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告別式が終わって主人が急死したと聞いた主人関係と私関係の叔父、叔母、いとこ達から御霊前にお供えして欲しいと香典を送って頂き電話迄かけてくださる人もいてありがたかった。しかし主人関係の1人の叔父からは何の連絡もなし。香典やお供えが欲しい訳ではない。甥っ子が急死したと言う話を聞いても何も感じないのだろうか?と連絡がない事に私の心はざわつき悲しかった。告別式の後、主人の妹は商売をして忙しいのに週一でラインを送ってくれ私の妹は週一で姪と我が家を訪問してくれた。私の両親も高齢で体調が万全ではない
息子は先に葬祭場に着き、控え室に入りました。家族と妹夫婦で、息子に会わせてもらえるのを待つ間に主人から初めて息子がどこでどうやって亡くなったのか聞きました。残されていた携帯の内容は初期化されていましたが誰が見てもわかるように、メモだけが貼り付けてありました。遺書でした。1つは、警察の方が見て事件性がないことがわかるように。もう1つは、家族にあてたメッセージでした。最後まで息子らしい周りを気遣う内容。息子の優しさに涙が止まらなかった。その道を選ぶしかなかったんだね。お母さん
このブログは主人が2018年2月にくも膜下出血になり書いています。主人が亡くなってから一週間がたちました。なんだか夢を見ているかのようです。亡くなった日は施設から大勢の職員さんに見送っていただき自宅に帰ってきました。自宅に遺体を安置していただいて、主人はホッとしたようないい表情をしていました。連絡した次女も帰ってきて主人に対面し、泣いていました。お寺さんに枕お経を読んでいただき、葬儀社さんとの打ち合わせをして通夜と告別式の日程を決めました。翌日も細かい打ち合わせをして、遺影の写真や
今日は旦那の父親の告別式でした。生前まーー色々ありまして最後まで好きになれませんでしたが、旦那と子どもの手前出席して、親戚の人と会話したり、少しだけお手伝いをして過ごしました。GWの危篤から落ち着かない我が家でしたが、ようやく日常に戻りつつあります。子どもは忌引き休暇が使えず残念でした。
いつも当ブログをご覧頂きありがとうございます!アメトピから見に来てくれた方も、フォローして応援して頂けるととっても嬉しいです!リブログ大歓迎です。※このブログは専門家のブログではありません。そこら辺にいる悩める普通のお母さん(41)のブログです。とりあえず自分の気持ちを綴ったり抱えきれないストレスや毒を吐き出しているようなブログですので、日常の全てを書ききれていないのが現状です。そのあたりをどうかご了承くださいませ。(病院や心理士さんやペアトレなどの指導で良いと思
さようならと言ふを追ひ打ち閉す柩花の中にみ顔消え去る―初井しづ枝この度一月十二日夫熊倉貞武が79歳にて永眠いたしました。ここに謹んでお知らせ申し上げます。葬儀に関しましては、すでに遺族と友人のみの家族葬を執り行い、昨日二月二十五日はおかげさまでつつがなく四十九日法要を行うことができました。故人が生前に賜りましたご厚誼に厚く御礼申し上げます。***********************ところでわたくしが主人が急
夜が明けてしまった。告別式の朝を迎えてしまった。11時半から始まる告別式。式が始まるだいぶ前,バイク仲間お二人が、娘に会いに来てくれた。娘が持っていたスズキの旗と同じものを、棺の中に入れてくれた。それから続々とバイク仲間が、告別式が始まる前に、一目娘に会いたい。最期のお別れを言いたい。最後にお礼を伝えたい。そう言って親族控室に会いに来てくれた。御礼を伝えたいのはこちらの方だ。もちろん本人が一番伝えた
細見恭司㈱第一建設ホテルアカデミー学長さんのプロフィールページhttps://profile.ameba.jp/me映画、ドラマのほかバラエティー番組でも活躍した俳優の中尾彬(なかお・あきら=本名同じ)さんが心不全で16日に死去していたことが分かった。81歳だった。葬儀・告別式は妻の女優・池波志乃ら近親者で営んだ。
