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ご訪問ありがとうございます。ヤマトタケルとちょっと離れてしまいますが( ̄▽ ̄;)今回は「古事記」と柿本人麻呂の関係をもう少し···「古事記」は、おそらく皆さんが日本史で習われたのは712年に、「日本書紀」(720)に先立って成立したという事なのですが、現存の「古事記」を最初に紹介している文献は、平安時代に太安万侶の子孫の多人長オオノヒトナガがまとめた「弘仁私記」で、編纂当時の記録である「続日本紀」にはなぜかいっさい記述がありません(*´・ω・`)bそのため、同じように古代の歴史を
産土神社鑑定士・開運カウンセラーの星野まりなです古事記を巡る旅1からはじまり『古事記を巡る旅〜その1天武天皇と持統天皇』産土神社鑑定士・開運カウンセラーの星野まりなです行ってきました〜〜〜!!3ヶ月前から楽しみにしていた、奈良は、古事記巡礼の旅💓私が昨年から習ってお…ameblo.jp前回その2奈良の藤原京と飛鳥坐神社、そして萩王での素晴らしいランチ後…『奈良-古事記巡礼の旅その2』産土神社鑑定士・開運カウンセラーの星野まりなです奈良、古事記
文武・元正天皇も紹介しますが先ずは元明天皇陵奈保山東陵(なほやまのひがしのみささぎ)43代元明天皇(げんめい)所在地:奈良県奈良市奈良阪町今回は古事記編纂最後の回で元明天皇が古事記編纂再開を命じ、太安万侶が712年に元明天皇に献上したので古事記は完成。つまり元明天皇の再開の命が無ければ、古事記は世に出なかったのです・・?ちなみに、41代持統天皇43代元明天皇44代元正天皇は女性天皇です
太安万侶(おおのやすまろ)今回は古事記ゆかりの人びで、太安万侶です。前回も紹介しましたが、天武天皇の命より稗田阿礼(ひえだのあれ)と共に編纂に掛かりました。まずは、太安万侶墓から・・・1979年に奈良市此瀬町の茶畑から安万侶の墓が発見されて、中から火葬された骨や真珠・木片に貼り付けられた銅板の墓誌などが出土したそうです。これにより太安万侶は実在の人物と証明されたそうです。レンタカーで奈良市郊外の道を走ると標識が・・あいにくの雨。。。標識か
賣太神社(めたじんじゃ)前回に続き古事記ゆかりの人びで、今回は賣太神社稗田阿礼(ひえだのあれ)です。稗田阿礼は太安万侶と共に古事記編纂を行う為に全国?を回り各地の神話や伝承を暗記し太安万侶が記録して編纂されました。阿礼は記憶力抜群の人だったらしいです。ちなみに、阿礼は世間的にも男性説が有力ですが、個人的には女性と思っていました。で、尋ねたら賣太神社では男性との事です。やっぱり、男性なんですね!所在地は奈良県大和郡山市稗田町319ここは、周囲に堀をめぐらせ
天武天皇・持統天皇陵檜隈大内陵(ひのくまのおおうちのみささぎ)40代天武天皇(てんむ)41代持統天皇(じとう)所在地:奈良県高市郡明日香村大字野口「古事記」は天武天皇が日本の神話や古代史を後世に伝える為に、太安万侶(おおのやすまろ)を中心に編纂を命じ、稗田阿礼(ひえだのあれ)と共に始まりました。しかし天武天皇の崩御により、一度中断しましたが、元明天皇(げんめいてんのう)が再開を命じて712年に献上したそうです。なので、言いだしっぺ・の夫婦でもあ