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三菱グループは創業時から子供の人身売買、イルミナティとの密接な繋がりがありました。三菱創業者の岩崎弥太郎が力を持った背景には土佐藩、明治新政府、ウォルシュ兄弟、グラバー、クニフラー商会(現在のイリス)、ジャーディンマセソン商会との癒着がありました。明治新政府の背後にはロスチャイルド家など欧米貴族、イルミナティがいますから、三菱は創業時からイルミナティと癒着していたことになります。岩崎弥太郎の右腕でキリンビールの前身のジャパン・ブルワリーの創設者であるグラバーのグラバー商会の上部組織はジャ
私の就学前後の2年間、秋田県由利郡直根村(ひたねむら、現,由利本荘市鳥海町)に住んでいました。住居には、真ん中に囲炉裏のある30畳程の板の間がありました。度々酒飲みの来客があり、この囲炉裏を囲んでドブロクを飲み、時事談義や拍子手を打ちながら皆で歌うのです。私は囲炉裏に掛かっている鉄鍋に一升瓶に入っているどぶろくを注ぎたすのが役目でしたので、否応なしに皆の話す時事談義が耳に入ってきました。その話の中で記憶にあるのは、明治天皇がすり替わったことと、大正天皇には子種が無く、昭和
🍀大正天皇🍀明治天皇🇯🇵✨8月14日14才の本物の明治天皇(睦仁親王)即位式の写真!『14才の本者の明治天皇(睦仁親王)即位式の写真!すり替わった箕作圭吾15才の写真』この写真は、本物の祐宮睦仁(さちのみや・むつひと親王=明治天皇・満14歳)が、1867年2月13日の践祚大嘗(新天皇の即位式)において、自ら舞っている貴重な記…ameblo.jp🍀昭和天皇🇯🇵🇩🇰8月13日『25才の明治天皇』1877年(明治9年)撮影伊藤博文に暗殺された!!『『2
新年あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。昨日は年末に借りてきたこの本を読んでいました。大正女官、宮中語りAmazon(アマゾン)${EVENT_LABEL_01_TEXT}語り言葉をあまり修正せずに、そのまま出版しているので、読みやすいとは言い難いですが、興味深い内容です。大正天皇のお側近く、御毒味の役もされていた椿の局という女官のお話。皇居内の皇祖神に仕える内掌典のお話は以前読みました。皇室の祭祀と生きて:内掌典
又次の日庄内緑地にばらは満開に近いよ旅物語り続けますこんなところに来ました♪沼津御用邸は、明治26年(1893年)、大正天皇(当時は皇太子)の静養のために造営された施設。園内には、西附属邸御殿、本邸苑地、梅園、新主馬(旧厩舎)、そば処(旧官舎)と東附属邸、茶室(駿河待庵)などがあり、現在は記念公園として一般公開されている。
天皇家の歴史とか興味持った事ないけど、サクッと見てみたらなかなか興味深かったです。見てみたきっかけはこの大正天皇のお母さんのビデオ【柳原愛子】明治天皇の側室として皇室を救った衝撃の生涯#皇室#天皇#歴史今回は、大正天皇の生母として皇室の血脈を繋いだ明治天皇の側室である柳原愛子の生涯について解説していきます。このチャンネルでは皇室の歴史や天皇の生涯について紹介していきます。チャンネル登録やコメントをしていただけると嬉しいです。【目次】00:00オープニング01:08生い立ち03:1
大人の休日倶楽部パス、すでに初日の東京出張でモト?はとっていますが、4日間有効ですし指定席利用も4回残っているということで当初は東京にいる長女とどこかで合流しプチ旅行でもとの計画でしたが仕事の調整がつかなくなり、結局、家族と二人で日光に行くことに。日光は2014年の大田原マラソンのあとの訪問以来ですので、ほぼ10年ぶり?当時は、平成の大改修とやらでカバーがかかっていて色々見られなかったという思いでしかありません。その時は定期観光バスに乗り中禅寺湖なども観光したのですが、当時ほど若くはな
華族の令嬢として生まれ育ち、昭和天皇の末弟で、上皇陛下の伯父にあたる三笠宮崇仁親王に嫁ぎ、我が国の昭和の皇室では昭和天皇の2男5女に次いで3男2女という子宝に恵まれるも、3男とも相次いで若くして逝去。実家の父は娘の宮中入りの後に自殺という悲しみも味わっておられます。■ご成婚。百合子さま。■踊る宮様。■家族・親族と。最愛の長年連れ添った三笠宮さまの葬儀にて。昭和から平成へのお代替わり。赤十字大会。秩父宮妃・高松宮妃と新婦の母である百合子あはドレスのお色を合わせておられます
杉津です北陸本線旧線杉津駅跡は、現在杉津PA上り線(米原方向)として活用されています北陸旧線の探索をしていると、おのずとここ杉津駅にたどり着きます当日は曇天の為、ぱっとしませんでしたが杉津駅跡からは敦賀湾が眺望出来ます天気のいい日に撮った写真正確には写真は下り線杉津PAで、上り線より少し高い場所からの景色となります海に面して広がるのが杉津集落集落からPAまでは木々が生い茂っていますがこれは戦後の植林によるもの昭和24年の杉津駅と集落までの斜面棚田
京阪本線守口市駅と西三荘駅の間に、こんな物が残されているのを御存じでしょうか。「大正天皇御下車跡」の記念碑と言うか、記念石と言うべきでしょうかね。1910(明治43)年10月4日、時の皇太子(後の大正天皇)が淀川で行われた陸軍工兵特別大演習に御台臨された際御仮泊所となった難宗寺の最寄りに駅が無かったためこの場所に守口臨時駅を設置して、御下車されたのだとか。守口(今の守口市)駅は、京阪本線開業と同時に開駅しているのですが難宗寺との間に距離があり過ぎるので、臨時駅を設置したのでしょうね
今まで近くまで行ったことはあったものの行ったことはありませんでした。よく昔は多摩御陵と言われてたような・・・。東京都八王子市の高尾に近い場所にあります。電車だと高尾山の手前の駅…京王高尾駅かJR高尾駅北口から徒歩約20分くらいでしょうかね・・・・(予想)多摩御陵・武蔵野御陵東京都八王子市長房町1833042-643-3115東日本ではじめてつくられた天皇陵で、大正天皇・貞明皇后と昭和天皇・香淳皇后の陵があります。詳しくは宮内庁の御陵サイトへ武蔵陵墓地には、多摩陵、多摩東陵