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昼前携帯が鳴りました母の葬儀が終わりやれやれと思ってた所へ…父は次男なのですが父の兄が亡くなったとの知らせ(わたしからしたら伯父)今夜がお通夜で明日告別式とのコト母が亡くなりホッとする間もなく伯父の死わたしは伯父さんも高齢だからと思って母の葬儀には敢えて連絡しなかったんですでも今日当家から連絡が来た以上は知らん顔も出来ずわたしの住んでる所は最寄りの駅からすぐ近くだし市の中心部なのですが伯父さんの所はかなり僻地で行ったコトもなく葬儀場も土地勘があ
朝イチMARUKOのアフターへ今回はMさんが担当。計測したら、上半身が増えていて下半身が少し減っていた。体重は、前回よりちょっとだけ増えていたなぁ。最近気付いた事があって・・ショーツの上に胃の肉が乗らなくなった。ショーツが綺麗に穿けてるような気がする。チョコザップで鍛える時間も少しでも多く増やそう。その後一人のビッグ・ショーしに行きました。先月より点数が増えた❗歌うとストレス解消出来るけど・・疲れます😅またチャレンジしよう。しまむらパトロールもしました。即席フォーマル・
5/8(水)13:13、父が息を引き取った後、遺体の搬送のため、まずは葬儀会社に電話を入れた。父はコロナ禍の生前に終活をしていて、葬儀会社を下見して自分で決めて、見積を取って前金を払い特典会員になっていた。病院名を伝えると、1時間後に遺体を引き取りに来るので、準備しておくように言われた。15年前に母が亡くなった時には、遺体を家に運び、父が実家で通夜までの一夜を過ごしたが、一人で遺体と不安な気分で一晩過ごし、布団の処分などで後々苦労した経験から、病院で死んだら遺体を家に運ばずに葬儀会
👆父とお別れ。棺にお花を添えました。突然ですが!霊能力を信じますか?また、怪しいブログや〜!!と、皆さん思われるかもしれませんが、まぁ、興味のある人は、読んでみてください!父のおふくろ。つまり、私の祖母は、96歳で亡くなりました。その亡くなった晩になんと、父の部屋に現れたんですよ!んな、アホな!ですけど、何度もいいますが、興味ある人は読んでください!もちろん、姿形は見えません!父の肩をグラングラン揺らしながら、『頼むで!頼むで!』と、懇願したんですよ!
実母が亡くなりました。私の誕生日でした。3日前くらいから様態が悪くなり、母のそばに兄弟で付き添っていました。亡くなる前日の夕方から私が付き添い、まだ食べる気力があり家で作ったものを少しづつスプーンで口に運びました。水分も吸飲みに入れてあげましたがむせることなく飲めてました。満足してすーっと寝てしまいました。食べれるし、もう少しもつかなと兄弟のLINEで話してました。施設の個室にいましたが、夜はとても静かでした。1時間半から2時間の間隔で介護士さんが来られ体のむきをかえ様子を見てく
皆様お疲れ様です。昨日は明るい感じの記事を書きました。なんか突然思い出し書きたくなったんですよね明るい話題(とはいえ微妙ですが)のような事も少しは口に出せる?ようになったのかな?ひょっとしたら半歩とか前に進めてる?なんて思ったりもしますが急に落ちるんでね💦自分ではどうなっているのか全然分からないです。「うんうん」と思ってくださる方もいらっしゃると勝手に思ってます笑踏ん張っていきたいですね。告別式が始まり、読経が行われる中挨拶はほぼ完成していたものの最後の言葉だけが
医師に御臨終ですと告げられた途端、私は怖くなり離れて暮らす子供2人、主人の母、姉、妹、私の両親、妹、と手当たり次第泣きながら電話をかけた。皆、予想もしない連絡にしばし茫然。それもそうだろう年末年始に会ったり電話で元気に話をしたばかりだったのだから連絡を受け子供たち、私の両親が駆けつけた。主人の母、姉妹、私の妹も駆けつけると連絡をくれたが商売をしていたり小さい子供がいたり来るのに高速で3時間以上かかる場所に住んでいたりするので今後の予定がはっきりするまで無理しないでくれと伝えた。が、主人
皆様お疲れ様です先週の月命日に息子が地上波で帰ってきたという話を息子の友達にしたんですけどそうしたらえ!?実は来週俺もその番組出るんすよ!ってすっごい偶然!そもそも2人ともテレビに出るような人達じゃないしねお前ら持ってんなーって勝手に2人の運命を感じてた私です笑さて、今回は告別式の出棺時の挨拶について書いていこうかなと思います。出棺の時に挨拶があるそういうものがあるということはもちろん知ってます。知ってはいたのですがなにぶん息子は急に亡くなったものですか
