん百人一首篇【11番】「百人一首」
7.いきなり将軍将軍就任という大事を「僕も春から老中になるから、君は将軍、よろしくね♡」とかるーく歌にした曲。なんでやねん、と。「ちょっと待って心の準備がまだ♪」と言いつつも「この先よろしく幕府ふゥウゥゥゥゥ♪」と歌い上げ「フユ、フフツフフユー♪、フユ、フフツフフユー♪」と口笛吹いて終わるこのお気楽モードが良い。【歴史解説】「将軍」とは一般的には軍隊の指揮官のことだが、日本史的には蝦夷(東方)を征伐する官職「征夷大将軍」。中世以降、武家の棟梁がその官職を担い、源頼朝の鎌倉時代
ご訪問ありがとうございます東京世田谷区田園都市線桜新町日常がちょっと豊かになるお花ハンドメイド教室CasaLibreカサリブレを主宰します吉沢か津子です今日の未明、ふたご座新月だったようですねしっかり願い事、書きました📝叶ったテイで、ね✨【コレなんていう花?③】「テイカカズラ定家葛」道沿いの生け垣に絡まるようにして咲いていましたジャスミンのようなイイ香り♡なんだけど、実はキョウチクトウの仲間なので毒があるそうで
たんたん評論「狂歌(落首)の作り方」前回2013(平成25)年4月12日付けたんたん評論「狂歌(落首)と本歌取り(オマージュ)とパロディの違い」において、ブログ主が制作した本歌取りおよびパロディを紹介し、それぞれの違いを説明し、そして、パロディの作り方についてもちょっぴり解説した。短歌におけるパロディとは簡単に言えば、下敷きにした元歌がわかるように、その歌で詠われたポイントとなるような言葉をそのまま活かして、ユーモアとウィットを交えた内容を詠ったものである。そこで
【40】しのぶれど色に出でにけりわが恋はものや思ふと人の問ふまで平兼盛マンガ“ちはやふる”で主人公・千早(ちはや)のよきライバル若宮詩暢(しのぶ)が特に思い入れを持っている札【しのぶれど】自分の名前の音が入っている札は思い入れが強くなりますね。自分の名前の音は聞き慣れているので札を取るとき早く反応できるというメリットもあります。この歌は村上天皇が開いた歌合(うたあわせ)で「忍ぶ恋」というお題で詠まれました。歌合とは歌人を左
品川の街で小さく活動する鈴ヶ森かるた会(全日本かるた協会に未登録の自主活動団体)のブログをご覧になってくださり、ありがとうございます2024年度は、2024.3月まで開いていた毎週金曜日の夜の練習はお休みすることになりましたその時のメンバーが、近隣で夜の自主練習を新たに作り、行っているようですご興味ある方は、Twitterなどで検索してください♪2024年度は、「お寺」での初心者かるた体験会を中心に活動していきます今年は以下の日程で検討しています(2024.4.22.時点での予
たんたん評論「返歌の作り方」2014年4月13日(日)早朝にNHKEテレで放送された「NHK短歌」の選者は斉藤斎藤(1972-)であり、ゲストは津田大介(1973-)であった。それぞれの活躍するフィールドにおいて、些か特異な存在感を漂わせている同世代の二人が、当日の番組において話した内容は凡そ次のようなものであった。「短歌はメディア(=記録)である。例えば、小倉百人一首は当時の暮らしを短い言葉で記録し、後世に伝える役割を果たした。そして、短歌をツイッターに擬えれば、現代の様相