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通夜と告別式、無事に終わりました。ただ、母がお骨になってしまっても、まだ私は母がいなくなってしまった事が実感出来ないのです。家に帰って来て、いつも母に無事に着いた報告の電話をしていました。母の葬儀から帰って来たのに私はまた電話をしようとして、愕然としてしまいました。未だ心のどこかで信じていない様で、さっきまでの出来事は現実では無い、夢だよねと思いたい自分がいます。まだ、私は泣けません。どうしても、信じられない。母がこの世の、もうどこにもいないなんて。遺影写真は、母が自分で選んで作って
夜が明けてしまった。告別式の朝を迎えてしまった。11時半から始まる告別式。式が始まるだいぶ前,バイク仲間お二人が、娘に会いに来てくれた。娘が持っていたスズキの旗と同じものを、棺の中に入れてくれた。それから続々とバイク仲間が、告別式が始まる前に、一目娘に会いたい。最期のお別れを言いたい。最後にお礼を伝えたい。そう言って親族控室に会いに来てくれた。御礼を伝えたいのはこちらの方だ。もちろん本人が一番伝えた
残念なお知らせとなります。一桁台の卒業生には特に縁があると思いますが、東野高等学校開校時より勤務をされ、音楽教諭であり、当時の文化祭「東野村祭り」の実行委員会担当をされていた、望月雅枝先生が一昨日お亡くなりになりました。御年72才でした。まだまだ空に昇られるには早いご年齢ですし、来年の大同窓会でお会いしたいと望んでいた卒業生も多いと思います。とても残念でなりませんが、この場をお借りし、謹んでお悔やみを申し上げます。雅枝先生のご主人であり、元東野高等学校の数学教諭であった望月秀和先生よ
2024/03/05(火)病院で家族みんなが看取りに間に合い母の死亡が確認されたのが18:29看護師による死体(もう患者ではない)の拭き取りなどをしてもらっている間私たちは隣の部屋で1時間半ほど待ちました。母は点滴をしていたので体から水分が結構出てきました。それを手際よく処置してくれているようでした。その間、私と二女(私、三姉妹の長女なんです)は葬儀屋へ電話。各々の職場へも休みをいただく連絡。少し前に父が葬儀屋に連絡をしていたこともあり20:30には母を引き取
コロナ過で会食はなくなった。以前は、通夜と告別式は、参列した親戚はもちろん一般の方にも方全員に会食してもらっていたはず。一切なくなった。告別式は火葬して骨上げをしてからの骨葬式となった。亡くなってから一週間後のお式も、全てお寺様の都合だった。だから一週間父はずっと家にいた。関西では、現在会食は普通にしている。通夜は、遺族のみか親戚でお寿司やオードブルの会食。または助六を渡しお帰り頂く。告別式は、遺族と親戚のみ、又は無し、または火葬場からレストランに行く。だから食事の個数は
夫たっての願いによりシンプルそしてミニマムでしたがとてもよい式でした。亡くなってからの3日間は自宅で過ごすことができたので通夜として十分な時間もありました。今日のこと。黙祷と焼香後は夫を囲んで語らいの場になりました。BGMは好きなジブリシリーズのオルゴールバージョンです。皆で夫に触れ涙をながしながら、時には笑いもありあたたかい時間をすごすことができました。出棺のときの兄、弟、甥二人と仲人さん(大学時代の部活の先輩)達に運んでもらう様子をみていたら妻はもちろん上も感謝と嬉しい気持ちで胸が
翌日、告別式。夫の大好きだったものと、手紙を入れて、夫が大好きだった、夜勤の会社の制服を上からかけてあげました。最期のお別れの時…お花を棺に沢山入れてもらって、その時に、担当のTさんが、「最後は、喪主様がお顔を撫でて、話しかけてあげてください」と言ってくださいました。ありがとうとごめんねと、私を親にしてくれてありがとうと言いました。泣くなよと言われていましたが、この時は、泣いてしまいました。荼毘に付される為、霊柩車が到着。弔問客に見送られながら、私は霊柩車の助手席に、私以外の親族はマ