主人の父の告別式時、私達夫婦も亡くなった時の為に備えておかないとと感じ冠婚葬祭を取り仕切る会社の互助会に入っていたのでその会社に主人の通夜、告別式をお世話になる事になりました。互助会に入っていたが互助会費を3年しかまだ払いこんでいないのに利用する日が来るとは…早すぎるよ。主人が安置されている部屋で私と息子夫婦、娘は葬儀会社の人が出してくる大量の書類の説明を受けながら次から次へとすぐに決めなければいけないことが山のように押し寄せてくる。決めなければいけないのは解ってるでも気持ちが追いついて
ちょいと気になる話が出て来たので注意喚起させて頂きます。。。先日告知させて頂きました「ナガミネンタルキングス」こと「長峰克之義」の葬儀ですが日時通夜式令和6年5月27日(月)午後6時から告別式令和6年5月28日(火)午後12時から場所セレモニー雲海茨城県鉾田市畑田1213-35電話0291-33-4622供花等はコチラの「FAX送信用供花等申込書」を印刷しましてFAXにてFAX番号0291-33-3000
主人が亡くなった日病院へ契約していた冠婚葬祭会社に迎えに来てもらい葬儀会館の控室に主人を安置してもらった。本来なら次の日通夜、そして告別式を執り行うのだろうが葬儀が立て込んでいる事。友引の日に告別式はNG。などの状況の為通夜、告別式は3日後となった。その3日間の間で、短時間でいい。ペットバックの中での対面でもいい。人の出入りが少なくなる夜中でもいい。ミルクを主人に会わせてやりたい。ミルクが吠えだしたりしたら即座に席を外すので通夜、告別式に参列させてやりたい。そう冠婚葬祭会
6月2日㈰朝ベッドに来たルリちゃん5時おきで火葬場へ行く支度90歳の義母の告別式組の人が7:30にお線香を上げに来てくださり、親類も集まりました告別式だけ着物を着ました着付けとレンタルで23,000円ヘアセット3000円告別式で着物を着ない人は半数程だそうです次回は洋装でいいかな…結構、帯紐がきつかった七日の席のお弁当美味しかったです次男が隣県に帰りました葬儀社に146万3000円支払いお坊さん(告別式は3人)に98万円お布施まだ前後しますが95万円程赤字で
幼なじみKooのブログより④Kooといっちゃん。保育園の遠足でいっちゃんが旅立ったあの日後にいつメンやそのmama達から「いっちゃん、ウチにも来てくれたと思う」って話をいくつか聞きました「いっちゃんが行ってまう·····待ってーや····」とベッド?から起き上がって手を伸ばしてたとかいっちゃん家から帰って自室に閉じこもったいつメンそのまま寝たのかと思ってたら夜中に急に起きて玄関に向かって歩き出したらしくmamaさんが「どこ行くねん!」と止めたら∑(ºωº`*)
19日の日曜日の午後、親友の娘さんからラインが来ました数ヶ月前から緩和ケア病棟に入院してしたお母様が亡くなられたとその連絡を受けてから色々考えましたがなにしろ遠すぎるので、告別式に参加するのは簡単ではありません透析の曜日変更や、ホテルの予約やら調べて何とか行けないかと気をもむ日々でした最終的には私自身の体調が思わしくないので断念しましたですので毎日彼女をしのびながら想いだけでも届いたらと過ごしています彼女とは同世代で若い頃同じ職場で働いた時からの縁でした結婚してからはお互いに遠すぎ
参列の皆様がお帰りになった後、私の家族と下の妹の家族は母を納骨する為に父の眠るお墓に骨壺とお花とお線香を持って雨の中1列になって歩いていきました。上の妹夫婦は告別式の後帰りました。上の妹が主催しているピアノサークルの日と母の葬儀の日が重なってしまったので、出られないという話でした。ピアノサークルとはグランドピアノが置いてある公民館を借りてみなでピアノを弾き合う趣味の会だそうです。「親が亡くなったと言えばみなさん延期になっても納得して下さるでしょう
娘が会場に移動した頃ようやく、娘婿とその両親が来た。昨日、職員の方に、娘の数珠を持って来て欲しいと言われたので、娘婿の母親に「娘が結婚する時に持って行った荷物の中にあるはずなので、生まれて初めて履いた靴と、娘の数珠を持って来て欲しい」と、頼んでおいた。それを棺の中に入れて、数珠を手に握らせた。息子にも、娘にも、生まれて初めて履いた靴は、綺麗な状態で保管していた。いつか、自分の子供が出来た時に、「お父さん、お母さんも、
夜は親族の控室に棺を入れていたので、その隣に布団を敷いて眠った。朝起きて、棺の中の娘と父親と息子と私と・・・4人家族で最後の食事をとった(出立ち料理)告別式は、平日の昼間ということもあるしもともと会葬の方もすくないのが通例だ。それでも、通夜と連日のお参りをしてくださる方もいらっしゃった。娘との別れがどんどん近づくと思うと涙が流れた。いよいよ「お別れの儀」胡蝶蘭を顔まわりに飾り、皆様が供えてくださった供花の花や友人が家族や職場の人と折ってくれた織鶴などを棺にいれた。最期に、娘の顔に私
