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告別式告別式の日のこと。お通夜の後は、夫と2人でそのまま親族の控え室に泊まりました。最後の夜、息子の側で過ごせました。翌日の告別式にも親族だけではなく、先生やお友達、お世話になった方々が見送りに来てくださいました。平日の昼間でみなさんお仕事や学校もあったと思います。足をお運びいただいて、嬉しかったです。棺の中にはたくさんのお花と手紙、好きな物を入れました。ジュースを入れてあげたかったけど、ダメだったので、みんなで口をジュースで湿らせてあげました。それぞれお別れを言って、最後は私
2023/5/21今日旦那さんの告別式が無事に終わりましたお通夜と告別式で思ったより会社関係の人が来てくれて泣いてる人がめちゃめちゃ多くてほんとに旦那さんは愛されてたんだなーとしみじみわたしの友だちも駆けつけてくれてこの年になるとほんとに持つべきものは甘えられる友だちもし友だちが困ってるときは今度はわたしが力になるからねねえ、パパママはがんばったよね?えらかったねっていっぱい褒めてよーいっぱい泣いちゃったけど今日はいいよねてかきっと明日も明後日も泣くけど
ブログをご覧頂いている皆様いつもありがとうございます。このブログは、私と同じ葬儀司会者や葬儀で司会をなさる皆様に向けて、少しでもお仕事の助けになればと思い、葬儀司会の台本や雛形・葬儀ナレーションの原稿や例文等をご紹介させて頂いております。よろしければご参考になさってみてください。今回は「葬儀司会で使える基本ナレーションという事で、告別式や葬儀の開式前に使えるアナウンス例をご紹介します。------------------------------------間もなく開式でございま
無事に祖母を見送ることが出来ました。空港からまっすぐ会場へ行へ🚗お葬式はすでに終わって、みんなでご飯を食べていた一人一人に挨拶して、私も親族と話しながらご飯をつまみながらお酒を飲んで過ごした8時過ぎると、みんなが帰り始め見送りながら過ごして、私は旦那と会場に泊まって線香番。本当は私の父と母の兄も泊まるはずだったが、私の母が体調が悪くてお葬式もすぐ来て帰って、寝込んでる状態とゆうことで父も帰宅、母兄も前日線香番やらなんやらで寝てないから、家に帰ってゆっくり寝てきて〜言ったらありがたいわ
交通事故で亡くなった夫は別の病院で司法解剖されることになり、遺体が戻ってくるのは翌日夜との事だった。亡くなったのは日曜日の未明。遺体が自宅に戻るのが月曜日夜。木曜日は友引。友引にお葬式は出来ないので火曜日お通夜→水曜日告別式または木曜日お通夜→金曜日告別式の選択肢。こんなコロナ渦で、人が密集しないよう通夜、葬儀は家族葬で、ということになり、別日で一般弔問を行うことに。結果、水曜日一般弔問木曜日親族のみで通夜金曜日親族のみで告別式という流れになった。なので、ゆっ
夜は親族の控室に棺を入れていたので、その隣に布団を敷いて眠った。朝起きて、棺の中の娘と父親と息子と私と・・・4人家族で最後の食事をとった(出立ち料理)告別式は、平日の昼間ということもあるしもともと会葬の方もすくないのが通例だ。それでも、通夜と連日のお参りをしてくださる方もいらっしゃった。娘との別れがどんどん近づくと思うと涙が流れた。いよいよ「お別れの儀」胡蝶蘭を顔まわりに飾り、皆様が供えてくださった供花の花や友人が家族や職場の人と折ってくれた織鶴などを棺にいれた。最期に、娘の顔に私
5月02日の記事に書いた、某YH(ユースホステル)のペアレンの通夜と告別式へ。24.5.05(日)連休中なのでホテルはもう満室かなと心配したが、福島駅近くのホテルを予約できた。昼過ぎ、盛岡から新幹線で福島へ。自由席だが、盛岡始発なので余裕で座れた。連休とあってだんだん混み始め、仙台からは立ち客が出た。ホテルにチェックイン後、通夜へ。ホテル近くのバス停で路線バスに乗ったら、知っている顔がいた。某YHでの知り合いである。1学年上で、たしか千葉県の柏市在住だったな。通夜の会場にはなじみの顔が大勢
