ブログ記事1,073件
どうもわたしです今朝は自分の気持ちを優先して婆さん(義母)に寄り添ってあげることが出来ませんでした『わたしは冷たい』どうもわたしです今朝、婆さん(義母)のところにオムツを外しに行った時婆さんが泣いていた「今朝、〇〇(父さん)が来てくれた」と…婆さんの夢にでてきたんだねなんだ…ameblo.jpさすがに少し可哀想になったしそんな自分好きじゃない何より父さんにも悪い気がして…婆さんには好きな物を父さんにはお花を買ってきましたそして仏壇にお花を飾っていると婆さんがポツリと…「〇
1月17日。(あ💦もうすぐ日付けが変わるや〜ん💦)(スローリーなオカンやからしゃあないか笑)大切な大切な娘の祥月命日。逢えんくなって…12年逢えんけど…365日、寝てる時以外は常に脳内にあんたがいてる。罰当たりかしれんけど…命日ってだけ。ただ、それだけ。常に想ってるって言いながら…ただ、それだけやなんて言うたけど…あんたの16時40分には黙祷しようって朝は思ってたのに…コロッと忘れて当選したお年玉年賀状の4等の切手シートをもらいに郵便局に行ってたし(笑)何やって
おはようございます。配達ドライバー🚚のアカペラタケシ🍀です。新規開拓のアポ取りを毎日毎日アホの一つ覚えみたいに言われておりますが〜…考え方次第✨なんですよねぇ…タケシらのアポは別に加入まで漕ぎ着けなくてもイイ。担当者が訪問してもイイか?まで。例えば…アポを取ってきて会社に報告。その後、相手からの訪問断り電話が来たとしても成績は消えない。でも、まあ…その訪問約束を話しつけるまでが大変なんやけどね💦タケシが思うに結局皆(訪問先)〜イイ人なんだよ。担当者に来られたら
ばかやろーー!寂しいじゃんか!夢にくらい出てきてみろよー!会いたいよ
高木さんのことをまとめるブログ13!前回はコチラ!『からかい上手の高木さん12談『作画の変化』『二人の見た夢』』高木さんのことをまとめるブログ12!この数字はアニメで言えば一クール終わる数字ですね!前回はコチラ!『からかい上手の高木さん11談『手を繋ぐまでの物語⑥』』…ameblo.jp前回は『作画の変化』、『二人の夢』について触れましたが、今回は3期のEDをまとめていきたいと思います。ちなみに、1期と2期のカバーEDは、下記のリンク先にてまとめてあります。1期カバーED①
夢で逢えたらGINGNANGBOYZ·DOOR·Song·2005open.spotify.comひでひできは昨晩はお疲れ様でした。『日テレ地上波副音声』プレーヤーゲストとして出演しました。#swallows#長岡秀樹#亀梨和也pic.twitter.com/fbcsyMSdeK—東京ヤクルトスワローズ公式(@swallowspr)October17,2024
一昨日、夢で…かおりちゃんそしてるーちゃんにも会えた!!(何でだろ?)自分の母親の実家に行ったら〜2人が、ひょっこり玄関から顔を出して来たの(驚⚡)2人とも、超Rockでラフ🎸✨な服着てた笑何か〜話したっけ?覚えてない。。でも、(今も生きてたの!)かおりママのRockは、相変わらず健在してた🎸✨で、るーちゃんは、変わらず年を重ねていってて。いつの間にか…ママの身長、追い越してたんだ⤴✨。(自分の、親戚の中にかおり親子が居るなんて。夢見たいだ🤩💭♡.*エヘヘ)母方の家の、親戚中で集まっ
まず、僕が惚れ込んだたった一枚のカット。ぱっと見、カブだし、グンもそう言ってます。が、『2スト125cc』とも。。。。この、向かって左側のレッグシールド、上がモリワキで、下がチャンピオン、(だと思い続けてます)ですが、自分、NGKさんのこれ、を使っているので、さすがに今まで、NGKのステッカーは外せませんでした。(本当はMOTO.DXを入れたいけどぉ。。。)今回、リアボックスも外してしまったので、思い切ってチャンピオンのステッカーに挑戦しようと思いました。強烈なステッカー剥がしを
こんにちは〜毎日毎日ムシムシ鬱陶しい天気が続きますな😵じぇんじぇん洗濯物が乾きましぇんさて今回は伝説の番組「夢で逢えたら」のコントから〜「ポチ&卍丸」ウッチャン演じる「ポチ」と、ナンチャン演じる「卍丸」!「オレたちゃヘビメタだぜパンク?ハードロック?カッカッ冗談じゃねぇぜ卍丸見ろよバットマンバットマン」と言って鼻をバットマンのマークにし自慢するポチ(後に浜ちゃん演じるプロデューサー浜さんに「鼻グロ」と呼ばれる)「パンクやハードロックのドブネズミファッションなんかした
ちょっと下のネタが入りますので、苦手な方はお読みにならないことをお薦め致します。深夜だから出来る投稿を。深夜に紹介するのはサザンオールスターズ「女神達への情歌(報道されないY型の彼方へ)」(1989年リリース)です。サザンはこれまでも攻めたテーマを取り扱った曲や、「夏」「バラード」とはかけ離れた曲調の曲をシングルにするなど、長い活動期間の中ではそういった大衆への挑戦的な曲を送り出してきました。1984年にアメリカへ渡って録音してきた「Tarako」も当時としては珍しい全英語詞で、当時のアメ