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1978年(昭和53年)10月16日に、茨城県日立市で起きた誘拐殺人事件です。早いもので、あの日から、47年が経ったのですね。。。今でもハッキリ覚えています。初めて遺棄現場の風神山(日立市/常陸太田市)を訪れたのが、2009年10月27日。あれから16年かあ。本当に早いよなぁちなみに、最後に風神山を訪れたのは、確か、2013年の10月。自己免疫性脳炎&髄膜炎から生還し(笑)、大甕神社さんにお参りに伺った時に訪れたのが最後です。もう、10年以上、訪れていないんだなあ。コロナ禍の影
1328)『1328)茨城の消えたローカル私鉄(10)日立電鉄-42回目の訪問で大橋架道橋へ1989年10』1326)『1326)茨城の消えたローカル私鉄(8)日立電鉄-3大甕(おおみか)から鮎川へ個性たっぷり』1325)『1325)茨城の消えたローカル…ameblo.jpの続きです。平成元年(1989年)秋の日立電鉄大橋~川中子(かわなかご)間の大橋架道橋1989.10.177:34上り鮎川行この前の上りからわずか13分の続行で次発が来ま
昭和63(1988)年6月に初めて訪問した日立電鉄。茨城県中北部に立地する、どちらかといえば地味な地方電鉄でしたが、茨城県5大ローカル私鉄(筑波鉄道・鹿島鉄道・茨城交通(現在のひたちなか海浜鉄道)・関東鉄道・日立電鉄)の一角をなし、その中で唯一の電化鉄道でした。現在は廃線となってしまいましたが、日立電鉄も記憶と記録にぜひ残しておきたい路線のひとつ。昭和63年6月14日、早朝からの鹿島鉄道訪問(1回目)のあと、石岡から常磐線を北へ向かいました。乗っていたのは433M(上野8:4
1325)『1325)茨城の消えたローカル私鉄(7)日立電鉄-2地方ローカルきっての多種多様な総勢26両達』1324)『1324)茨城の消えたローカル私鉄(6)日立電鉄-1地味なローカル電鉄を初めて訪問-S63年』昭和63(1988)年6月に初めて訪問した日…ameblo.jpの続きです。日立電鉄の大甕駅、S63(1988)年6月14日。鮎川に向かいます。大甕で交換した常北太田行のモハ13形。12:54ごろ駅員氏(または車掌)の左足の向こうに、もと気動車ゆ