今日は旦那の父親の告別式でした。生前まーー色々ありまして最後まで好きになれませんでしたが、旦那と子どもの手前出席して、親戚の人と会話したり、少しだけお手伝いをして過ごしました。GWの危篤から落ち着かない我が家でしたが、ようやく日常に戻りつつあります。子どもは忌引き休暇が使えず残念でした。
皆様お疲れ様です前回のお布施の話に続きまして今回は葬儀費用について書いていきたいと思います。前回も似たような事を書いたんですけど急な出来事だったですし本来の順番とは違った形となってしまったためこういう事に何も準備が出来ていませんでした。例えば互助会とかそういうものにも入ってなかったので何も分からない上に1つづつ全て決めて行かなくてはならず当時の放心状態メンタルの私には全く余裕がありませんでしたね。正直言いましてその時のショックの大きさから何を話したかとかはあ
お元気様です♪MIWAです。父の告別式の時お焼香をする息子。お焼香の仕方を教えるの忘れてた💦と焦る私。パパとお焼香の前に立つ息子。初めてのことなので、息子なりにみんなのお作法を見ていたようで見様見真似でやり始めた。抹香をつまむ→口元に持っていく→抹香を吹く→もぐもぐ(食べるマネ)を繰り返すこと3回。私の脳裏にオスマンサンコンさんがお焼香の際抹香を食べたという話が脳裏に浮かび笑いが込み上げました。笑いを必死でこらえていると横にいる姉も肩を揺らして笑いをこらえて
夜が明けてしまった。告別式の朝を迎えてしまった。11時半から始まる告別式。式が始まるだいぶ前,バイク仲間お二人が、娘に会いに来てくれた。娘が持っていたスズキの旗と同じものを、棺の中に入れてくれた。それから続々とバイク仲間が、告別式が始まる前に、一目娘に会いたい。最期のお別れを言いたい。最後にお礼を伝えたい。そう言って親族控室に会いに来てくれた。御礼を伝えたいのはこちらの方だ。もちろん本人が一番伝えた
誰にもじゃませれず、ゆっくりと主人と娘とで過ごせたから、朝は精神的には安定してた。7時に朝食の準備ができたと呼びに来てくれた。暖かいお味噌汁が美味しかった。鮭と卵焼きと納豆と。定番の和朝食。納豆だけしか食べれなくてあとのおかずは娘にあげた。娘は卵焼きが甘くて美味しいと、ニコニコして食べてた。朝食が終ってしばらく部屋で主人のそばで過ごしていたら、係の人が「そろそろご主人を祭壇のほうに…」と、連れていかれてしまった…悲しい…泊まらなかった家族も皆集まってきて、ふと思った。
うーちゃんの告別式が終わって、なんだか不思議な感じです。うーちゃん、最近状態が落ち着いていたので安心していました。眠っていましたが、話しかけると返事はしてくれていました。先週の月曜日、旦那と付き添い交代する朝、うーちゃんと話をしたのが最後になりました。29日朝、うーちゃんは急変してあっという間に亡くなりました。旦那が一緒にいましたが、旦那もわからないくらい静かに心臓が止まって、最後を迎えました。私も交代の為、病院に向かっていた最中で後15分間に合いませんでした。病室のうーちゃんは、
娘が会場に移動した頃ようやく、娘婿とその両親が来た。昨日、職員の方に、娘の数珠を持って来て欲しいと言われたので、娘婿の母親に「娘が結婚する時に持って行った荷物の中にあるはずなので、生まれて初めて履いた靴と、娘の数珠を持って来て欲しい」と、頼んでおいた。それを棺の中に入れて、数珠を手に握らせた。息子にも、娘にも、生まれて初めて履いた靴は、綺麗な状態で保管していた。いつか、自分の子供が出来た時に、「お父さん、お母さんも、
おかぁやんが亡くなって3日経った今日は納棺・・・・亡骸が家から離れてしまう告別式までお別れだね1人で寂しがってないだろか午後からは用事があっておかぁやんの通っていた国際医療センターへおかぁやんの用事で国際医療センターに行くのはこれが最後です旅行も遊びに行くこともほとんどなかったので通院が思い出だったりもするのだけど・・・・・ちょっとねふら~っと病院内を散策面会の許されない病院だったのでコッソリ密会したりw11月22日の写真15時11分に撮った今日12月25日もうい
