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さて、卍巴に降る雪の中、日本橋本石町三丁目の公事宿『小山屋』を出た大石内蔵助は、サクサク、サクサクと其の雪を踏み締めながら、向かう先は麻布の南部坂、三次浅野家の下屋敷で御座います。此処、三次浅野家には、亡君の内儀(奥方)阿久里、今は剃髪し尼と成りました瑤泉院が預かり於かれます。伴に参りますと言う倅主税には、宿の精算を申し付けまして、一人、黒の紋服の上には二つ巴の麻裃、仙台平の新しい袴に白足袋の雪駄履き。威風堂々たる大石内蔵助の出立ちに御座います。薄い合羽に柘植笠を被り、傘を差して雪の中で
既に、この連続ドラマも半分を過ぎまして、赤穂浪士の目的も、吉良邸討入り!ただ一つと絞られたのですが、このドラマ、三十話を過ぎて、恐ろしいくらいのダレ場に突入致します。つまり、前回ネタ振りをした天野屋利兵衛の武器調達噺も、その続きの『天野屋利兵衛は、男で御座る!』の噺を期待して観たのですが。。。違いました。まずは、本傳の方の物語です。大石内蔵助は、一旦は『清書』に血判を押した同志面々に、真意を確かめる必要が有ると、強く感じていた。そこで内蔵助は、『清書』に血判した大石家の身内、父方の叔父で
山田宗徧(岡田英次)に入門を許された大高源五(御木本伸介)が、茶会に潜入して十日余りが過ぎて、いよいよ十一月も残り五日。しかし、吉良上野介主催の、次の茶会の日程は決まる様子は無かった。そんな中、師走を前に赤穂浪士の脱落者は、小山田庄左衛門に始まり、中村清右衛門、鈴田十八(鈴木重八)、そして仲田利兵衛次が抜けて、五十名を切った状態だった。一方、渡り仲間(ちゅうげん)として、柳沢出羽守の屋敷に潜入している寺坂吉右衛門(小林昭二)から、礒貝十郎左衛門(長谷川昭男)に対し、上杉邸に米沢から来客が極
内儀・陸と幼い子供たちを陸の実家へ帰した大石内蔵助は、居を山科から京の金禅寺、門前に有る梅林庵へと移します。是は、人混みに紛れて賑やかな街中で、大坂思案橋より参る天野屋利兵衛との密会を、バレない様にする大石なりの工夫でした。そして、梅林庵には、内蔵助、松之丞、そして大石三平の三人が住み、金禅寺の門前市には、売卜師を装う三村次郎左衛門(左右田一平)と、剣劇大道芸人に扮した早見藤左衛門(和崎俊哉)が所司代と奉行所の隠密を警戒していた。そんな大石内蔵助を京都所司代の松平紀伊守(佐藤慶)と、柳生か
一旦は、上杉江戸上屋敷から出て本所松坂町の自身の屋敷に戻った吉良上野介だったが、また、見舞いと称しては上杉邸に足を向けた。そんな上杉江戸上屋敷を見張る役目を担うのは、大高源五(御木本伸介)、茅野和助(島田順司)、そして小山田庄左衛門(中山仁)の三人である。小山田庄左衛門は、百石取りの小姓上がりの江戸勤番で、父親・小山田一閑の代からの江戸詰めなので、江戸生まれの江戸育ちだから、遊び慣れていて、赤穂からの同志の中には、小山田庄左衛門のチャラチャラした性格を嫌う者もあり、小山田も赤穂組が野暮に感
公儀が表だって赤穂浪士を見張る事が無くなり、又、吉良上野介が本所松坂町の屋敷に戻ってからは、大石内蔵助を大将とする赤穂浪士は、日本橋本石町三丁目の公事宿『小山屋』に連日集まり、内蔵助の指図に従い、日夜吉良邸の探索を行っていた。そして、岡野金右衛門が手に入れた絵図面を下絵に、討入の想定問答(シュミレーション)を繰り返していたが、軍師・吉田忠左衛門には、三つの解かねばならない疑問/課題が有った。先ず一つ目は、吉良邸の表門と裏門から同時に討入った場合、吉良上野介は逃げるのか?其れとも邸内に隠れて
さて、ドラマはいよいよ『赤穂義士傳』本傳での中盤のハイライト!講釈や浪曲でもお馴染み『大石の東下り』のお噺で御座います。天野屋利兵衛から、無事に武器と打ち壊しに使用する道具一式を手に入れた、大石内蔵助は、京・大坂と自分と行動を共にして来た、三村次郎左衛門、そして、浅野内匠頭の刃傷から切腹の一番早打を、江戸から赤穂へ知らせた。早見藤左衛門と共に、大坂は堺に来て居た。天野屋利兵衛が、調達した『討入り道具』は、密かにおんぼ小屋から、此処、堺の和泉屋と言う廻船問屋へと運ばれて、大石内蔵助たちは
箱根を越えた大石内蔵助は、川崎大師に近い平間村の富森助右衛門の農家に、早見藤左衛門、三村次郎左衛門と潜伏していた。天野屋利兵衛によって調達され、和泉屋のお浜が運んだ武器、打ち壊し道具は、粗方、江戸市中に運び込まれて、最後の荷を、早見と三村が百姓に化けて、川崎から江戸へと運び込み、此れで、富森助右衛門と大石内蔵助以外の同志が全て江戸に集結した事になる。冨森助右衛門は、寛文十年、赤穂藩御留守居役・富森助太夫の子として誕生している。母は山本源五右衛門の娘である。父が早世したため幼くして浅野長矩