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毎年…5月2日~4日まで開催される「垂井曳山まつり」郷土の伝統文化も知らない49歳のおっさん…ネットで調べました👇「1352年(文和元年)、南北朝の争乱で北朝・後光厳(ごこうごん)天皇は南朝軍に京を追われ、美濃国垂井の頓宮(仮の御所)に難を逃れます。そこへ京の祇園社より牛頭天王(ごずてんのう)を勧請し安泰の祈祷を行うと、天皇の心労を労った垂井の人々は3基の花車を造って曳き廻して上覧に供し慰めました。これが垂井曳軕まつりの始まりと言われています。その後、五穀豊穣の祭となり、安永時代(1
今日はKさんと垂井曳山祭りへ。2年ぶりの垂井は、温かく僕たちを迎えてくれました。今日はまず撮らせていただいた人たちの写真となります。みなさん、どうもありがとうございました【朝のご家族】2歳半のOくんとママ美女です。【家の前でくつろいでいた美女たち】左右二人ずつの母娘美女です。【お母さん美女と子供たち&お友達美女】ママと子供たちはお揃いのTシャツがお似合いでした。【高校生美女たち】ジャンプした写真は右の子の顔が逆光で見えなくなってたので、着地寸前の写真としま
まつりは5/2~5/4の三日間(5/2は平日ですが、垂井の小学校はお祭り休み)。昨日は5/4の後宴の日なので、前回5/3本楽のような古式練込み(行列)はありません。そのため、準備も1時間ほどゆっくり開始されるようで、朝一で相川の水辺広場の鯉のぼりを眺めることができました。そのあと、10時半頃から東町の子供たちの化粧の様子を見学させていただきました。【相川の芝生広場にて】【見学】小学生の男子が配役に合わせ変身していきます。奥では着付けの準備をしていました。老け役の化粧
東町は鳳凰山(ほうおうざん)。屋根の上の鳳凰と鯱が目印です。今回は、スケジュールの都合で東町と西町・攀鱗閣(はんりんかく)を撮りました。【朝の鳳凰山】役者たちの準備の最中です。【攀鱗閣】ツバメの季節。懐剣を手に決意の表情、出番です。【鳳凰山】太夫の語りにも魅せられます。役者に化粧をした先生が見守ってました。明日に続く。
昨日の作業の疲れと明日のお出かけ準備で、一日のんびりと家にいました。(明日はKさんと垂井曳山祭りに出かけます)面積が半分になった庭のツツジの花も、終わりに近づいているので数枚撮ってみました。【ピンクと白】(ソニーα6000)
先日、垂井から大垣までの美濃路を歩いてみました。この日の出発地はJR垂井駅。垂井は、美濃路の起点であるとともに、旧中山道の宿場町。東の見付から、宿場を出ると、相川を渡ることになります。秋里籬島『木曽路名所圖會』(1805年)によれば、相川垂井の宿のひがしなり。現地に立つ、垂井町教育委員会の案内板によれば、かつては人足渡。人足は、垂井宿の百姓がつとめていたそうです。雪をつけた伊吹山を見ながら、相
2018年5月3日JR東海のさわやかウォーキングに参加して、東赤坂駅から、中山道沿いに垂井の街まで歩いてきました。垂井曳やままつりは、岐阜県不破郡垂井町にある八重垣神社のお祭りです。垂井曳やままつりは、毎年5月2、3、4日の3日間に行なわれます。5月2日に試楽、3日に本楽、4日に後宴が催されます。芸児たちが大人に付き添われて神社に向かって練り歩いていました。ゆっくり歩いて休憩し、また歩き始めます。芸児の衣装もいろいろありますね。
2018年5月3日JR東海のさわやかウォーキングに参加して、東赤坂駅から、中山道沿いに垂井の街まで歩いてきて、垂井曳やままつりを楽しみました。あとは、垂井駅にゴールするだけなのですが・・・・・駅が見つからないんですよね。コースの曲がり角にあるさわやかウォーキングの矢印標識も、お祭りの中では貼られていないし・・・・・うろうろと歩き回っちゃいました。マンホール蓋には、相川水辺公園の桜と、こいのぼりがデザインされてます。綺麗な湧水の豊富な街のようで、