こんにちはご訪問いただきありがとうございます以前ブログにアップした伯父の葬儀から早くも四十九日がたち4月27日土曜日が納骨(四十九日法要)の予定だったのですが『不思議な夢と伯父の葬儀娘とお茶とカービィ』こんにちはご訪問いただきありがとうございます⭐️前回の糖内科のアップメールでもご心配アドバイスなどをいただきましてありがとうございました感謝の気持ちでい…ameblo.jpその前日の4月26日の朝実家の母親から電話がありお義姉さん(伯父の奥さん)が亡く
そして1年前4月17日は、告別式の日でした。実は告別式もどうしようか悩みました。旅立った後、次男と少しでも一緒にいたいので、直ぐに告別式するのはどうかと考えたあまり人も呼ばず家族葬にしようかいろいろ悩みました。正直、お金の事も頭を過りました。でも頭の中で、常にあったのが次男は闘病してから車椅子になり、ご近所さんや、ちょっとした知り合いに会うのは嫌がっていました。親も人と会うのを避けていました。学校と病院しか、次男の行動範囲はありませんでした。知り会いに会うと逃げるようにしていま
こんばんは乳がんステージ4と診断を受けたるーです。毎日、毎日、暑いですね💦。姉ちゃん、いろいろ世話になったね。助かったよ。ありがとう。本日は、弟の奥さんのお母さんの告別式でした。ここ数日は、お通夜などの葬儀のお手伝いをして過ごしておりました。もちろん、無理な事はできませんので、できる範囲のお手伝いです。脳出血による、急死でした。まだ、家族は受け入れられない様子です。姉ちゃん、お義母ちゃん、亡くなったんだ、、、。うちの妻は、ショックが大きくて、何もできる状況
息子は先に葬祭場に着き、控え室に入りました。家族と妹夫婦で、息子に会わせてもらえるのを待つ間に主人から初めて息子がどこでどうやって亡くなったのか聞きました。残されていた携帯の内容は初期化されていましたが誰が見てもわかるように、メモだけが貼り付けてありました。遺書でした。1つは、警察の方が見て事件性がないことがわかるように。もう1つは、家族にあてたメッセージでした。最後まで息子らしい周りを気遣う内容。息子の優しさに涙が止まらなかった。その道を選ぶしかなかったんだね。お母さん
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ご近所の農家仲間の方の告別式に参列してきましたやっぱり涙、涙でした😢😢😢お友だちの弔辞に😢最期のお別れにみんなでお棺にお花を入れてお別れの言葉をかけている時に、娘さんが何度も何度も「ありがとう、ありがとう…」と泣きながら声をかけていたら、小学生の息子さんが泣いてるお母さんの背中をさすってあげてるんですよ。それを見てまた涙😭😭😭冷たい雨が降る中、出棺をお見送りしました本当にありがとうございました🙇家に帰ってきても思い出しては涙が😢泣いてばかりいてはダメだと思って、引き出しの中を
GW休みに突入しましたが・・・我が職場では4/27~5/6までの異例な長期休暇となりました。まぁ休みを頂けるのは嬉しいのですが・・・でも私が休んでいる間に働いている方々を見ると胸が痛くなってしまって働いている間は休みたいなぁ朝起きたくないなぁ・・・と毎日思うのに、長期休暇になるとこんなに休んで良いもんだらうかと思い悩んでしまうってさ。弱ったモンですどちらにせよ1週間も休んでしまったら再び仕事初めてもやる気無くしますなあ~・・・私的には東海道新幹線ののぞみ全席指定席って
5月4日感謝してもしきれないほど有難い存在の人亡くなってしまいました65歳残念です『感謝』お出かけ後ありがとうって言うと俺の方こそと絶対言う何度でも翌日、どなたかのInstagramに見て〜!うちらが乗ってる船やなって楽しかったな〜来週は沖縄料理食…ameblo.jp家族葬だったけど、感謝を伝えてお見送りしたくて行ってみました奥様、ご長男さんとお話することができ図々しくも告別式に参列させてもらい棺にお花を添えて蓋も一緒に閉めさせてもらい最期を見送ることができましたあちら