お通夜は予想以上にたくさんの方が来てくださり、本当にびっくりしました。次男の病気を知ってた方も、知らなかった方も私達にどう声をかけていいかわからなかったと思います。私達家族は入口に並んで、参列者に挨拶するのですが、顔があったら一人一人に自分から寄っていって声をかけていきました。泣いておられる方もいましたので、こちらから、「大丈夫?貰い泣きしますやん」と言って明るく振る舞うようにしました。こちらから話かけないと、涙がでそうだったので、必死に明るい父親役を演じていました。ふと、横を見たら嫁
こんにちは。お通夜が終わり、次男と最後の一晩を一緒に過ごしました。翌日は10時から告別式でした。午前9時に会場入口で挨拶高校のサッカー部中学の野球部地元の友達は2日連続で来てくれました。「今日は泣きません次男を笑顔で送ってやりますよ!」と言ってくれたので、私が「そしたら霊柩車に乗って出棺する時、何か声かけてな」って言うと「いいんですか」って聞いてきたので、「全然いいよ明るく出発したいしな」そういうと笑って「わかりました」と答えてくれました。告別式も終わり、いよいよ
こんにちは。昨日、次男が告別式した同じ場所で知人のお葬式に参列してきました。次男と同じ部屋でした。告別式は、私の幼なじみ(小、中、高校)だったお父さんが旅立ちました。その幼なじみの子と、30年ぶりぐらいに6月に偶然に会うことができて家にも招待され食事をした時幼なじみのお父さんが、部屋から出てきてくれて、久しぶりにお話しました。前から聞いていたのですが、お父さんは癌で闘病中で、寝たきりだったそうですが、わざわざ起きて私に話しに来てくれました。とてもなつかしくて、よく私の事を覚えてい
元旦那にバレないように連絡を取り。本当に本当にマメな連絡。私の出勤に合わせて来てくれて。俺が会いたいから。と。職場の同じ空間にいるのにメールのやりとり。少しずつ距離を縮めてくる彼。どんどん惹かれて。彼の気持ちに応えられないから家で1人泣くときもあった笑彼の気持ちに応えたら家庭が破滅すると分かってたから。とにかく外見がタイプすぎて笑会うとキュンキュンしてた。私が休みの日は1時間とか電話して。色々沢山話したな〜初めて仕事帰り以外のデートで手を繋いだときの気持ちが満たさ
主人(パパちゃん)私義母義父義妹(宇宙人)葬儀は義母、パパちゃん、宇宙人の3人で・・・・葬儀から帰って来た主人から聞いた話告別式がもう少しで始まる頃に主人の携帯が鳴ります・・・・何故か一緒に来ているはずの義母からの着信もしもし困っちゃたよ・・・・何が?もうすぐ式が始まるよ何してんだよトイレにいるけどどじ込められちゃってはぁ?どう言う事?鍵が開かないのよとにかくきてよパパちゃんがトイレに行きましたが女子トイレなので中に入るのをためらい入り口で
主人私義母義父義妹義父さんの葬儀は家族葬何から決めればいいのか・・・・葬儀社の方が全て指示してくださりました。死亡届け火葬の手続きは葬儀社でしてくれました。お通やを済ませて最後の夜は義母、主人、義妹、私で生前の義父の話をしながら過ごしました。義妹の旦那は一緒にいる事なく帰ってしまいましたけどね・・・・葬儀、告別式も無事終わり義妹が帰ってしまうと少し寂しそうな義母でしたが悲しんでいる暇はなく葬儀終了してから何をすればいいのかはこれも葬儀社の方が色々な手
寝たのが2時少し前なのに寝苦しくて目覚めて時刻を見るとなんと3時33分…😩勘弁して〜❗️それから寝ようと試みるもどうしたって眠れない😞昨夜のお通夜の後の遅い時間に天丼を食べたのが良くなかったのか…😓胃がもたれているわけではないのだけれど…😥代行の先生が見つからず、今日は告別式を諦め、朝早くからレッスンがあるのに…。外はアイスバーンでツルツルガリガリの中を車で行かなくてはならないのに…。もう今更寝られません。今日はいつもより元気ないかも…😟いや、寝不足の時って
