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最近よく思い出してどうしても忘れることが出来ない事を書こうと思います。この記事の続きのお話です。『鎮静剤変薬』今日は病院に行く予定ではなかったが午前中に担当看護師から電話が入った。ご主人の今後の事を話し合いたいのでいらしてもらえませんか?との事で急遽病院へ向かった。話…ameblo.jp2022.9.8夫の鎮静剤が変薬になりもう二度と目を覚ます事はないと言われた日私は朝からずっと泣いていた。泣いても泣いても収まらない悲しみとショックを抱え変薬後の夫の姿を確認しての帰宅途中
母が亡くなり、父は、特養にいました。母が亡くなったことを伝えましたが、父は、あの亡くなった時に母の顔を見ただけでいつもと同じように特養で暮らしていました。そして、葬儀の相談。私も初めてのことで訳が分からないうちにどんどんと進んでいきました。私が中心で親類の方々に電話。これがすごく大変で父の兄弟は7人。母の兄弟も7人。この電話だけで。でもね。今は、どの兄弟たちも高齢。そんなこともあり、最後は、いとこたちと連絡を取り合うようになりました。コロナ禍ということもあり、家族葬でするということ
毎日泣いてるバアバ…その様子に娘『びえ~んはダメだよ』と…なんかもうどっちがどっち…💧バアバが、一人泣いてる時…おそらく、見かねてドンッ💥と…きなこ節(笑)12月23日(勝手にランドセルの日)ママサンタからのプレゼント🎄🎁ど、どピンクだった…高学年になったら後悔しそう…………きなこの物語はこれでおしまいです…きなこに触れて下さった温かくて優しいみなさまの道がにじいろでありますように🎵ドンッ💥えいえいおー!!!最期に『看護師きなこ』を忘
葬儀社が決まり家族葬にする事にした。娘は木曜日に亡くなって、葬儀は翌週の金曜日に決まった。コロナの影響で1週間待ちになった。葬儀社の担当の方は娘と同年代の方と娘より若い方でお2人とも女性だった。夜中にも関わらずドライアイスを届けにこられた。娘は亡くなった後に訪問看護師KさんとSさんに着替えさせていただいた。葬儀社の方に頼まれた事。「ご葬儀まで日にちがありますので、お顔や手が乾燥しないように保湿をしていただきます。生きている方よりもお手入れしてくださいね。ドライアイスを使いますが、
兄・私・旦那・息子たった四人だけの母の葬儀・告別式誰に気をつかうわけでも誰に見栄をはる必要もありませんでした。ただ、お坊さんにお経をよんでもらって母と最後のお別れをしてきちんと送り出してあげるやるべきことはそれだけです。11時からの司会者と喪主の打ち合わせ喪主は私でしたが、その場にいる4人が全員話を聞いていました。一般的な葬儀の流れとしては➀受付↓②着席・僧侶入場・開式↓③読経(お坊さんがお経を
息子がパパと2人最後の悲しいドライブをしている間私たちは駆けつけて下さったお兄さん夫婦と共に葬儀場へその後パパと息子も到着した・・まだ朝5時頃だったがもう既に時間の感覚は無かった今日は長い1日になりそうだ・・・・当直の係の方と簡単に葬儀の打ち合わせをした私にはわからない言葉内容ばかり・・・枕経湯かんお通夜告別式の日時葬儀の規模喪主埋葬場所・・など父が皆の意見を聞きながらまとめてくれたこういう時期なので家族葬で行うこと
母の葬儀の時、父は、特養の方で簡単に着替えられる服を渡しておいたのでそれに着替えて介護タクシーに乗って葬儀場へ。葬儀場について父は、母の葬儀ということをわかっていなかったかもしれません。そのうちになんでこんなところにいるのかと。何度か母のことを説明し、そして、葬儀会場へ。すぐにどこにいるのかを忘れてしまう父。そんな中で葬儀が行われました。最後に母に花を手向けるところで父は、やっと母が亡くなったことを思い出したようで泣き崩れていました。家族葬だったので父も母にしっかりとお別れができた
