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羌族は3000年以上前から存在し、縄文人のルーツであり、春秋戦国時代の斉を建国し、秦の国も同族の国で、ついには斉、秦は日本列島に渡来し、邪馬臺国からヤマト朝廷になりました。我々の本家である羌族を調べる。世界遺産の九寨溝、四川省西北部の「アハ・チベット族・羌族自治州」参考①中国文明:遊牧民族「古代羌族」の歴史(参考)を丸々コピぺし、新知識を挿入しました。この「羌」とは一体何者なのか?調べてみました。>羌という文字は甲骨文のなかに頻出する。商(殷)王朝と戦って捕らえられた羌人は人身御供
〈八十八夜〉雑節のひとつで、立春を起算日(第1日目)として88日目(立春の87日後の日)にあたります。もともと、太陰暦がベースとしている日本の旧暦では暦日と季節が最大で半月もずれるため、太陽暦をベースとした雑節として起こり広まったものです。ちょうどこの頃、種まきや田植えの準備、茶摘みなど春の農作業を行う時期にあたります。八十八夜の数日後には二十四節気でいう「立夏」になることもあり、昔の人びとはこの時期を「夏の準備を始める目安」ととらえていました。八十八=888を横
古代から数多くの王朝が興亡した地域で、部族の名前が由来で狭い地域名が起源のペルシャ、アーリア人(高貴な人々の意)の土地を意味するイランの2つの呼び方があり、1979年にイスラム共和国となるまで併用されていました。1925年成立したパフラヴィー朝(パーレビー朝)は英、露の進出で弱体化したガージャール朝に代わって政権を得たものですが、反米イスラム革命により2代50年余りで廃位させられています。かつて大帝国を築いたこともありイラン系の人々は国外にも多くおり、タジキスタンやアフガニスタンの半分近くは