こんにちは。明日は、長男の誕生日です。23歳になります。大学を辞めて、関東から地元に戻ってきて、2年経ち今はバイトをしています。のんびり、先の事は考えず、たぶんお金のない生活を続けています長男と次男は、小学生低学年までは仲良くて、二人でよく遊んでいました。長男が高学年になり、友達と遊ぶようになってからは、次男と遊ぶことはなくなりました。中学に入ってからはほとんど会話なくたまに会話したと思ったらケンカしてたような気がします。私は、長男にはいろいろ厳しかったです。その反動かどうか
大和郡山市清浄会館で家族葬を執り行いました。人気のおてごろ葬プランです。大和郡山市清浄会館は、大和郡山市にある火葬場併設の斎場です。火葬場併設なので霊柩車、マイクロバスなど車両関係に費用を節約できます。式場は50席程の大きさで一般葬にも対応可能。待合室もあるので規模の大きい式にも対応可能です。また、8畳の和室が2部屋、4畳の和室が1部屋が付いているので仮眠や食事の場所に困りません。気になる利用料金は、大和郡山市民の方なら2時間4,000円。通夜、告別式、
『母が膵臓癌になりました53』『母が膵臓癌になりました52』『母が膵臓癌になりました51』『母が膵臓癌になりました50』『母が膵臓癌になりました49』『母が膵臓癌になりました48』『母が膵…ameblo.jp8月21日母の強い希望によりごくごく僅かな人数の家族葬でお通夜、告別式、初七日終わりました喪主は父弟は前職が葬儀関係だったため知り合い、友人、関係者に事前に依頼していたので決めることも少なく副住職の先生も知り合いで滞りなくおえることができました東京の火葬場は混雑
細見恭司㈱第一建設ホテルアカデミー学長さんのプロフィールページhttps://profile.ameba.jp/me演歌歌手の北島三郎(81)の次男で作曲家の大野誠(おおの・まこと)さんが東京都調布市の自宅で、3日に遺体で発見されていたことが7日、分かった。病死とみられる。51歳。東京都出身。通夜は7日、都内で営まれた。8日に近親者で葬儀・告別式を行う。喪主は北島三郎こと父、大野穣(おおの・みのる)氏。北島はこの日夜、都内で会見し「我が子が先立ってしまった」と声を詰まらせた。
95才の祖母が亡くなり、家族のみ、一日葬にて葬儀が終わった。母方の祖母だが、母の弟夫婦が同居していたため弟(以下、伯父と記載)が喪主となったが、実際、あれこれ決めたのは伯父の妻(以下、毒伯母と記載)と、その長女が取り仕切った。まず、葬儀が始まる前に、伯父にこちらがわの参列者全員の香典を、母からまとめて渡したが、アル中の伯父は無言で頭を下げて終わり。隣で目を光らせている伯母が光の速さで取り上げ、無言で自分のカバンにしまった。挨拶の1つも出来ない恥さらし。そして本堂にて
これまでりっちゃんを応援してくださった皆様。明日りっちゃんの告別式があります。お空に旅立つのは12時〜13時の予定です。大変厚かましいお願いかもしれませんが、もしその時間がお手隙であればお空を見上げてやってお別れしてやってください(-人-)いいお天気やったらいいなぁ〜
時系列がおかしいですが、心の整理がつかず時間が過ぎました。ゴールデンウィークに会った伯父。認知などもなく、色々と話しをしていた伯父。それから3週間後の2024/05/17突然亡くなった。私は仕事が休みで、美容院へ行く前に父から連絡があった。私の父は七人兄姉妹。その伯父は長男。因みに私の父は三男で下に妹がいる。田舎の長男で色々苦労もしただろう。その長男と結婚した伯母も苦労が多かったはず。長年連れ添った人との別れは辛いはずと、告別式前に伯母に声を掛けてあげたかった。20