まいど。さそりでおま。ついこの前のブログでこのような記事を書いたところ。『誰もが余命を生きている日常』まいど。さそりでおま。がんサバイバーだった、わたいの前任会長のMさん(73歳くらい)。昨年秋から調子が悪そうで、倒れて入院し、年末年始帰宅したものの、また…ameblo.jp病床のMさんあてにお手紙を預けた1週間後、お亡くなりになったと訃報が入った。その連絡が入る前日の役員会で、病状が思わしくないと皆さんにお伝えしたところだった。最後にさそりの手紙を奥さんに代読
2日前に、私の同級生が亡くなったと連絡が来ました彼女とは実家が同じで保育園から中学生まで同級生で、高校もクラスは違いましたが同じ高校に通っていました。同級生の中で一番早く20歳で結婚した彼女は、2人の娘さん、そしてご主人としばらくは実家から30分ほどの町で暮らしていましたがご主人の仕事の都合で県外へ行く事になり、その時暮らしていた家を私が購入して暮らしていました私はそこまでしか彼女の事を知らなくてどうしてるのかなとは思っていました。去年私の姉から彼女は癌であまり良くない状況だと言うことを
母が去った施設の玄関先で旦那とケンカしてしまった私泣きながら一人自転車で飛び出しましたが結局家以外に帰る場所はありませんでした。あっという間に夕方近くになり、ご飯を作る時間時間がくればどんなに悲しくてもお腹がすく「生きている」ってそういうことです。旦那と言えば、さっきあったことはすっかり忘れてるかのように(旦那)「ねぇ、ごはんどうする?疲れてるやろうから何か買ってこようか?」といつもと変わらぬ感じ(^-^;
私が初めて親を看取り「葬儀を行う側」の立場になったのは13年前に実父が亡くなったときでした。そのときの喪主は、母でしたが父が亡くなった直後はその衝撃と長年の介護疲れでいつも気丈な母もグッタリしていました。それまで幾度となく葬儀に参列していてもいざ「自分が家族を送る側」になると何から手をつけて良いのか、さっぱりわからない私たち父は76歳と早かったため周りの人はまだ元気で、臨終の知らせと共に父の兄姉、母の兄姉(叔父さん、叔母さん)その
葬儀屋さんとの打ち合わせが終わり、家に戻ると、しばらくして携帯電話が鳴りました。葬儀社へ手配をお願いしていたお坊さんからの電話です。(お坊さん)「この度はご愁傷様でございました○○寺の○○と申します」(私)「恐れ入ります。明日はよろしくお願いいたします」お坊さんというだけで、なぜか学校の先生のように緊張します(^-^;(お坊さん)「明日は精一杯おつとめさせて頂きます。まず、お母さまが仏様(ほとけさま)になられる
先日母が亡くなりました救急搬送され私が病院に着いた時にはすでに死亡確認のあとでしたもう80代後半だったのでいつかこんな日が来るだろうとは思っていました葬儀の形はいろいろあって家族葬が主流ですよねー生前高いお金を払って坊さん呼ばなくて良いから〜焼いてくれればいいいつもそう言ってた事を思い出しました私としても豪華な祭壇豪華な棺桶豪華な衣装本当に必要なんだろうか?いろいろ考えて直葬にしました葬儀会社はすでに無料会員登録もしてます病院から葬儀会社に電話すると1時間
自分の葬儀をプロデュース自分がこの世からいなくなってからのことだから…どんな風になるのか分からないのだけれど…『自分の希望』と『家族の意向』を一番に考えて、どんな葬儀がいいのか、今のうちに…考えています。ここ数年で祖父が94歳で亡くなり…祖父の葬儀はホールを借りておこないました。祖母が90歳で亡くなり…祖母の葬儀は自宅でおこないました。祖父はとっても社交的で、地域の祭りや老人会、他にも狂言をやっていて、その繋がりの方々も多くいました。私にいつも『焼肉食べにいこか〜』と誘
諸々、滞りなく終わりました。心情的には離婚したも同然の夫でした。『夫が亡くなりました』夫が亡くなりました。夕方に行った時には「もっても後数時間でしょう」と告げられ、娘と2人病室に通された。その時の看護師からは「夫さんは、もう反応はありません」と…ameblo.jp無事、見送れたので安堵と同時に疲れでぐったりしています。家族だけの葬儀でした。これが最善の選択だと思っているので後悔はありません。家それぞれの事情があるので世間体などは気にしない事にしました。夫の悪態のあれこれを子供達と語
