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出所後は、元受刑者だと伝えた上でハローワークに行き仕事を探しました。隠して就職をしたとしても後に分かってしまえば直ぐに解雇になる可能性が高いと分かっていたからです。刑務所に服役中も、ハローワークの受刑者専用求人で就職口を探しましたが残念ながら見つかりませんでした。出所後は、引受人の両親の元へ帰り地元のハローワークへ行きました。担当して下さった女性は、元受刑者だと伝えた途端、笑顔がなくなりました。元受刑者だと知り怖いのだと思いました。辛かったですが私自身が招いた結果なので仕方ないと
寒くなったある月のある日、受刑者になって初めての誕生日を迎えました。事件を起こしてしまい逮捕されたのが、前年の誕生日を終えてから約14日後です。前年の誕生日は、まさか次の年の誕生日を刑務所で迎える事になるとは思ってもいなかったです。誕生日当日は、手紙も面会もなくいつも通り刑務作業を終えて就寝しました。父と母は、私の誕生日を忘れがちで(※悪気はないです)ケーキも中学生の時までは思い出せば買ってくれる程度でした。一度、ホールの誕生日ケーキというをどうしても食べてみたくて、ねだって無理や
初犯と累犯どちらもいるミシン工場への配属となった初日。配属が決まった工場へ連れて行かれました。私語は禁止されているので作業をしている音だけが響いています。トイレも勝手に行く事は許されておらず先生の許可が必要です。私自身ミシンは、家庭科の授業以来やった事がなく不安でした。工場へ到着すると担当の先生がおり挨拶をします。班長さんは、40代の方で長く刑務所生活を送っている方でした。挨拶を終えると役席(えきせき)に案内され作業の説明を受けます。※役席は、作業をする机の事です。私は、衣
女子刑務所に移送されてから2週間は、新人教育です。私が収容されたW刑務所では8つの工場(うち生産工場は6つ)がありました。2週間の新人教育の間に受刑者1人1人にあった工場を決められます。先生による分類面接もあり「得意な事」や「好きな作業」などを聞かれました。他にも運動場で集団行動訓練をしたり紙折り工場(観察工場)で作業をしたり学力・性格テストを受けたりしました。私は、勉強が得意ではなかったので、書けない漢字や計算問題が多く点数はかなり低かったと思います。また、集団行動訓練をし
以前悩んでいた上司からの霊感商法の勧誘についてです。『悩み事&嬉しかった事』前回のブログで病院へ行くと書いてから約2週間が経ちました。無事に何とか病院へ行く事ができお薬を貰ったのですが、なかなか症状は良くなりません。主な症状は、胃…ameblo.jp続きを書こうかとずっと迷っていました。詳しく書くと身バレしそうなので簡単に書きます。以前書いた通り、上司Bさんからしつこく霊感商法の勧誘を受け悩み続けていました。そこで信頼できる上司Aさんに相談をしました。Aさんは、Bさん
FRIDAYさんでも記事にしていただきましたが、→元セクシー女優で「覚醒剤使用で逮捕」された合沢萌が語る…「女子刑務所」で起きていたやばすぎる裏話|FRIDAYデジタル女性の受刑者は全体の一割とかなり少なく、内部の様子があまり語られることはないがどんな場所なのだろうか。実際に約13年刑務所にいた元セクシー女優の合沢萌が語った!friday.kodansha.co.jp刑務所の中で余暇時間を使って絵をしこしこ描いたりしてました。主に中であったこと、日記の内容とかをイラストにし
あいつとは喧嘩は少なかったとは言え、なかったこともない。ワザと喧嘩をしてた。だから途中で吹き出してしまう。何があっても本当に腹を立ててるわけではなかった。あいつがオレの溺愛して愛し合ってた♀チワワを連れて部屋を出て行ってからオレは1人でペットショップに行った。真っ白に赤茶色の♂のチワワがオレを見て吠えてきた。なんか嬉しそうにしてたのを覚えてる。キャンキャン吠えてくる。ずっと見てたらパタっと吠えるのをやめて、小首をかしげてオレの方を不思議そうに見つめてきた。ちょっと華奢な身体つきで
