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<2022.05.12>起稿南こうせつとかぐや姫の歴史を越えて響き続ける名曲「神田川」(1973年)。その歌碑が中野区に設置されたのが1996年(平成8年)のこと。中野区内を流れる神田川沿いの遊歩道「神田川四季の道」にある(東京都中野区中央1-13-9)。「神田川」がリリースされた年、私は5歳。当然ながらリアルタイムでは聴いていない。中学1年になって、松山千春の影響を受け、独学でアコースティックギターを覚え始めた頃、アルペジオ(ギター奏法のひとつ)の練習曲として載っていたの
11月22日午前6時、作詞家・喜多條忠(きたじょう・まこと)氏が肺がんのため横浜市内の自宅で死去した。74歳。+++++++早大を中退したのちに文化放送で放送作家をしていた25歳の時、ひとつ年下の南こうせつと意気投合。アルバム用の作詞を依頼され、南からは「締め切りは今日なんですけど」と平気な顔で言われたとか(笑)。喜多條がその日の帰宅途中にタクシーで早稲田通りの小滝橋に通りがかった時、神田川の河川整備をする都庁職員を目にする。彼はそれで、19歳の時に1年間だけ早大生の髪
昨年末に放送されたラジオ番組「オールナイトニッポンゴールド」。ここで吉田拓郎は『両国橋』を語りました。1975年に彼が作曲し、女優であり歌手であった松平純子に提供した歌です。拓郎ファンであった自分はこの歌も気に入り、よく聴いていました。しかしさしてヒットしなかったようです。レコード会社は拓郎人気を当て込んだろうに、その思惑は外れました。以来、メディアでこの歌が語られることはなかったかもしれません。今回拓郎が口にしたのも、作詞者である喜多條忠が亡くなったからでしょう。逝去は当放送の直前の