葬儀が終わり出棺となりもう会場内には戻ってこれないので忘れ物がないか確認して持ってきた荷物をすべて車へ詰め込みます。兄に白木の位牌を持たせ私は母の遺影を持ち他の荷物は全部旦那に持たせ母を乗せた霊柩車の後を四人で車に乗ってついていきました。しばらく車を走らせると(息子)「ママおなかすいた。これ以上ムリ」(私)「だから、朝ごはんちゃんと食べなさいっていったでしょ」(息子)「だって、、好きなおにぎりがなかったん
先日叔父(母の弟)が亡くなり21日に葬儀に参列して来ました通夜のない1日葬でしたが湯灌に旅支度そして納棺とても丁寧なやり方で葬儀屋さんによっていろいろなんだなぁと思いながら見せてもらいました。家族葬で静かに穏やかに最後の収骨までしっかりと叔父にお礼を言いお見送りが出来ました。翌22日は特養へ母の面会に叔父が亡くなった事を伝えるべきか迷いましたが伝える事にしました。今日は悲しいお知らせなのと言い1月に叔父がひとりそして今回もうひとり亡くなったと伝えました。母は一瞬よく
母が亡くなった日は八月の第二週葬儀・告別式が終わって一息ついた時はちょうどお盆休み中の土日でした。結果として旦那は一日も会社を休まず息子も一日も学校・塾を休まずそして様々な手続きをするにも市役所はちょうどお休みで私たちは何の予定もない夏休みをとっていました。「母は誰にも迷惑かけないようこの日を自ら選んで旅立っていったのかな」そんなことを考えながらお花の水を替え、お線香をあげます。ふと「祖母が亡くなったとき、
私の兄のお嫁さんは癖の強い父と上手く付き合ってくれていました。口が悪い父なのできっと嫌な思いもしていたと思います。でも最期まで父のことを考えてくれていました。父との同居も決めてくれていましたが直前で父が入院になったため実現はしませんでした。一緒に暮らすことは出来ませんでしたが父の部屋も用意してあってお盆とお正月はその部屋に父は帰って来て私達も何度か一緒に過ごさせてもらいました。父の葬儀は頼りない兄に代わって全ての準備をしてくれました。家族葬だったので
母の葬儀・火葬が終わった後もう一つ兄をグループホームまで送り届ける仕事が残っていました。自宅で息子を一旦下ろし、秒で着替えた後、母の遺骨や他の荷物は車に積んだまま旦那と一緒に兄貴を部屋まで送り届けます。私の軽自動車も葬儀会場の駐車場に停めっぱなしだったので帰りは旦那と二台に別れ自宅へ戻ることになりました。私が水色の軽自動車の助手席に母の遺骨・遺影・白木の位牌を乗せると旦那がシートベルトをかけてくれました。母をこの車に乗せて外出するとき
11月23日に全国各会館を繋げて「創価学会葬」が執り行われ、その後26日まで映像配信があったどのような葬儀が行われるのかを見て、自分なりのお別れをして、また記事を書こうと思っていた最後くらいはと参加の意思を持っていたが、逝去の発表から前日まで、一連の学会側の動きを見て、私は創価学会葬に参加することを止めたもちろん、地域の学会員に会う事も面倒だという気持ちがなかったわけではないしかし、いろいろ言いながらも生まれてからつい最近まで何十年と自分が「師匠」
こんばんは私の実の父には30年くらい連れ添った内縁の妻がいました。Fさんとしますずっと私の事も気にかけてくださって私の結婚式にも参列してもらったりホントに良くしていただきました。クズの母親が来る事になった前日の夜Fさんが亡くなったと連絡がありました。次から次へと起こる不幸今の精神状態で葬儀に参列する自信がない地元は離れているので飛行機でなければ行けないし、仕事もこの時間から調整は無理等の理由から葬儀には行かないとクズに伝えました。明日にはクズの母が来るので私とクズが二人で行
今日、葬儀を終えました。私を含めて7人の家族葬です。無宗教なのでお坊さんも読経も無く、井上陽水や巨人の星の音楽をかけたささやかな葬儀。10年以上、一緒に暮らしていたとは言え、血は繋がっていないので、やはり実兄弟程の悲しみは感じていなかったのですが、棺の蓋を閉める前に遺品となった鍼灸師の賞状の数々や勉強したノート、コーヒーが好きだったのでコーヒー豆、そして花等々を入れている内に込み上げてくる感情で鼻水ズルズル、涙ボロボロ出て来ました。。。最後は