今日は、休みの日でした。しかし、少し風邪気味なので昨日の仕事終わりに買った風邪薬を飲んで1日中寝ていました。刑務所にいた頃とは違い暖房もよく効いている場所で仕事をしているのに免疫が落ちてしまったみたいです。本格的に体調を崩してしまったら働けないので気を付けようと思います。でも、受刑者だった頃は熱が出ても直ぐには薬が貰えなかったので今は本当に有難い環境です。体温計で熱を測るのもなかなか許して貰えませんでした。顔が真っ赤になってガタガタと震え出してからようやく先生が体温計を持ってきて
1年前に誹謗中傷なども覚悟の上で逃げない為に前へ進む為にブログを始めました。ブログを始めてから沢山の方々と出会い助けられてきました。最初の頃は、社会復帰が怖くて怖くて怯えて食事も喉が通らない状態だったのですが何とか1年が経ちました。安定剤と頓服を飲むながらですが逃げずに掛け持ちで働き続けここまでやって来れました。本当にありがとうございます。被害者の方々へも決められた金額を渡し続ける事が出来ています。また、湯浅さんのブログを読み改めて自分の罪の重さを実感しました
※今回、長々と書いてしまい申し訳ございませんでした。かなり省略したつもりが、長くなってしまいました。移送先の女子刑務所に到着後、荷物を持ち移送用のバスから降ろされました。手錠と腰縄は外され、最初に新入調室へ連れて行かれます。そこで写真撮影などを行います。その時に刑務所の先生から、服のサイズと靴のサイズを聞かれました。これらが終わると身体検査です。びっくり箱に入って待機をしていると順番になり、私服と下着を脱いで全裸になり身体検査を受けました。検査官の先生が、入れ墨の模様・ほくろ
仕事が終わったので日記を少し書きます。以前も書いたのですが、W刑務所に移送された時、面接と共に学力テストもありました。私は勉強が苦手だったのでテストの結果は散々だったと思います。仕事さえしていれば勉強をする必要がないと思っていたので刑務所に入る前は、ネットやテレビばかり見ていました。しかし、逮捕され女子刑務所に入ってからはネットやテレビを自由に使えなくなり官本を借りて読むようになりました。私の居たW刑務所では官本は、最大3冊まで借りれます。拘置所に居た頃は最大2冊までだったので1
被害者の方々やご家族にお渡ししているお金について、コメントやメッセージをくださった方が何人かいらっしゃいました。特に待ち人様の中には、どういうお金なのか不安に思われた方もいらっしゃったと思います。不安にさせてしまい申し訳ございませんでした。なので、その事について少しだけ身バレのない程度に書きたいと思います。私は、刑事裁判で実刑が確定した後に被害者の方々やご家族から民事訴訟を起こされております。私自身がしてしまった事であり被害者の方々やご家族のお気持ちを考えると訴えられるのは当たり前
私が収容されていたW刑務所には、歯科があったのですが受診するまで数か月待ちです。こんな事を書いたら失礼かもしれませんが、治療はかなり雑です。さらにお金がない人は受診しても抜歯しかできませんでした。税金で賄われているので、もちろん贅沢は言えません。なので虫歯だけには、なりたくないと思い歯磨きは、かなり念入りにしていました。しかし、刑務所に収容されてもうすぐ3年目を迎える時に左の奥歯が痛くなりました。奥歯を見ると少し黒くなっています。何かついているだけなら良いと思い歯ブラシで必死に
実刑判決となっても14日間は、控訴や上告が可能です。なので判決が確定するのは、14日後です。つまり確定する14日間は、未決囚の時と同じ生活です。そして、アカオチと呼ばれるのですが刑が確定して受刑者になってからも直ぐに女子刑務所には移送されません。拘置所で刑務作業をしながら女子刑務所へ移送されるのを待ちます。迎えたアカオチの日、未決囚の時にお世話になった雑居房から確定房へ移される事になりました。荷物を持ちサンダルを履いて拘置所へ移送された日に新入検査をした建物へ連れて行かれました。
前回のブログで病院へ行くと書いてから約2週間が経ちました。無事に何とか病院へ行く事ができお薬を貰ったのですが、なかなか症状は良くなりません。主な症状は、胃腸の不調と湿疹です。逮捕され刑務所に服役していた頃に胃腸を壊して以来、身体がめっきり弱くなってしまったようです。今は、病院のお薬や市販薬を服用しながら仕事をしている状態です。また、ちょっとした悩みなのですが少し前から霊感商法やマルチ商法の勧誘を受けています。しかも、勧誘してくる方がお世話になっている上司の方な