沢山の励ましの言葉、コメントをありがとうございます。3月22日(水)お通夜3月23日(木)告別式無事に送ることができました。お義父さんが何から何まで進めてくれて、担当の方もとっても親身になってくれて、担当では無いけど目を見た瞬間に一瞬で心を開けたスタッフの方がいて。不安だらけでしたが心強かったです。お別れの時間を長くとってくれました。『もう本当にお別れだからね』『後悔の無いようにね』そっと声をかけてくれたスタッフの方のおかげで、周りを気にする事なく泣いて、沢山触れて、言葉をか
昨日はお通夜で、今日は告別式でした。父が亡くなったのは今週火曜日。脈拍が0になり、血圧も下がりに下がって亡くなりました。人の死の瞬間を見たのは初めてかもしれない。それも身内。よく頑張ったよ!と泣きながら看取りました。告別式が終わり、棺桶に花を入れる時、またまた悲しみのピークだったかな。お父さん、闘病生活よく頑張ったね!あとはゆっくり、楽しんでください。ありがとう!ありがとう!ばいばい!棺桶の中の父の顔は、痛みや苦しみが無い顔だったのでホッとしました。いとこも来てくれていて、お
1877年創業(明治10年創業)の大はしの大旦那、神野彦二さんが12月13日に還らぬ人となりました。年内の営業は終了のこと、長い冬休みになります。大旦那のお通夜、告別式の詳細は以下の通りです。大旦那、いつもいつも元氣をありがとう。ご冥福をお祈りいたします。天国でゆっくりお休みください。わたしが生き続ける限り、お姿はなくとも大旦那はわたしの中で生き続けます。以
これまでりっちゃんを応援してくださった皆様。明日りっちゃんの告別式があります。お空に旅立つのは12時〜13時の予定です。大変厚かましいお願いかもしれませんが、もしその時間がお手隙であればお空を見上げてやってお別れしてやってください(-人-)いいお天気やったらいいなぁ〜
前回の続きのお話です。前回はこちら『葬式の日取り』肝心なお通夜と告別式の日取りを決めた時のこと担当者さんから「コロナ禍で火葬場の一つがコロナ患者専用になっていて、それ以外の遺体を火葬する場が減っており、順番待…ameblo.jpエンバーミングをする事になった夫の亡骸。そもそもエンバーミングとは?エンバーミングとは、遺体に殺菌消毒・防腐・修復・化粧などを施して、故人を生前の姿に近づける処置。日本語では「遺体衛生保全」と訳され、遺体の腐敗や感染症を防いで、衛生的に長期間保存する技術です。エ
2021年1月高校1年生で脳幹グリオーマという悪性度の高い脳腫瘍と診断されました。診断と同時に余命宣告をされ、放射線治療で一時的な症状の緩和が見られますがわずかな期間で再燃をします。この残酷な病気を知ってほしい。息子の頑張りを知ってもらいたいです。当時の記事はこちらです。『【脳腫瘍】診断から2年(加筆修正済み)』診断から2年が経ちました。よく頑張っていると思います。振り返るのは辛くなると思いますが記録してみようと思います。2020年11月28日新人戦後から言われまし…amebl
呑みすぎて病院に運ばれたのではなく、細菌による食中毒によるものだったと、自分自身で私にLINEしてきた事を忘れているらしい・・・友人と食事に出かけた娘。食後体調不良で病院送り。しかし、保険証を持っていなかった為、実費精算となった。私に連絡があった時に、保険証は常に持参しておくように!と、お小言を言いました。娘婿と私のLINEのやり取り。しかし、この診断も謝りで、後日、一緒に食事に行った友達に聞いてみると、アレルギー
妻の告別式が終わり、少し休んでから、いろんな手続きを。以前の職場仲間から連絡が来たり、妻のお友達から連絡が来たり、そんな毎日を過ごしています。今は、妻のことを忘れることが、薬になっている。それでも、思い出してしまう…。ただいまと帰っても、「旦那さん、おかえり~」と、返っては来ない。いつものアイコンタクトを、遺影にしたところで、勿論、返っては来ない。見る度に悲しくなるので、妻の枕はクローゼットにしまいました…。今日は、妻の好きなものを供えようと、アピタに行っ