今日は、会社の女性社員のご主人の告別式に参列してきました。遺影写真は爽やかなイケメンさん。どうして自ら逝ってしまったのか…まだ小さな子供さんが棺の中を覗いて「パパ!パパ!」って何度も言っていました。皆んなそれを見て泣いていました。希死念慮に取り憑かれてしまうとどうにも出来ないのでしょうか。私だって、死にたくなったことは何度もあります。でも、死ぬことは出来ない。私には事故で若くして亡くなった兄妹がいます。両親は2度も辛い思いをしました。我が子を送ることがどれだけ
昨日は母の日だから教会に届いていた花はカーネーションがメイングラジオラスの曲がり具合が楽しくて、こんなふうに活けた。百合の蕾がまだ固いのが残念実家の母には例のロスレスFLOWERで黄色とオレンジの初夏の花を贈ってお礼の電話が来てでも子供達からは何もなく、いつものようにみこ次郎がゴハンを食べに週末帰って来ただけでもベランダには原種系のジギタリスも咲き始めて嬉しいわと普段同様に過ごしていたら夕方義兄からの電話があってびっくり。この義兄、つまりダーリンの兄さん、苦手なんだ。私だけじ
ひんやりした朝。お通夜のあと息子たちと遅くまで話した翌朝。空を見上げる。うん。今日はいい天気になりそうだ。11時からのお別れの儀式を終え出棺。また空が時雨れている。雨に近いけれどまた雪だ。父の大好きな大好きな雪だ。あの日も葬儀場へ着いたとたん遠くの山が白く煙るほどの雪が降った。父の想いが降らせたような雪。雪国ではないのでほぼ執念?そんなスキー
警察の方に事情を聞かれた結果事件性無しと判断されて解剖もされずにそのまま実家に母は、いわゆる無言の帰宅をしました。母が帰ってきたことと通夜と告別式の時間と場所の連絡を兄からもらいました。さてどうしよう…です。実家まではお金はかかりますがタクシーで行けます。が、その場合通夜・告別式の会場までは実家から距離があり私の体力では歩いて行けません。誰かに車で送迎してもらうしかない。けど
同じ班内の長老の方が亡くなった。昔は班の人が亡くなったらお通夜告別式等に、とにかくお手伝いに行ったらしい。今は葬儀屋さんが全てやってくれるのでお手伝いは不要なのだ。実際、義父が亡くなった時は家族葬だったしご近所の方にも告別式まで終わってからお知らせをした。義母は「𓏸𓏸さんが亡くなったからお手伝いの連絡くるから行ってね」と朝からなんだか1人でバタバタしていた。私は「連絡がくれば行くよ。きっとお手伝いもないよね」と仕事に行く準備をしながら返事した。それでも義母は帰らず「𓏸𓏸さんちは由緒あ
告別式を終えて火葬場に向かうバスで久しぶりに兄と並んで座り話しをしました。終わったね…疲れたね…お父さん大丈夫かな…なんて…話したあと…お母さん怖かったね。と、私が言うと何で?と、兄。よくよく話してみると兄の前では私や、私の家族を褒めて兄に、しっかりしなさい!と、言っていたらしい。だからお母さんのお気に入りの風がお母さんを怖がってるなーんて、思ってもいなかっ
最近観た映画にインシディアス赤い扉が、ある。その中で主人公のジョシュ(パトリック・ウィルソン)に霊能者カールが人の死は記憶をあふれさせると言うセリフがあった。終盤にもやはりジョシュに記憶があふれるのよねと、霊能者エリーズが言うセリフも。そう言えば母の告別式を終えて自宅に帰ってからやたらと昔のことが思い出された。ここからざっと私が覚えていた思い出話にお付き合いください。私は、
訃報・真帆志ぶき(スータン)さんの巻(長良川の鵜飼船にて・・)3月9日、元・宝塚歌劇団トップスターの真帆志ぶきさんがお亡くなりになった。東京時代に公私にわたり大変お世話になった恩人です。(妹の久仁子ママと・・)関係者の方から連絡があったが、このご時世だから告別式の出席は難しいと返事はしたものの、心の中に、もやもやした物が残った。今行かないと一生会えないかも知れない多くの人がいる事を考えると「無理をしてでも行こう!」と決断し、お通夜から出席しました。(この時、東京のコロナは、まだ大丈