いつも暗い話ばかりで本当に申し訳ございません。私の記録ばかりを書いてあるので、あまり楽しい話題の記事は少ないかもしれないです。しんどくなったらフォロー気にせず外してくださいね。以前、ブログに出所後、精神科を受診した事を書きました。逮捕されてから服役中まで、ずっと”死にたい”という衝動が起きてしまいどうしようもなくなる事がよく襲ってきました。また、出所してすぐの頃は、罪を犯した瞬間が何度もフラッシュバックしてしまいパニック状態になっていました。そこで周りから精神科への受診を勧め
西成区のマンションは住み心地が良かった。木は森に隠せばなんとやらみたいなもんで、西成辺りじゃシャブ中一人なんか目立たない。実際、マンションの中にはヤクザやポン中らしきのを含めて色んなのがいたし、エレベーター前の大型の灰皿に血のついた注射器が転がってるなんてのは数度目にした。そんな治安の悪いマンションだから当時フラフラといつ起きるか分からない生活をしていても、なんの問題もなかった。夜中の2時3時や朝方4時とか犬とうろちょろと何度も散歩に出たり入ったりしてた。天下茶屋駅前には安くて美味しい
「友からの手紙の結び許さないだけど、の後のあたたかきかな」長らく連絡を取っていなかった友人と連絡が取れました。勝手に悪いことして、勝手に捕まって、勝手に連絡も取らず何年も経ってから連絡をして。許されるわけがない。だから当然。でも、手紙の最後には「今も変わらず、大好きだよ。」の言葉。それを受けての歌です。こんな友人を裏切るわけにはいかない。今日はこれから家で仕事するけど、おなかがすいたのでうーばーいーつ。こーゆー暮らし、なんだか娑婆慣れしてきたなぁ、と思います
正式に工場が決まると共に新しい雑居部屋に移されました。新人教育の時と同じで、6人部屋に女子受刑者8人とかなり狭いです。それに新人教育の時の雑居部屋とは違い上下関係も厳しかったです。私が入れられた雑居部屋は、累犯の方が多く6回刑務所に来ている人もいました。薬で入った方が半分で残りは私を含め別の罪でした。女子刑務所の人間関係は男性の刑務所よりもややこしいです。受刑者の間でもカーストがあり、序列は部屋に入った順で決まります。新入り受刑者は、序列が一番下で扱いも雑です。「べべ
早くも2月ですね。3月まで休みがないと書いていたのですが、実は本日有休を頂くことができました。せっかくの休みですがお昼過ぎまで爆睡しておりました。体調は、未だに回復せず相変わらずお薬に頼りながら生活しています。母に「薬の量が多すぎるんじゃない?」と心配されたのですが、飲みながらではないと仕事ができないので辛いところです。ちなみに逮捕されるまでは、体はかなり丈夫でした。風邪なんか全然ひいたことがなく学校も仕事も休んだことがありません。しかし、逮捕後から免疫が一気に下がっ
同じ拘置所から一緒に移送されたのは私を入れて3人だった移送される時どこの刑務所に行き刑期はいつまでと確認され車に乗り込んだ到着した時11月なのに寒さが厳しい曇ってるだる〜んそんなとこだった荷物を持って「新入室」入った時刑務所では『先生』と呼ばれる職員に「服のサイズ」「靴のサイズ」を聞かれてから1人ずつ真っ裸になり身体の検査をされるピアスの穴がいくつとか手術跡があるかとか刺青タトゥがどこにあるとかもちろんお尻の穴も見られるその場でジャンプして下の穴にな
私がW刑務所に移送されたのは、8月の暑い時期でした。それに拘置所の時の記事にも書きましたが、私が刑務所に移送されたのは記録的な猛暑が続いた年です。移送された刑務所には、拘置所に引き続き職員の部屋以外、冷暖房はありません。小さい扇風機(夜のみ使用可)が一つあるだけです。なので夏場は、汗がびっしょり作業着や部屋着にくっつき気持ち悪かったです。自由に拭いたり扇ぐことは、許されていなかったので、汗が流れてもただ我慢するだけでした。そのせいか、服役中の夏は常に汗疹に苦しめられました。