こんにちは。お通夜が終わり、次男と最後の一晩を一緒に過ごしました。翌日は10時から告別式でした。午前9時に会場入口で挨拶高校のサッカー部中学の野球部地元の友達は2日連続で来てくれました。「今日は泣きません次男を笑顔で送ってやりますよ!」と言ってくれたので、私が「そしたら霊柩車に乗って出棺する時、何か声かけてな」って言うと「いいんですか」って聞いてきたので、「全然いいよ明るく出発したいしな」そういうと笑って「わかりました」と答えてくれました。告別式も終わり、いよいよ
皆様お疲れ様です。昨日は明るい感じの記事を書きました。なんか突然思い出し書きたくなったんですよね明るい話題(とはいえ微妙ですが)のような事も少しは口に出せる?ようになったのかな?ひょっとしたら半歩とか前に進めてる?なんて思ったりもしますが急に落ちるんでね💦自分ではどうなっているのか全然分からないです。「うんうん」と思ってくださる方もいらっしゃると勝手に思ってます笑踏ん張っていきたいですね。告別式が始まり、読経が行われる中挨拶はほぼ完成していたものの最後の言葉だけが
次の日がお通夜、その次の日が告別式でした。コロナがものすごく広まっていて、県外に住む兄家族やイトコたちは帰ってくることもできなかったけれど…たくさんの人が祖母と最期のお別れに来てくれました。あまり会う事のない親戚もたくさんいて…喪服で更に目立つお腹を見て、みんなに、「あれ⁈三人目⁇おめでとう!」と声をかけられ…「うん、ありがとう‼︎」と答える自分。。。少し複雑な気持ちでした。会う人会う人に、この子は病気なんです!なんて言えない。今、妊娠できていることは、本当に幸せなことだし
夫は朝から告別式へ筑波大陸上部の大家さんがお亡くなりに教授から連絡が来て29日ということもあり遠方からもきたみたいですいまメールがすごいみたい懐かしいみたいですね夫髪染めてなくて真っ黒髪の量もあるから他の方から若いといわれたみたい土曜日もジム友さんが夫が60歳といったらびっくりしていた‼️‼️
いつも見ていただきありがとうございますど~も、吉Guyです。去る4月21日亡くなった伯母の通夜が今日厳かに行われた。今回も師匠(父親)と一緒に祭場へ向かう。勿論、お抱え運転手の私がハンドルを握る。少し早めに到着できるように時間を設定し師匠を迎えに行き現地へ到着すると伯父と従姉妹が迎えてくれた。続々と親族が集まり始めて定刻にはこの日来れる親族が全員集合。先ずは納棺の儀から。納棺師の進行のもと30分程で無事に納棺が終了。18時から通夜式が始まった。18時40分頃無事に通夜式が終
妻から明日退院するとの連絡義父の通夜、告別式に参加するために、先生と相談して許可をもらったとのこと。当初の退院予定は順調にいって22日頃と聞いていたのに10日も早い…本人に様子を聞くも、休み休み行けば駐車場までは行けるはず。ご飯も少しずつは食べられる。病院にいても朝の検査以後はご飯食べて安静にしてるだけ。だから、どこにいても同じだと…当然、お腹のキズも癒えてなければ、まだドレーンも1本残ってたはず。大丈夫なのか…新幹線の移動は駅までや乗り換えなどで歩く時間が長すぎるので、移動するな
ご覧頂きありがとうございます東京都に住んでいます。現在52歳。15歳の時に統合失調症を患い、34歳の時に広汎性発達障害と診断され、現在2週間に1度、精神科通院してます。住まいは実家近くのグループホームで、定員6人の住人さんと仲良く暮らしています。お仕事は、就労継続支援B型と生活介護のメンバーとして2つの事業所を掛け持ちしています。田舎行って来ました19日の朝グループホームを出て外泊し、昨日帰って来た。田舎に行った日、朝
妻の告別式が終わり、少し休んでから、いろんな手続きを。以前の職場仲間から連絡が来たり、妻のお友達から連絡が来たり、そんな毎日を過ごしています。今は、妻のことを忘れることが、薬になっている。それでも、思い出してしまう…。ただいまと帰っても、「旦那さん、おかえり~」と、返っては来ない。いつものアイコンタクトを、遺影にしたところで、勿論、返っては来ない。見る度に悲しくなるので、妻の枕はクローゼットにしまいました…。今日は、妻の好きなものを供えようと、アピタに行っ
