ブログ記事16,684件
皆様お疲れ様です前回の記事で週末に熱海へ行ってきた事は書かせていただきました。大まかな内容は前回書いた感じなんですけど私なりに今気になってる事や聞きたい事など子供たちとゆっくり話す良い機会だったのでそんなに長い時間は話せなかったんですけど話をしてきました。今回はその話ですまずは次男話をしたのはサウナの時でした。次男には長男への気持ちは普段から割と多く話しており度々記事にもしているのでなんとなく分かってはいましたので今回は私が次男に対して気になっている事を話して
今から4年前に書いた内容です私が子どもを亡くして日が浅い時藁もすがる想いで必死に息子の魂を求めていた頃その当時オーラの泉や天国からの手紙の番組に出ておられた江原啓之氏さんを知りましたあの世をまったく信じていない死んだら無になると思っていた私とことん疑い調べる性格でしたので本物なのか自分の目で確認する為に江原啓之氏の本を何冊も読んで他の本との矛盾点を持ちながらその当時は直ぐに満席になる講演会へ数回行きました
今年もりおちゃんの朝顔を植えた。種を蒔いたのはゴールデンウイークに入ってすぐの頃。1つ目の芽が出たのはりおちゃんのお誕生日の翌日、5/6だった。その日からどんどん芽が出だして成長し続けてきてる朝顔。今も毎朝、笑顔のりおちゃんの写真を抱いて朝顔を見に玄関を出る。まず玄関ドアの横にあるりおちゃんの植木鉢の成長を見て写真を撮る。次はプランターに植えたたくさんの朝顔たちを見て写真を撮る。ここ数日、また今年も精霊飛蝗が来てくれるかなぁ、もう来てるんかなぁって思いながら葉っぱを観察
江原さんが亡くなると意識だけになり、感応の世界になるから、会うというより感じあう。と言っていた。なるほどなるほど。寝る前に私はいつも、なんやかんや考えながら寝るのだけど、死んだら、このなんやかんや考えてる私の意識だけになるのかな〜、と想像する。ふわわ〜んとした私のオーラが、ふわわ〜んとしたあの子のオーラと出逢い、【逢う】のかな。難しいな。想像ではこんな感じなのだけど、実際はどうなのかな?ワクワクする。でも、お迎えの時は必ずあ!あの子だ!と分かる姿で来てくれるらしいから、それは嬉し
自分の気持ちを整理するために、また息子のことを記録しておくために、始めたこのブログ。こんなにアクセスがあると思っておらず、つらつら思うがまま書いてます読みにくかったり、あまり良くない表現があったりしたら申し訳ありませんこの日の朝にラミナリアを抜いて、バルーンを入れたんだったかな?1時間おきくらいに、なんか飲み薬も飲んでお腹が張ってくるか機械をつけて測ってた。グリグリ内診も何回かあってめちゃくちゃ痛かったな。でも、痛みは息子を亡くしたという現実に比べたら全然耐えられたな。確かお昼くらいの時点で
今日は通院だった。グレードのいい卵で、着床すらしなくなったから、色々自費の検査を勧められた。何でも快く答えてくれるいい先生だった。でも、「ある時期から、染色体異常の卵しか出なくなる可能性もある、それがもしかしたらあなたは38歳なのかも」「34週まで行けた子を採卵した2年前と同じように行くとは、考えない方がいい」という言葉がグサグサ突き刺さり、泣かないようにすることしかできなかった。高額な検査を勧められて、検査をした方がいいのか、移植を繰り返したらいいのか、自分がどうしたらいいのか、
昨日は死産後1ヶ月健診でした。あの病院に行くのはものすごく気が重かったけれど、決して悲しいだけの思い出ではない病院。健診で4Dエコーで息子に会えるのを楽しみに通っていた病院。幸せな思い出もある。だから行かなくちゃ!と気持ちを奮い立たせて行ってきた。配慮してくれて、外来のない日曜日にしてくれたんだけど、この日に退院するご家族とたくさんすれ違いました玄関で写真撮影するご家族…裏口から棺を持って泣きながら退院した私たちと違いすぎて眩しかったいつか私も向こう側に行けるだろうか…健診の内容は…悪
なんと‼️北九州市でお話会開くって✨✨⬇️⬇️⬇️私も参加したいけど、、、今回は泣く泣く断念💧行きたい場所✨会いたい人✨食べたいケーキ✨登りたい山⁉️いろいろな思いがある場所での開催です。何度聞いても鳥肌の話✨(いつも新しいサインの話が入ってバージョンアップしてますよ💕)あったかい気持ちになって、子供達を凄く近く感じて、存在をより強く感じられます✨席は残りわずかのようです💦私も今告知に気付きました💦今目にした方、迷ってる方は、とりあえずGO❗️です😆😆😆