明日は、出勤時間が遅いので少しだけ日記を書きます。相変わらず体調は、不安定でお薬に頼りながら仕事をこなす毎日です。さらに今日は、普段は優しいお客さんが酷く酔っていて別人のようでした。暴言だけでなく殴られそうになったので思わず逃げました。他にも色々なお客さんがいていつも警察沙汰に巻き込まれないかという不安があります。警察沙汰になれば身分照会で元受刑者だという事が一発でバレてしまいます。そして数か月前からお金の管理も任されるようになりました。信頼して任して頂いているのですが常に
女性刑務所も男性が入る刑務所も洗濯工場というものがあります。しかし女子刑務所は、男性の刑務所とは違い下着や靴下など直接肌に身に付ける物は自己洗濯しなければいけません。自己洗濯だったのは、性病や水虫など感染病対策だったと思います。自己洗濯は、作業後の余暇の時間(土日祝日は午前)に行います。洗い方は簡単で洗濯板を使って水で洗い汚れを落として各受刑者に与えられた専用のサークルに干します。※部屋で干す事はできません。面倒な作業だったからか私をよくイジメていた同室のYさんは、自己洗濯の時間
結局、6月の下旬にアカオチして受刑者になってから1か月以上は拘置所にいて8月になってしまいました。体調の方ですが、7月に崩してしまってから食べる量は減ってしまいましたが少しずつ回復していきました。でも、8月に入りさらにも増して暑くなり、昼間はサウナ状態で夜は寝付けない日も多かったです。8月に入ってすぐの午前中、刑務作業の途中で先生に呼ばれ「領地調べ(荷物検査)するから」と言われました。つまり移送される女子刑務所が決まったという事です。部屋に連れて行かれ先生に聞かれながら拘置所に預け
迎えた移送当日。点呼・朝食を済ませると先生から先にトイレを済ませておくよう言われました。トイレを済ました後は、軽く身体検査をします。終わると新入り調べをした部屋へ連れて行かれました。部屋に入るとスーツ姿の職員が待機していました。移送されるのは、私を含めて4人です。その後、前日に選んだ薄手のトレーナーとスウェットパンツに着替えます。そして、荷物を持ち並んで待機します。並び終えると、今からW刑務所へ行く事を告げられました。移送先を伝えられた後は、手錠・腰縄をされて4人一緒に
仕事が忙しくブログの更新がまたもや滞ってしまっていました。気が付けばもう春ですね。しかし、まだまだ寒くて湯たんぽは欠かせません。ブログが滞っている間、メッセージを頂きました。とても温かい言葉で溢れていました。私は20代の一番大事な時期に事件を起こしてしまいました。そして、女子刑務所で受刑者として過ごしました。事件後は、いつ死んでもいいと思い続けていました。出所後も、そのように思いながら自分の心身を痛めつけ休まずに仕事をして過ごしてきました。ブ
私が刑務所へ移送されてから暫くして父と母が面会に来てくれました。実家から私が収容されていたW刑務所へは、かなり遠く時間が掛かるのでとても大変だったと思います。父と母は、電車とバスを乗り継いで面会に来てくれました。さらに父と母は、私と面会する前に有名なお寺へ行ってきたらしく、母は「(私)ちゃんが健康で幸せでありますようってな。お願いしに行ってきたからな」と言ってくれました。父も厳しい事を言いつつも父なりに刑務所での生活を応援してくれました。私の場合は、逮捕されてから刑務所を出所す
半年以上前の記事にも少し書いたので重複する部分があると思います。申し訳ございません。出所後、私は元受刑者だと知った上でパートとして雇って下さる企業様と運よく巡り合う事ができました。元受刑者だという事は、入社時点で”総務の方と直属の男性上司だけ知っている”という状態です。同僚の方達には、絶対に知られたくないので言わないで欲しいと前もって伝えていたからです。しかし、噂好きの直属の男性上司は古株の女性社員何人かに話してしまいました。入社して1週間後には、噂はどんどん広まり同じ部署の
忙しく働き続けた9月が終わりいつの間にか10月になっていました。本当に早いです。9月中に日記を更新しようと思っていたのですが、実家で飼っていたペットを亡くし悲しみでいっぱいになっていました。その子は、私が逮捕されてから刑務所にいた約5年間ずっとずっと心の支えになっていた子でした。そして、出所してからやっと会えたものの仕事が忙しくなるにつれ殆ど会う事ができなくなっていました。久しぶりに会った時は、少し高齢になっていたものの元気でした。元気だから、まだまだ会えるだ