『許せないエピソード5』これは、私の大切な友人が、この世を去ることになった時のお話です。数年経った今でも、思い出すと胸が締め付けられます。私の友人は、亡くなる約5年前にガンが見つかり…ameblo.jp↑の続きです。子どもを預けて行くしかないと思って、モラ夫に葬儀への出席の許可をもらいたかったのですが、モラ夫「え!コロナ禍やのに葬式するん?そんなんいかんでええやろ。ただの友達やろ?」私の心中(こいつ、マジで言ってんの?私がしょっちゅう会いに行ってたの知ってて言ってんの?こいつに人間の心
こんばんはあかねですつい2時間ほど前、お風呂に入っていると、固定電話でダンナが応対している夜10時前のことなにごと?こんな時間に固定電話って電話の相手はばば様の一番下の妹Fおばちゃん大急ぎで、お風呂から出てこんな時間にどしたの?Fおばさんとこの叔父さんが亡くなられて明日お通夜明後日告別式だって折り返し、あかねが電話するって言ってあるえー😱亡くなった?明日お通夜?ひょえーちょっと待ったともかく、折り返しの電話を入れるあかねちゃん実は夫が亡くなったの
友人から元上司が亡くなったらしい、と連絡が。あんまりにもビックリして信じられなくて。(まだ若いので)そしたらその友人から通夜、告別式のメールが転送されてきて。本当なんだ…と愕然。元上司は、私の社会人人生で1番尊敬していた方でした。コロナ前に新橋で飲んで、また飲み行こう!と言ったきりでした。どうやら闘病されていたようで。まだ詳しくは分からないのですが。悲しくて辛くて、その日はカフェにいたのに涙が止まらず。いつも100%味方してくれて失敗を誉めてくれて社会人として、
本日朝7時過ぎ、父が永眠しました。最後は眠るように亡くなったとの事。朝6時くらいに病院から弟へ連絡が入り、私にもすぐ電話をくれたのですが、マナーモードで爆睡中につき全くわからず、気がついたのは9時半を過ぎてからすでに母親と弟妹が打ち合わせのために葬儀場へ向かっている途中でした。そんな状況だったので、私は後から2008で実家へ行き状況把握。葬儀について話をした後、お経をあげてくれるお坊さんに会いに行き、お願いをしました。今回の葬儀は家族だけの1日葬(告別式は無し)。そして初七日も一緒
夫の事故の前からずっと晴天が続いていた。大勢の方が来てくださった一般弔問の日も晴れていた。なので混乱なく進められて本当に良かったと思っている。でも、告別式の日、斎場へ向かう時突然の大雨慌ててマイクロバスに乗り降りしきる雨の中斎場へ向かった火葬が終わり、お骨を拾い再びホールへ向かう時には雨はすっかり上がり穏やかな日差しが降り注いでいた。あれは夫の涙雨だったのかな。これでお別れだよっていう…甥っ子や叔母はこの日キレイな虹を見たそう別に関係ないのかもしれないけ
<4月30日(火)雨のち晴れ>お昼から美世潯さんのご葬儀。朝イチでお風呂入って支度して少し早めに出発してお寺の近く小さなカフェでひと息ちょうど会えた優さんも一緒にカフェラテで「献杯」です。ご葬儀・告別式・初七日全て済ませ!何もかもキッチリ美世潯さんがファイルに指示していたそうで流石です町屋斎場でお見送りその後の精進落としはご無礼して優さんとおとみ丸さんを車に同乗して帰路に…お稽古着に着替えてカフェでひと息!火曜日の稽古です。前のお家の薔薇が咲
お通夜、告別式と無事終えることができた。告別式は晴天で桜の花びらが風で舞って、穏やかな春の日だった。お母さん、さすが晴れ女だな。喪主として、といっても告別式には、私の家族とお母さんの妹家族と父方の親戚のおばさん、そしてダンナさんのお姉さん3人姉妹だけだったので緊張することもなかった。お通夜はお母さんの妹家族と、お母さんの友達数名と私の友達が来てくれて、終わったあとはお母さんの話をしながら和やかな時間を過ごせた。ほんとにお母さんの友達にも、私の友達にも感謝。おばさん(お母さんの妹)はいい人