ブログ記事200件
あいつとは喧嘩は少なかったとは言え、なかったこともない。ワザと喧嘩をしてた。だから途中で吹き出してしまう。何があっても本当に腹を立ててるわけではなかった。あいつがオレの溺愛して愛し合ってた♀チワワを連れて部屋を出て行ってからオレは1人でペットショップに行った。真っ白に赤茶色の♂のチワワがオレを見て吠えてきた。なんか嬉しそうにしてたのを覚えてる。キャンキャン吠えてくる。ずっと見てたらパタっと吠えるのをやめて、小首をかしげてオレの方を不思議そうに見つめてきた。ちょっと華奢な身体つきで
さっき刑務所の矯正展に行ったブログを更新しました。その数日前に笠松刑務所のみどり美容院へ行ってきました。職業訓練(2年)を受けて、刑務所内にある美容院で勤務することが出来ます。といってもその職業訓練がすごい倍率だそうなのでそれにまず通ってさらに試験に合格してるんだからすごいこと◎行く前にお電話したら8:30~16:00までの営業で16:00には完全に閉めるのでその時間に終わるように合わせて来てくださいとのこと。あと一般の美容院に比べてお休みが多いので電話で確認が必要らしい。今、美容院
正式に工場が決まると共に新しい雑居部屋に移されました。新人教育の時と同じで、6人部屋に女子受刑者8人とかなり狭いです。それに新人教育の時の雑居部屋とは違い上下関係も厳しかったです。私が入れられた雑居部屋は、累犯の方が多く6回刑務所に来ている人もいました。薬で入った方が半分で残りは私を含め別の罪でした。女子刑務所の人間関係は男性の刑務所よりもややこしいです。受刑者の間でもカーストがあり、序列は部屋に入った順で決まります。新入り受刑者は、序列が一番下で扱いも雑です。「べべ
早くも2月ですね。3月まで休みがないと書いていたのですが、実は本日有休を頂くことができました。せっかくの休みですがお昼過ぎまで爆睡しておりました。体調は、未だに回復せず相変わらずお薬に頼りながら生活しています。母に「薬の量が多すぎるんじゃない?」と心配されたのですが、飲みながらではないと仕事ができないので辛いところです。ちなみに逮捕されるまでは、体はかなり丈夫でした。風邪なんか全然ひいたことがなく学校も仕事も休んだことがありません。しかし、逮捕後から免疫が一気に下がっ
前回の記事で事件現場と同じ地域の仕事場所へ行くのが不安だと書いていましたが、何とか行く事が出来ました。毎回、不安になる度に書いてしまいすみません。行けたのは、励まして頂いた皆様のおかげです。本当にありがとうございました。そして今日は、夜の11時半まで仕事の予定でしたが大雨の影響で早期帰宅になりました。もう、すっかり梅雨の時期ですね。拘置所やW刑務所にいた頃は、梅雨の時期になると雨よりも常に虫に悩んでいました。外には出られない場所なので雨で悩まないのは、当たり前ですよね・・
女性刑務所も男性が入る刑務所も洗濯工場というものがあります。しかし女子刑務所は、男性の刑務所とは違い下着や靴下など直接肌に身に付ける物は自己洗濯しなければいけません。自己洗濯だったのは、性病や水虫など感染病対策だったと思います。自己洗濯は、作業後の余暇の時間(土日祝日は午前)に行います。洗い方は簡単で洗濯板を使って水で洗い汚れを落として各受刑者に与えられた専用のサークルに干します。※部屋で干す事はできません。面倒な作業だったからか私をよくイジメていた同室のYさんは、自己洗濯の時間
私がW刑務所に移送されたのは、8月の暑い時期でした。それに拘置所の時の記事にも書きましたが、私が刑務所に移送されたのは記録的な猛暑が続いた年です。移送された刑務所には、拘置所に引き続き職員の部屋以外、冷暖房はありません。小さい扇風機(夜のみ使用可)が一つあるだけです。なので夏場は、汗がびっしょり作業着や部屋着にくっつき気持ち悪かったです。自由に拭いたり扇ぐことは、許されていなかったので、汗が流れてもただ我慢するだけでした。そのせいか、服役中の夏は常に汗疹に苦しめられました。