5月4日感謝してもしきれないほど有難い存在の人亡くなってしまいました65歳残念です『感謝』お出かけ後ありがとうって言うと俺の方こそと絶対言う何度でも翌日、どなたかのInstagramに見て〜!うちらが乗ってる船やなって楽しかったな〜来週は沖縄料理食…ameblo.jp家族葬だったけど、感謝を伝えてお見送りしたくて行ってみました奥様、ご長男さんとお話することができ図々しくも告別式に参列させてもらい棺にお花を添えて蓋も一緒に閉めさせてもらい最期を見送ることができましたあちら
通夜の前に行う湯灌の儀式で綺麗に体を清め、化粧、着付けをしてもらい主人が好きだった鳳凰の絵柄がデザインされたお棺に納棺された。『お父さんに着物は似合わない」と言う子供達の希望を葬儀会社の方が受け止めてくださり死に装束ではなく、普段着ていた服を着付けて頂きました。通夜、告別式は『お金をかけずなるべく質素にしてほしい』と主人から生前伝えられていたので両親、姉妹夫婦、息子夫婦、娘、私、お嫁さんの両親の出席だけの家族葬を執り行い滞りなく終わる事が出来ました。弔問したいと言ってくださる叔父、叔母、勤
今日は母との最後のLINEを見てしまって気持ち的にちょっとダメな日でした。今から帰るよって送っても、気を付けてって返事はもう二度ともらえないんだ。。結局、掛け金を使うのは諦め自宅に近い家族葬用の式場がある葬儀社でお願いをしました。我が家は宗教や宗教行事に縁遠く、葬儀をあまり重要視していなかったのもあって、母の希望通り、親族と親しい人のみの本当に最低限の家族葬の内容で話を進めていきました。家族葬に馴染みのない年配の親族の中には親切で色々と言ってくる方もいました
今日は午前中は弔問客がいなかったので喪服を買いに行ってきました。あと、アレンジメントフラワーにお水やりを。とりあえず、家族葬なので黒ならいいかなぁ〜って。体型も変わるかもだし、空くんの葬儀のために用意するのは何となく嫌で…午後からは茨城の18っ子ちゃんが来てくれました。もう少しで30歳になる女性です。もう凄すぎる♡そして、また担任の先生。4回目。そして月曜日も出棺の日も来たいと申していました。空くん愛が凄いですそして、葬儀屋さん。2時間近く相談していました。お位牌のことと
アレコレ進めていると、実家に行って探さないといけない物が炙り出されてきました。今日の備忘録は、実家で探すものシリーズ母の戒名を書いた紙浄土真宗なので、生前に本願寺で戒名をいただいているのです。本当はお葬式の時にお坊さんにお伝えして、戒名で送り出さないと行けなかったのに、自宅から実家と亡くなった所が反対方向で、しかもGW真っ只中で渋滞覚悟の移動になったので、戒名を取りに行ってなかった。探し出して、写真を撮って石材店に送らないと、お墓に文字を掘ることができないわ。祖父から父の兄弟への遺産分割
オヤジが老人ホームに入って,6〜7年94歳なんとか歩行器でゆっくり進めるくらいのヨタヨタだったけど、年明けに施設の風呂場で転倒したらしく、市民病院へ・・・MRI検査もしてもらって転倒での悪い所は無いものの、他の検査で、尿路感染症と診断され熱もあり1ヶ月ちょい入院・・・・もう自身だけでは食事もとれないくらい弱ってしまったけど、病院は追い出され次の老人ホーム施設が決まるまで、別の病院に転院と忙しかったりしたけど・・💦💦💦その後、転院先で脳梗塞?も発症それから1週間くらいして・・亡くなりました
朝早く、珍しく母から電話があった「九州の祖母が亡くなった」と…父が九州の人で、父方の祖母ってやつだずっと施設に入ってて、未だに独身の叔父が面倒をみていた92歳、もう老衰だろう母から、私達兄弟で、連名で花をしてくれと頼まれたが、私は拒否した「花」「果物」は何の役にも立たないこれは私が自分の経験から思った事だだから私は香典をする、と言ったしかし母は、「家族葬だから香典はしなくていいよ」と言った人が死んだ時、通夜や葬儀に対しては人によって、いろんな考え方があると思う以前