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《最後にもらった娘からの愛》台湾の旅が終わりました。今回の旅では、たくさんたくさん娘の萌と語りました。夢のことや、オシャレのことや、大學のことや、これからの人生についても。そんな時間が有難くて有難くてたまりませんでした。最後の夜。龍山寺の隣のホテルで、喜んでいたとき、何気なく渡されたアルバム。『ママ。遅くなったけど、お誕生日おめでとう!』そう言って渡されたアルバムには、娘と私の写真がいっぱい。でも、それ以上に、彼女の想いがい
算数。敵問題のレベルが上がってきており、今週は立体切断ですね。算数については、一時期戦いが優勢かと思っていましたが、また今週あたりは押し込まれています。この単元難しくないですか?それでも。娘と私は毎日共に闘います。毎日喧嘩しながら。毎日叱りながら。でも問題が出来た時のお互いの笑顔。解けた時のハイタッチ。こんな幸せな時間は今このタイミング、中学受験の時しかないだろうと、いまだけだろうとパパは思っています。だから。共闘できる今があるのがパパはうれしいし、だから一生懸命やっ
まず、診察の前にレントゲンを撮る様に指示が出された。レントゲンを撮り終えると診察に呼ばれた医者が、レントゲンの画像に目をむけた瞬間だった「なんだ、これは!」厳しい顔つきで、痛みはいつから?反対の左の脚も、レントゲン撮って血液検査して…と尋常ではないこの医者が、ここまで慌てるのはめずらしかった…私は、この医者を良く知っているこの病院は昔の私の職場であり、オペ室で業務をして私は、彼の性格も知っている…ちなみに、私が勤務中に階段から落ちて、両足骨折した時に執刀した
1/1717時えー!!!大阪桐蔭受かったやん合格やってー!!!娘と2人大号泣前期併願の一校に合格をいただけました。とにかく触らないよう、リビングの遠くに居た夫と息子も叫び声にびっくりしてました笑そのまま同志社香里の合否を確認しましたが、そちらはやはりご縁が無く。大阪桐蔭は合格の場合、当日中に学校へ書類を受け取りに行かなければならず、合格すると思って無かった娘と私は大急ぎで大阪桐蔭へ。我が家から遠いこともあり、本当に時間ギリギリでした同じくらいの偏差値3校を受験した娘。滑り止め
夏頃から娘が通っていた、きこえとこばの教室。毎週火曜日の8:00に隣の小学校に通級。10分くらい練習して課題をもらうというのを繰り返ししてました。その後学校に送り届ける。学校の授業には間に合うスケジュールを組んでいただいてました。毎週火曜日は娘と私で車で通級でした。10回くらい通ったでしょうか。今日で無事に終了しました。始めは嫌がらずに通っていましたが、途中からは自分の発音が悪いので通っていることがわかってからは早く辞めたいと言っていました。毎週出される課題にちゃんと取り組み、
特に意識したわけではないが、続けざまに作家が自分の妻を書いている作品を読んだので順番にレビューする。トップバッターは獅子文六である。娘と私獅子文六ちくま文庫波乱万丈獅子の最初の妻はフランス留学時に知り合ったフランス人女性であった。1925年6月に臨月の妻エレーヌを伴い日本へ帰国、8月に娘のマリーが生まれる。翻訳と演劇評論で大して稼ぎはなかったが、親子三人の借家暮らしは身の丈にあった幸福であった。ところがマリーが5歳のとき妻エレーヌが病に倒れ、故郷で静養させるため文六は娘を姉夫
おはよ☺️朝から起床して、速攻、プレイルームに😳6時だぞ!早すぎひん?りっちゃん、一番乗りで、まだ、誰も来ない。朝ごはんないからいいんやけど。。。水分だけやし。。。1時間くらいしか。。。あとは、水分補給してから、爆睡で寝たりっちゃん。果たして???手術するまでのりっちゃん。。。爆睡したから、9時までに飲みきれなかったりっちゃん。お茶が欲しくてたまらなかったりっちゃん。9時からは、飲めないから、悲しくて、辛くて、大泣き😭はい、9時過ぎに起きてしまったりっちゃんやった。1
こんばんは😊今日は、りっちゃんの入院。お臍の臍ヘルニアで、手術するため。最初は、めちゃくちゃ警戒😅😣布団の上すら、無理なくらい大泣き😣ママおるから大丈夫だよと伝えたんだが、大泣き😭しばらくしたら、泣きやみ、布団の上で騒ぐりっちゃん。騒ぐのりっちゃんくらいよ😅騒いだ後に座り込んでるりっちゃん。パパは、明日から仕事やから、見送りでりっちゃんを看護師に見てもらい、見送った。私は、病室に戻ったら、りっちゃん、寝てた。よっぽど疲れたようだ。ベビーカーで寝るのは、久しぶりや。明日の
こんばんは😊入院して、3日目になりました。明日で退院ですが、りっちゃんを見て思ったことを綴ります🙇私は、生きるというのは、弱く考えがち。。。でも、りっちゃんを見てたら、違うんだって思えた。私だったら、手術して怖い、死ぬんかなって怯えちゃまうし、先が見えなくなりがち。りっちゃんも怖い、死ぬんかなって思ったことあるだろう?手術した後、めちゃくちゃ私に甘えてきたが、たくさん遊び、きちんとご飯食べ。。。たくさん遊んでるりっちゃんを見て、懸命に生きようとしてる姿に泣けてきそうでした。もち
帰ってきたりっちゃんを見て、安堵した私。りっちゃん、お疲れ様と思いながら、りっちゃんは、ベッド移動したころに、ちょっと起き、私んとこに抱っこアピール。抱っこしたら、また、直ぐに寝た。手術疲れでお疲れ様🥰よく頑張ったね🥹抱っこの後、私がお手洗いしたくて、看護師さんにバトンタッチし、お手洗いしたら、いつの間にか、ベッドで寝ていたりっちゃん。私が戻って来たのを気づき、手を握って欲しいアピールして、握っていたら、安心したかのように寝たりっちゃんでした。りっちゃん、本当にお疲れ様💕よく頑張
神奈川県の一部地域では百一日に伊勢原市の大山の「茶湯寺」ちゃとうでらにお参りに行く百箇日お礼参り、百一日参りという風習があります。私の実家もこの風習のある地域です亡くなられた方の霊は、四十九日まで其の家の棟の下にいて五十日目から黄泉路の旅へ出発するそうです。四十九日に菩提寺にあげる四十九個のお餅を一日一日のお弁当とし、家族が毎日お佛壇に供えるお水で喉を潤し百箇日目に極楽の門に至り仏様に成られます。この日が百日忌。百一日目は、仏様と成られた故人が、御先祖様の仲間入りの