明日は、出勤時間が遅いので少しだけ日記を書きます。相変わらず体調は、不安定でお薬に頼りながら仕事をこなす毎日です。さらに今日は、普段は優しいお客さんが酷く酔っていて別人のようでした。暴言だけでなく殴られそうになったので思わず逃げました。他にも色々なお客さんがいていつも警察沙汰に巻き込まれないかという不安があります。警察沙汰になれば身分照会で元受刑者だという事が一発でバレてしまいます。そして数か月前からお金の管理も任されるようになりました。信頼して任して頂いているのですが常に
ご存じの方が殆どだと思いますが、刑務所には優遇区分というものがあります。簡単に説明をすると、優遇区分の一番下は5類で最も上は1類です。また、受刑者それぞれに称呼番号が付けられていますが、その番号で刑期や罪名、累犯なども分かるようになっています。つまり受刑者にもランクというものがあるのです。拘置所で刑が確定し受刑者になった時点で5類、その後、無事故・無違反が6か月続くと3類になります。私も、実刑が確定して受刑者となってから半年以上が経ち、ようやく3類になる事ができました。刑務所に移
物凄く悲しかった事が受刑者になってから起きました。一緒の工場で刑務作業をしていた優しい受刑者のSさん(仮名)が病気になったのです。医療刑務所に移送された時には、手遅れだと診断されたようです。それでも刑務作業をやり続けて最期はご飯が食べられない状態が続きました。そして、寒い日の深夜に救急車で運ばれたものの亡くなってしまいました。Sさんは、同じ工場の中でも私にとって癒しの存在でした。Sさんが亡くなってからは悲しくて思い出す度に泣いていました。W刑務所では、月に1回説法があるのですが
西成区のマンションは住み心地が良かった。木は森に隠せばなんとやらみたいなもんで、西成辺りじゃシャブ中一人なんか目立たない。実際、マンションの中にはヤクザやポン中らしきのを含めて色んなのがいたし、エレベーター前の大型の灰皿に血のついた注射器が転がってるなんてのは数度目にした。そんな治安の悪いマンションだから当時フラフラといつ起きるか分からない生活をしていても、なんの問題もなかった。夜中の2時3時や朝方4時とか犬とうろちょろと何度も散歩に出たり入ったりしてた。天下茶屋駅前には安くて美味しい
FRIDAYさんでも記事にしていただきましたが、→元セクシー女優で「覚醒剤使用で逮捕」された合沢萌が語る…「女子刑務所」で起きていたやばすぎる裏話|FRIDAYデジタル女性の受刑者は全体の一割とかなり少なく、内部の様子があまり語られることはないがどんな場所なのだろうか。実際に約13年刑務所にいた元セクシー女優の合沢萌が語った!friday.kodansha.co.jp刑務所の中で余暇時間を使って絵をしこしこ描いたりしてました。主に中であったこと、日記の内容とかをイラストにし
皆様お久しぶりです。前回のブログから2ヶ月以上経ってしまいました。この2ヶ月間は、特に忙しくてブログを全く開いていませんでした。コメントをして下さっていた方、気付かず返信が遅くなってしまい申し訳ございません。実は、体調も崩しており何度か病院へ行き薬を飲みながら仕事をしていました。また、職場の人間関係についてもかなり悩んでいました。刑務所の中に比べれば・・と思うようにしていましたが出所後も大変ですね・・そして今日は、久しぶりの休みでした。疲れていたのか、夕方近くまで寝て
私が刑務所へ移送されてから暫くして父と母が面会に来てくれました。実家から私が収容されていたW刑務所へは、かなり遠く時間が掛かるのでとても大変だったと思います。父と母は、電車とバスを乗り継いで面会に来てくれました。さらに父と母は、私と面会する前に有名なお寺へ行ってきたらしく、母は「(私)ちゃんが健康で幸せでありますようってな。お願いしに行ってきたからな」と言ってくれました。父も厳しい事を言いつつも父なりに刑務所での生活を応援してくれました。私の場合は、逮捕されてから刑務所を出所す
※今回、長々と書いてしまい申し訳ございませんでした。かなり省略したつもりが、長くなってしまいました。移送先の女子刑務所に到着後、荷物を持ち移送用のバスから降ろされました。手錠と腰縄は外され、最初に新入調室へ連れて行かれます。そこで写真撮影などを行います。その時に刑務所の先生から、服のサイズと靴のサイズを聞かれました。これらが終わると身体検査です。びっくり箱に入って待機をしていると順番になり、私服と下着を脱いで全裸になり身体検査を受けました。検査官の先生が、入れ墨の模様・ほくろ