何もしない、何もできない。何をする気力にもなれない。一日中、お布団のなかで過ごす日もあるでしょう。一日中、大切なあの人をただただ想い続けるだけの日もあるでしょう。一日中、次々に襲ってくる、悲しみ、苦しみ、後悔、罪悪感、孤独感、、たくさんの感情と向き合う日もあるでしょう。本当に何もしていないでしょうか?本当に何もできていないでしょうか?私が長男を亡くして2ヵ月少し経った頃。友人が、家まで会いに来てくれました。私の顔を見て、「辛かったね。よく頑張ったね。よく頑張っ
先日、2回目の月命日を迎えましたあれから2ヶ月…いつもより豪華なお花や息子が好きなお寿司🍣を用意してプロ野球中継を観たりゆっくり落ち着いて過ごせましたなんで息子が…と思う日も、まだまだあるけど最近はその思いにとらわれ続けてるわけでなく心の中で息子の笑っている顔や楽しい思い出に浸って哀しい事は思い出さないよう訓練しています笑だけど何だか今日は息子の写真を見たら哀しくて泣けてきたまだ2ヶ月だもんねいや2ヶ月も会えてないからか…会いたいなー声が聞きたいなー
保険が残り4回。これを使い切ったらどっちにしろ自費だから、保険を使い切ってから自費PGTAに進むことにした。PGTAより先に、ワンちゃんにお金を使いたくて…笑日々癒されまくりなので、メンタル面で正解だったと思う保険での採卵結果採卵8コ成熟卵5コ→顕微これから育ちそうな未熟卵1コ→顕微未熟卵2コ→✖️6コ全て顕微にして、全部受精したみたいで、最終的な凍結結果は4コ。2年前は11コ採卵→5コ胚盤胞だったから、私は採卵数の約半分は凍結できる感じなのかな。正直、数はあまり気にしてなく
今回の死産を経て、元々仲は良かったけれど、夫との絆はものすごく深まりました。私は元々、色々気にしてしまう性格で、何かをやる前言う前とか、こう言ったらこの人はどう思うかな?傷つけないかな?と結構人の顔色をうかがって生きてきました。不妊治療に専念する為に、公務員的な正職員の立場から扶養内派遣になった時も、子育てしてる訳でもないのにバリバリ働いてない自分のことを、周りはどう思うのかな?夫はどう思うのかな?とか気にしていました。夫婦だけど、そこまで全てをさらけ出してなかったのかもしれないな。かっこ
会陰はやはり避けてしまっていたようで、縫う処置がされたり、導尿をされたりした。息子に会えた喜びで、痛みはそんなに感じなかった。熱が37.9℃出ていたが、それもあまり感じず。胎盤を見せてもらった。見た目には何も異常がないらしく、「33週にしてはご立派な胎盤です!」と助産師さんに言われた笑分娩室でしばらく過ごしたあと、許可が出て息子と夫と部屋に戻った。家族3人で過ごせるんだ、嬉しい短い時間だけど、嬉しい。部屋に戻ってすぐ、ベッドを折り紙でいっぱいにしてあげた。音楽も引き続き子どもが好きそう
死産後はなんとか耐えていたのですが、今回の流産後、さすがに苦しくて少しでも楽になりたくて心療内科を予約しました。夫以外に定期的に吐き出せる場所を作ったり、少し薬で楽になれたりすれば…と考えていました。先週初診に行った時に、「あなたは重度の鬱状態なので、不妊治療なんてとてもできる状態じゃない。一旦不妊治療は中止して、半年くらい抗うつ剤を使って心の治療をしましょう」と言われました。話はよく聞いてくれる女性の先生でしたが、私の本心は、不妊治療を禁止されることが、1番心が追い詰められるんだよ
最近、思う。この世でバンバン上手く行く人と上手く行かない人がいる。ずるいなー、と思う。だけど、きっとバンバン上手く行く人は、人間に産まれるようになって、まだ2回目とかなんだ。はたまた、全然上手く行かなかったり、上手く行ってる♪と思ってたら、いきなり突き落とされたりする人は、もう何回も何回も生まれ変わってるんだ。では、その均衡はどこで取る?それは、お空だ!バンバン上手く行った人は、お空に行ってもたいしてユックリしてられない。だって、こっちで苦労してないからユックリする必要なし!さ