夜は親族の控室に棺を入れていたので、その隣に布団を敷いて眠った。朝起きて、棺の中の娘と父親と息子と私と・・・4人家族で最後の食事をとった(出立ち料理)告別式は、平日の昼間ということもあるしもともと会葬の方もすくないのが通例だ。それでも、通夜と連日のお参りをしてくださる方もいらっしゃった。娘との別れがどんどん近づくと思うと涙が流れた。いよいよ「お別れの儀」胡蝶蘭を顔まわりに飾り、皆様が供えてくださった供花の花や友人が家族や職場の人と折ってくれた織鶴などを棺にいれた。最期に、娘の顔に私
こんにちは。お通夜が終わり、次男と最後の一晩を一緒に過ごしました。翌日は10時から告別式でした。午前9時に会場入口で挨拶高校のサッカー部中学の野球部地元の友達は2日連続で来てくれました。「今日は泣きません次男を笑顔で送ってやりますよ!」と言ってくれたので、私が「そしたら霊柩車に乗って出棺する時、何か声かけてな」って言うと「いいんですか」って聞いてきたので、「全然いいよ明るく出発したいしな」そういうと笑って「わかりました」と答えてくれました。告別式も終わり、いよいよ
葬儀のプランニングは、大切な故人を偲び、故人の人生を讃えるために計画される重要なプロセスです。一般的な葬儀の流れと必要な準備についての説明です。1.危篤・臨終・葬儀準備-危篤の連絡を受けたら、家族や親族に連絡しましょう。-臨終後、死亡確認と死亡診断書の作成が行われます。-葬儀社を選び、遺体の搬送と安置を手配します。2.通夜・葬儀(告別式)-通夜では、故人との最後の別れを行います。-葬儀や告別式では、参列者に故人の人生
『カネがない』旦那の告別式が終わった後、花子(私の妹)からライン来ました。「お母さん、頭が痛いんだって。頭抱えてるわ。」「風邪ひいたの?コロナ?」「まるちゃん、これからどう…ameblo.jpカネ(おりん)がないと仏様😇とお話出来ないらしいので、子供達とおりん買いに行きました。葬儀場から紹介された仏壇屋さん、少し割引があるらしいです。おりん見てたら、店員さんがやってきました。「おりんが欲しいんですけど。」「おりんだけですか?仏壇買われたら全部セットでついてますよ。」🧒🧓このメン
生理予定日の今日(もう昨日だけど、、、)は、朝4時起きで家の用事はあらかた片づけて、5時前に子どもを起こして6時前には家を出発!初めての新幹線なので、早め早めに行動しました。義理のひいお婆さんの告別式は11時からで、広島駅に着いたのは8時半前。さくらに乗ったので、比較的空いていて、自由席でも2シートでゆったり座れました!飛行機などでは1時間半が限界で、新幹線も同じくらいの時間を絶えないといけないので心配でしたが、飛行機より座席
母の葬儀が滞りなく終了しました。夕方から降ると言われていた雨も降らず、最後まで母の晴れ女ぶりを見せてもらいました。告別式の後、斎場へと向かうマイクロバスが、うちの娘の大学の真ん前を偶然通った時には、思わぬ奇縁を感じました。本日の参列者は昨日とほぼ同じ17名。気兼ねのいらない和やかな式となりました。告別式の喪主挨拶と精進落としの前の挨拶を、父に代わって私が務めたのですが、いろいろと考えたうえで、ここのブログでも紹介してきた“母のおにぎり”の話をしました。⬇※おにぎりがごちそうなのです(
こんにちは。昨日、次男が告別式した同じ場所で知人のお葬式に参列してきました。次男と同じ部屋でした。告別式は、私の幼なじみ(小、中、高校)だったお父さんが旅立ちました。その幼なじみの子と、30年ぶりぐらいに6月に偶然に会うことができて家にも招待され食事をした時幼なじみのお父さんが、部屋から出てきてくれて、久しぶりにお話しました。前から聞いていたのですが、お父さんは癌で闘病中で、寝たきりだったそうですが、わざわざ起きて私に話しに来てくれました。とてもなつかしくて、よく私の事を覚えてい