女子刑務所に移送されてから2週間は、新人教育です。私が収容されたW刑務所では8つの工場(うち生産工場は6つ)がありました。2週間の新人教育の間に受刑者1人1人にあった工場を決められます。先生による分類面接もあり「得意な事」や「好きな作業」などを聞かれました。他にも運動場で集団行動訓練をしたり紙折り工場(観察工場)で作業をしたり学力・性格テストを受けたりしました。私は、勉強が得意ではなかったので、書けない漢字や計算問題が多く点数はかなり低かったと思います。また、集団行動訓練をし
仕事が忙しくブログの更新がまたもや滞ってしまっていました。気が付けばもう春ですね。しかし、まだまだ寒くて湯たんぽは欠かせません。ブログが滞っている間、メッセージを頂きました。とても温かい言葉で溢れていました。私は20代の一番大事な時期に事件を起こしてしまいました。そして、女子刑務所で受刑者として過ごしました。事件後は、いつ死んでもいいと思い続けていました。出所後も、そのように思いながら自分の心身を痛めつけ休まずに仕事をして過ごしてきました。ブ
私が収容されていたW刑務所には、歯科があったのですが受診するまで数か月待ちです。こんな事を書いたら失礼かもしれませんが、治療はかなり雑です。さらにお金がない人は受診しても抜歯しかできませんでした。税金で賄われているので、もちろん贅沢は言えません。なので虫歯だけには、なりたくないと思い歯磨きは、かなり念入りにしていました。しかし、刑務所に収容されてもうすぐ3年目を迎える時に左の奥歯が痛くなりました。奥歯を見ると少し黒くなっています。何かついているだけなら良いと思い歯ブラシで必死に
今日は、掛け持ちの仕事の日でした。少しでも自分の稼いだお金を被害者の方々や両親に渡そうと本業の仕事と掛け持ちし始めたのですが慣れない仕事は、やはり緊張します。仕事をし始めると大丈夫なのですが、新しい職場なので行くまでが緊張してしまい疲れてしまいます。仕事のしんどさよりも今は、緊張の方が大きいです。刑務所へ移送される前日と当日もブログ記事では、落ち着いているように書きましたが、緊張感で死にそうでした。移送されるバスの中では、あまり刑務所の事を考えないよう過ごしていたと思います。時よ
刑務所は、当たり前ですが冷暖房がないので夏は暑くて冬は寒いです。さらに冬の時期の水は氷のように冷たくなっているのですが自己洗濯や洗顔の時は使用しなければいけません。自己洗濯は、前にも書いた通り他の女子受刑者の分も嫌がらせでやらされていたので手はよくアカギレになっていました。また、刑務所に移送されてからは毎年、霜焼けになってしまい痒かったです。特に足先の指が大きく腫れてしまい刑務作業中にも痒くて掻きたくなる事が多かったです。そして私が移送されたW刑務所では、昼食前の30分間に外運動が
いよいよ12月に入りました。年末が近づいているという事もあり掛け持ちの依頼が多く来ます。最近は、本業が定時に終わったら、夕勤(18時~22時)・夜勤(20時~5時半)の仕事に入ったりもします。本業が休みの日も、常に仕事を入れています。接客は、やらないつもりでしたが接客の依頼も多く時給が高いと挑戦したりしています。疲れているのか、ここ2,3日は、家に帰ったらぐったりでブログを書く間もなく眠りについていました。また先日、依存症の方や元受刑者の支援をされている依存症子さん(湯浅静香さん
実刑判決となっても14日間は、控訴や上告が可能です。なので判決が確定するのは、14日後です。つまり確定する14日間は、未決囚の時と同じ生活です。そして、アカオチと呼ばれるのですが刑が確定して受刑者になってからも直ぐに女子刑務所には移送されません。拘置所で刑務作業をしながら女子刑務所へ移送されるのを待ちます。迎えたアカオチの日、未決囚の時にお世話になった雑居房から確定房へ移される事になりました。荷物を持ちサンダルを履いて拘置所へ移送された日に新入検査をした建物へ連れて行かれました。