前日夜の出産だったので、この日は1日病院でゆっくり過ごすことに。夫もずっといられた。夫は火葬の手配や死産届の提出など、色々動いてくれていた。葬儀屋さんが病院にきて打ち合わせすることになったけど、息子のいる病室ではなくてロビーでしてくれた。「火葬の話を息子に聞かせたくないよね」と言ってくれた。夫に頼んで、息子がお腹の中にいた時に3人でディズニーに行った時の写真とか、色々写真をプリントしてきてもらって、ベッドに置いた。パパとママ、いつも近くにいるからねミルクを作って息子の横に置いてあげることは
こんばんはちょっと前に、これから仕事どうしようかな〜と書いてましたが、あれから、あるオンライン英会話の講師の求人を見つけて応募してました。面接とテスト合格して先日から研修を受けてたんですが、研修の最後のタスクにも合格した、と今日メールが嬉しい〜!!夫もすごく喜んでくれましたNくんにもすぐ報告Nくんがいるから頑張ろうと思えて一歩踏み出せたから、いっぱいありがとうを伝えました。ママを応援してくれてありがとうねまだすぐには始まらないけど、ちょ
ちょっと待って。。。頭の中が真っ白だ。。。状況が理解できない。。。Mariaがいつもと違うのは分かっていた。。。でも。。。心臓が動いてない。。。状況が理解出来ていない私に先生がエコー画面を見せてくれた。。。いつもピコピコと動いていた心臓キックしたり手を伸ばしたり動いていた手足画面に映るMariaは何一つ動いていなかった。。。涙が溢れ出てくる。。。先生:「ご主人お呼びしても宜しいでしょうか?」返事をしたくても出来ずただ頷いた。。。旦那が診察室に入ってきた。。。溢れる
こんにちは、助産師のちえみです。助産師として最後の砦のような病院勤務を経験、自身の流産・天使ママの女性たちとの出逢いから現在はフリーで女性の笑顔のために活動中です。(詳細はこちらから)★オンライン個別相談★喪失体験後の妊娠出産コミュニティ★命日数秘®︎ライフコーチングセッション東京マラソン2024ボランティアで参加できて本当によかったです!!!▼今年はなんと!グループでエントリーして当選して!!!初めての給水ボランティア!
私の人生で死を考えたのは2度ある。1度目はお腹の子が亡くなった時。今の旦那との子。まだ、私は20代だった。初めての妊娠で、妊娠自体できないかも、と言われてた私は嬉しくて嬉しくてたまらなかった。だけど、産めなかった。死にたくなった。人生で初めて、死を考えた。辛くて辛くて。こんな辛い気持ちが世の中にあるのだと言うことを初めて知った。この子とこの世で生きていけないなら、死んでこの子とあの世で暮らそう。そう、思った。それともう1つ。「生きていけるくらいの辛さだったんだ。」と
今年の連休は、パートと母の介護。今日、母を施設に送ってきました。母は、痩せてしまって、歩くのもやっとになってしまいました。もうダメだ〜って、泣きそうなんです。今までできていたことが出来なくなるのは、悲しいことなんだと思います。私も悲しんでる母を見るのが悲しいです。でもね、我が子を失うことは人生で一番つらいことだと思う、、母は精神薬を何個も飲んでいます。それを飲み込むのも辛そうで…生きるって大変なのだと感じます。息子みたいに若くして還ってしまう命もある。人生を考えちゃいま
流産の記録で、出血の話があるので、苦手な方は見ない方がいいかと思います気持ちもだいぶ落ちてるので、暗すぎる内容です長い長い1日で、自分1人では抱えきれないので、書いて整理を…1日かけて無事に赤ちゃんが出てきてくれました。心拍確認後の流産は2回目なので、流れも大体分かっていて、そこまで怖くないと思っていたのですが…やっぱり悲しい、つらい死産後に少し前を向いた心も、ぽっきり折れてしまいました。また眠れない、食べれない、泣いてばかりの日々に逆戻りです。死産を経験してから、いいのか悪いのか、
今日は死産後初めて、通っていた不妊治療のクリニックに行きました。夫も午後休を取って着いてきてくれました。ここ最近、泣く回数は減ってきてはいましたが、今日は病院に出発する前に息子の骨壷を抱きしめて「また迎えに行くからね…」と話しかけながら号泣完全に病んでいます笑でも、元気な赤ちゃんを抱くことでしか、この悲しみは和らいでいかない、そのためには母である私が頑張らないと、そのハッピーエンドには辿り着けない…だからまた頑張ることに決めたんだ38歳、タイムリミットも迫ってる。立ち止まってはいられない。
