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松代大本営(舞鶴山地下壕)長野市松代町西条3511松代大本営は大日本帝国陸軍において計画・推進されたもので、太平洋戦争末期、皇居・大本営・政府中枢機能移転のために長野県長野市松代地区などの3山(象山=イ、舞鶴山=ロ、皆神山=ハ)を中心に掘られた地下壕群を指す。3つの地下壕の長さは10kmにも及ぶ。陸軍は昭和19年4月より本土決戦態勢に入る。特に「東京から大本営および政府機関を地方(松代)に移さなければ、本土決戦は行えない」との立場を貫く中堅将校たちは地方への大本営の建設を推進した。中堅
今回だけは、フィンシュハーフェンの第一線から離れて、時期的に少し前の昭和十八年(1943年)の日本でいう初夏。大本営(特に陸軍部)や第八方面軍が、ニューギニアに関し何を考えて何をしたのかを振り返ります。結局のところ計画どおりに行かなかったので、省略するつもりでした。すなわち、日本軍が5月から6月ごろにかけて検討したニューギニアの攻略作戦は、6月末日に始まった連合軍のカートホイール作戦で中断し、9月に至り敵が中部ソロモンのマダン、ニューギニアのサエ・サラモアの飛行場を制圧し、フィンシ
市ヶ谷・靖国神社①はこちらです。https://ameblo.jp/jsdf-nao/entry-12853272409.html大講堂は極東国際軍事裁判、所謂、東京裁判が行われた場所です。この東京裁判では、●A級犯罪:平和に対する罪●B級犯罪:通例の戦争犯罪●C級犯罪:人道に対する罪の容疑として、日本人28名が裁判にかけられました。東條英機をはじめとする7名が、A級戦犯とされ死刑になった裁判です。東京裁判についてわかりやすく解説
大本営から発表されたタミチャレ2024レギュレーション詳しくはこちらhttps://d7z22c0gz59ng.cloudfront.net/cms/japan/rc/event/challengecup/images/2023/12/cc241211.pdf
どーも、子連れおーかみです。ようやく週末です。しかし、仕事は後から後から降ってきて来週になったからといって楽になるわけでは有りません(泣)。しかし、ここが正念場。何とか持ちこたえて、次につなげたいと思います。さて、沖縄決戦です。史上最も遅いペースかも知れませんが、それ位面白いです。3月23日に姿を現した米軍は、猛烈な艦砲射撃と爆撃を開始し、更に前進基地設営の為、3月26日には慶良間列島の渡嘉敷島に上陸してきました。そして、迎えた1945年4月1日早朝。海軍通信