女子刑務所、移送後の初日の流れ後は、かなり長くなったので感情などは書きませんでしたが恐ろしくて死にそうでした。何回も懲役へ行っている方は、ケロッとしていましたが私は不安症なのかバスに乗っている間も手錠をかけられた手は小刻みに震え続けていました。何度も深呼吸をして気持ちを落ち着けていました。それほど未知の世界へ行くのが怖かったのです。お風呂に入れられ、21時に眠る時も明日から行われる2週間の新人教育がどういうものか、体力的についていけるかと不安ばかりでした。新人教育が始まった後も他の
最近、3交代の仕事+掛け持ちバイトという生活に少しずつですが、やっと慣れつつあります。不器用ながらも必死に覚えて何とかやっています汗今週は、3交代の仕事が終わってから、さらに単発のバイトを入れてみたのですが、睡眠不足から頭痛が酷くなりました。3日間、ほとんど寝ずに働くのは、無理だったようです。体を壊したら全て台無しになるので、やっぱり3交代の仕事が休みの日だけに掛け持ちの仕事を入れます。また、父から「シャバの生活には、慣れてきたか?」と電話が来ました。シャバという言葉が、父から出ると
もうすぐお正月ですね。服役中の大晦日は、紅白を見たりゆったり過ごしていました。そして、正月になると私が収容されていたW刑務所では、白米(銀シャリ)が出ておせちとお菓子2つが出ました。また、元旦には雑煮も出ます。でも緊張が緩むのか毎年、正月になると風邪気味になっていました。喉が痛くなったり咳き込んだりしていることが多かったです。正月が過ぎて刑務作業が始まると治るのですが、服役中は風邪気味になるのが恒例になっていました。しかし今年は、大晦日も正月もずっと仕事です。少しでも風邪
「友からの手紙の結び許さないだけど、の後のあたたかきかな」長らく連絡を取っていなかった友人と連絡が取れました。勝手に悪いことして、勝手に捕まって、勝手に連絡も取らず何年も経ってから連絡をして。許されるわけがない。だから当然。でも、手紙の最後には「今も変わらず、大好きだよ。」の言葉。それを受けての歌です。こんな友人を裏切るわけにはいかない。今日はこれから家で仕事するけど、おなかがすいたのでうーばーいーつ。こーゆー暮らし、なんだか娑婆慣れしてきたなぁ、と思います
この前は誕生日に父と喧嘩してしまいとても後悔していました。すぐに謝罪をしたのですが、仲直りできるか不安でした。しかし、今日いつも通り電話があり安心しています。また明日は、掛け持ちの仕事の給料がようやく入ってくる日です。父と母には、何年間もお世話になりっぱなしなのでいっぱい支えて貰っていました。なので少しでもいいから多くお金を渡せたら嬉しいです。そして、誕生日で思い出した話を少しだけ書きます。私がいたW刑務所では、受刑者だけがリスナーの刑務所限定ラジオが週1回流れていました。そ
最近は、忘年会にクリスマスシーズンという事もあり接客の仕事の依頼が多く来ます。なので、工場+接客の仕事が中心で休日も接客の仕事をしています。やらないと決めていた接客の仕事ですが”レギュラーで入って欲しい”とも有難い事に言って頂きました。慣れていないので今はずっと悪戦苦闘していますが頑張ります。そんな忙しい日々を送っているのですが先日、父と些細な事で喧嘩をしてしまいました。とても反省しており後悔しています。実は父には、理想の娘像があったのですが私は勉強も運動も不得意で全く当てはまる
出演させていただきました。賛否両論あるとは思います。ではなぜこういうことをお話してるのか?ということに関心を持つきっかけになってくれたらいいな。と思ってます。「こんな人間もいるんだ。自分も頑張ろう」でもいいし、「すぐ捕まると思ったけど、意外と頑張ってんじゃん!」って思ってもらえたら嬉しいし、だけど意外と最高だなっておもうのは「こんな人間になりたくないから、悪いことするのはやめよう」です。まぁ、その感情をモロにぶつけられるのは結構、キツイですけどね。最近様
忙しく働き続けた9月が終わりいつの間にか10月になっていました。本当に早いです。9月中に日記を更新しようと思っていたのですが、実家で飼っていたペットを亡くし悲しみでいっぱいになっていました。その子は、私が逮捕されてから刑務所にいた約5年間ずっとずっと心の支えになっていた子でした。そして、出所してからやっと会えたものの仕事が忙しくなるにつれ殆ど会う事ができなくなっていました。久しぶりに会った時は、少し高齢になっていたものの元気でした。元気だから、まだまだ会えるだ