4/29は11回目の月誕生日でした今月のプレゼントは、アニアのトリケラトプスにした。恐竜のおもちゃは、まだ買ってなかったなぁと。1歳のお誕生日までは、毎月プレゼントをしようと決めてから、もう11回目。その後は1年に1回のプレゼントにしようと夫と決めてる。この1年間、毎月プレゼントを考えて買いに行くの、つらかったけど楽しかったよ。お空で遊んでいる姿や、また戻ってきた時にパパとママと一緒に遊んでいる姿を想像して。おもちゃ売り場に行くのはつらくて、涙が出てきてよくトイレに逃げ込んでたけど、ひ
16週で流産した時の回想録です。病院関係者以外では私と夫しか会ったことのない、戸籍にも残らない小さな小さな赤ちゃん。どうやってこの世にやってきたか、どうやって見送ったか、辛い記憶が薄れてしまう前にきちんと記録しておきたくて、ブログを始めました。まだ書き始めて数日で、うまく文章がまとまりませんが、予想外にたくさんの方が読んでくださっていることに驚き、たくさんのいいねをいただいたことに感激しています。ありがとうございます。少しずつ思い出しながら、続きを書いていきたいと思いますので、お付き合い
息子が産まれた日のこと。死産だったけれど、とても幸せな気持ちだった日のこと。一生忘れない。前日とは違う促進剤を朝から投与される。この日も絶食。前日と比べて、お腹の張る感覚は投与後から大きかった。最初からこの薬使ってたら、昨日産めたんじゃ…?と思ったりした。夫とこの日もひたすら折り紙を折った。私たちはフットサルが共通の趣味なので、男の子でも女の子でもどちらでも、子どもが産まれたら家族みんなでサッカーをするんだろうと思っていたでも、何となく第一子は男の子が産まれる気はしていた。天国でお友だちと
BT9判定日、息が上手く吸えないほど緊張した。キーホルダーを何度も握りしめて、りっきーの写真を見て待合室で待っていた。結果は、hcg73で着床はしていたけれど、数値が低い…某サイトで継続率を調べると、49%。ほぼ半々か…。今回祝日を挟んでしまったので、BT9が判定日になってしまったんだけど、過去2回はBT7での判定だった。心拍確認後稽留流産→5134週死産→92と、2日前でもこんな感じの数値で、継続率は両方80%を越えていた。それでも流産死産だったから、継続率って何なの…って思っては
死産後2回目の不妊クリニックに行ってきました。2回目の月誕生日、息子が産まれてちょうど2ヶ月たった7/29に産後2回目の生理が来て、生理5日目までにホルモン値を調べる採血をしないと治療には進めないそうで。この間の不育症の検査結果を持って行った。私は、プロテインSというのが基準値より少なくて、それが原因で死産につながったと不育クリニックでは言われた。次の妊娠ではアスピリンは必須、ヘパリン自己注射は希望があれば…とのことだった。でもヘパリンもやった方がなお安心だそう。今日の不妊クリニックの先
出産から2日目のこの日、退院でした。最後に院長先生の診察があったけど、もう会いたくなかった。先生が悪いわけじゃないことは分かってる。でも色々フラッシュバックしてしまう産んでからも、部屋に来ても息子の顔を見てくれたりとかはなかったしな…寄り添ってくれるお医者さんなんて、ドラマの中の話だよな。帰る時に、マタニティマークを外したもうなんか、何もかも悲しい…棺に入れた息子を、夫と私で裏口から運ぶ。なんでコソコソしなくちゃいけないんだ!と思って、想像していた幸せいっぱいの退院と現実が違いすぎて、涙が
見に来ていただいてありがとうございます。いいねやフォローしてもらえると嬉しいです。自己紹介はこちらりょうちゃんのことはこちら天使のりょうちゃんのことはこちら産業医科大で可能性を疑われた「家族性滲出性硝子体網膜症」(日本小児科学会より)ですが、私たち夫婦の眼底検査で結果を見る限りでは可能性は低いそうです。ただ劣性遺伝の可能性もあるので、ゼロではないそう。もし遺伝性の病気だったとして。私たち夫婦のどちらかが保有していて、他のきょうだ