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あさんぽは広島城にします基町市営アパート沿いの河岸はお花見客でいっぱい三篠橋を渡って対岸に出ますこちら側もあちら側も太田川の両岸は花見客だらけ今日はサンフレッチェ広島の試合がありますみんなサンフレッチェカラーに身を包んでいますすごい行列通り抜けに少し待たされましたここから広島城に足を延ばします花曇りの空お堀の草をはむはむ~被爆樹のユーカリの幹触ってエナジーをいただきます再びエディオンピースウィング広島の前を通って帰ります天守閣には上らなかったけれどエディオンピ
※本ブログで使用している画像の著作権は全て著作権者に帰属します※作品に出てきた愛知県東海市を訪問したので、その時の記録の備忘録的まとめ。名鉄太田川駅(と大池公園)太田川駅周辺は五つ子たちが通っている学校もあり物語の中心となっている。南改札まずはここからスタート周りの人の邪魔にならないようにするとこのくらいの角度が限界かな?原作95話階段南改札の右手側(西出口)から外に出た右ななめ前原作7話ラスパ太田川前階段の更に右手奥風太郎と五月が江場部
安芸高田市から広電バスで約1時間半、「広島城」(広島県広島市中区)を目指します。外観復元コンクリート造りの天守(南面で走櫓と南小天守を繋ぐ連結式天守だった)「広島城」の歴史と城主についてをお話しておきます。「毛利元就」の長男「隆元」が「吉田郡山城」からの移転を決断し、その子の「輝元」(元就の孫)が、当時京都にあった「豊臣秀吉」の居城「聚楽第」を参考にして築城しました。縄張りは、「聚楽第」と相似形であると言われています。しかしながら、関ケ原の戦いに敗れた「輝元」は、「広島城
桜は満開で受けた雨のため散るのはあっという間でしたどこもかしこも花びらに敷き詰められてふみふみしながらのあさんぽです桜越しのエディオンピースウィング広島広島県立総合体育館&子ども文化科学館広島ゲートパークの花壇にシャガが咲いています帰り道も桜の花びらをふみふみ……新緑のまぶしさも感じる素敵な季節基町の河川敷緑地帯はのどかです子ども文化科学館の前の桜も見事濃淡の桜が美しいこの枝垂れ桜は今が満開でしたソメイヨシノとの濃淡が美しくてパチリここから太田川河岸に下りて帰りま
今日も太田川に尺アマゴを求めて行ってきました!実は先週も出撃してましたが書くことが何もなかったのでパス。。本流はとにかく渇水+ハヤやオイカワの猛攻で、どうしようもないんですよね。本来アマゴが好きそうな流速、水深の流れは外道に占拠されており、ならばと流心のかなり早い流れを流してもハヤ、ハヤ、オイカワ、ハヤ。緑藻もキツいですし。。コレは一度、大きく増水しないと厳しいなーと思いつつも、上流なら水温もいくらか低めでアマゴの活性が高いかもと考え、本流でもかなり上流に入渓しました。5時頃から実釣開始。
いやー久々の投稿です。4月から広島に転勤単身赴任となりました。車も持ってこず、かなりミニマリスト的な生活をしてますが、荷物の少ない渓流釣りの道具だけは持ってきてました笑。ようやくこちらの生活も落ち着いたので、今日は太田川でアマゴを狙って本流釣りに行ってきました!太田川はサツキマスでも知られている川だそうで、アマゴは支流のみで本流には放流してないそうですが、本流尺アマゴも結構いるらしい!6.5mの流覇ではちと厳しいかもですが突撃じゃい!釣行を決めてから、太田川についてはネットやYOUTUB
4月28日投稿記事5月3日追記追加画像あり【名鉄太田川駅】名鉄(めいてつ)…名古屋鉄道の略称。名鉄は愛知・岐阜を走る私鉄。太田川駅…知多半島を走る、名鉄常滑(とこなめ)・空港線と、河和(こうわ)・知多新線線の分岐駅。そして太田川駅は、愛知県東海市の玄関。東海市は名古屋に隣接し、伊勢湾沿いに新日鉄住金名古屋工場やトヨタ系の愛知製鋼などがある別名‘鉄の街’。******************ありし日の太田川駅。これは西側改札出口付近。2013年頃の風景。自分がウォーキング始
今日は久しぶりのクラシックコンサート。いつもの愛知県芸術劇場ではないので、まずは名駅でランチ。12時ちょうどというのに奇跡なのか、待ち人1組。蕎麦松玄・ゲートタワーモール・つけとろろ蕎麦とミニ天丼大変美味しくいただきました。ワインは我慢ね。コンサートで寝ちゃうといけいなので。それにしても名古屋駅前は人でごった返してます。少し時間があるので高島屋をウロウロ。気づいたら春物セーター買って
「日帰りお城巡り」の「お城紀行」を投稿していましたので、一時中断していた下記のシリーズを再開します。『①外圧で開国を迫られ、安政の大獄や将軍継嗣問題、攘夷運動等が高まる中で、幕府が威信低下し、そして、②最後の将軍”徳川慶喜”が大坂から江戸へ逃避していくその間に起こった出来事に纏わる「お城」を採り上げる』シリーズです。前回までは、尊王攘夷に凝り固まった「天誅組」や「長州藩」配下の「騎兵隊」浪士達が各所で反幕行動に出て襲撃を加えた、お城や陣屋、代官所をお届けしました。その結果、幕
前回のBlogで漁協が勝手に遊漁事業の中止を決定と書きました。この太田川漁協さらなる行動を起こしました。アユ釣り中止で県に補助を求める要望書「県が管理するダムから流れ出た水の濁りでアユ釣りができない」静岡・森町太田川漁協「県が管理するダムから流れた水の濁りで、アユ釣りが出来ない状況となっている。濁りの対策と漁の中止に伴う補助を求めたい」濁りの対策の件はわかります。ただし、これは漁協だけが要望する問題ではありません。それよりも漁の中止に伴う補助とは一体何のことを言
3月に気田川水系と太田川水系に合計4回行きましたが、全く釣れず坊主状態「今日こそは釣れますように!」と祈って、午前9時過ぎに出発。途中、森町の知り合い方に「シラス」を届け寄り道。吉川沿いの桜が満開状態です(今週末には散ってしまいそうです)。最近は、気田川に行くのに『徳川家康ゆかりの地。戦国夢街道』を通って行きますここの道は、テレビ番組の『ポツンと一軒家に出てくるような細い道でハイキングコース』となっています。もし、この道を車で通りたい人は、地元の人優先でゆっくりと走行して
広島県安芸太田町加計の吉水園の続きです吉水園の外には鈴木三重吉の文学碑がありました明治39年鈴木三重吉は気の病にかかり同じ夏目漱石門下であった親友の加計正文氏(隅谷22代)を訪れ初秋の一週間をこの吉水亭に滞在し名作『山彦』を書きました先日『漱石と広島の会』で鈴木三重吉ゆかりの地を歩きこのエピソードを聞いていたので実物とのご対面ですさて『吉水園』を出ると『百句苑』への道しるべがあったので石組みされた細い坂道を上がってみました太田川と加計の街並みが一望できる場所です広島観光ナ