お疲れ様ですお別れの挨拶の話なんですけど1回で書ききれるかと思ったんですが意外とボリュームがあり分ける形となりました😅この回で終わりまで書ければ書きますがダメそうならもう1回続けちゃいます笑お通夜前日にさすがにこれはヤバいと思い真剣に考えとりあえずテンプレートパターンみたいな挨拶が完成しました。でもなーなんか違うものすごい違和感…構成としては間違ってないんだけど全く達成感のない文章完成した挨拶を何回も読んでいるうちに何故達成感が無いのか気が付きました自分の
葬儀を終えやっと主人は住み慣れた我が家に帰ってきました。しばらくして葬儀会社の方が自宅に後飾りを設置する為来られ遺影、遺骨、線香立て、香炉、燭台と手際よく並べてくださった後、私はお水、主人の好物、お花を供え立派な後飾りが出来上がりました。すべての設置が完了すると葬儀会社の方がお線香を供え両手を合わせ後、葬儀会社に戻って行かれました。その後息子が主人の勤務先にすべて滞りなく、終わる事が出来ましたと連絡をいれると会社の方は我が社に大変貢献して頂き後輩達も手を合わせてたいと言う声が多数あるので代
友人から元上司が亡くなったらしい、と連絡が。あんまりにもビックリして信じられなくて。(まだ若いので)そしたらその友人から通夜、告別式のメールが転送されてきて。本当なんだ…と愕然。元上司は、私の社会人人生で1番尊敬していた方でした。コロナ前に新橋で飲んで、また飲み行こう!と言ったきりでした。どうやら闘病されていたようで。まだ詳しくは分からないのですが。悲しくて辛くて、その日はカフェにいたのに涙が止まらず。いつも100%味方してくれて失敗を誉めてくれて社会人として、
翌朝のお弁当は発注せず、すぐ近くのコンビニでみんなが調達して来たものをつまみ、身支度をして、ざっくりと控室の片付け。告別式→火葬場→戻って撤収となりますので。告別式もたくさんの方に参列いただき、あっという間にお別れの時。娘は、とても悲しそうだけど、大人ばかりの静まり返った中で、上手く感情を出せずにいました。できれば、わーわー泣いて出し切って欲しかったけど無理でした告別式の後、僧侶への謝礼を私に控室へ。金額も決まっており、渡す際ののし袋も準備されており、当日の朝、現金を入れて封をする
土曜日に親戚の告別式に参列する為、朝からバタバタと家事をしていました。そこへクリニックから電話がなんか嫌な予感…採卵してくださり、その後も受精方法や、どの段階で凍結しようかなど丁寧に私の気持ちも汲みながら話してくださった先生からの電話でした。6つ採卵しましたが1つ受精しました。1つだけだった時のことをお話しできていなかったのでとなんと親切な‼️電話でも先生と色々話しながら迷いに迷い。初期胚のグレードがよければ初期胚凍結。グレードが悪ければ胚盤胞まで育てましょうと決まりました。
祭壇に飾られた遺影は子供達と選んだ懐かしいパパの笑顔めちゃめちゃパパらしい写真を選べたと思う不思議な感覚。まだ私は実感がわかない私達に起こった事じゃないみたいお通夜にも告別式にも沢山の方が来てくれたパパの会社の人パパの友人近隣の方々子供達の学校・保育園関係お通夜ではお坊さんのお経が終わってもお焼香が続いた子供達が通っていた保育園の先生方や保護者も来てくださった卒園してからかなり月日は経っているのにねみんなパパを思って涙を流してくれて・・・我が家の子
葬儀が終わり出棺となりもう会場内には戻ってこれないので忘れ物がないか確認して持ってきた荷物をすべて車へ詰め込みます。兄に白木の位牌を持たせ私は母の遺影を持ち他の荷物は全部旦那に持たせ母を乗せた霊柩車の後を四人で車に乗ってついていきました。しばらく車を走らせると(息子)「ママおなかすいた。これ以上ムリ」(私)「だから、朝ごはんちゃんと食べなさいっていったでしょ」(息子)「だって、、好きなおにぎりがなかったん
こんにちは全てが終わり、何故か背中が痛くて寝込んでいました。感情や意識は前を見据えても、身体が動かないのです。葬式の話です。当初はゆっくりお別れができる家族葬と悩んでいました。しかし、もし自分が送る一般側だとしたら死者に最期の別れを告げ、手紙を添えるなり線香をあげるなりして送りたいという気持ちが強くありました。なので、一般葬にしました。結果的、沢山の人達が見送りに来ていただきました。線香をあげる列は会場の外まで行列ができて、通夜の時点でお香典返しを追加発注したくらいです。ねねが
夫の事故の前からずっと晴天が続いていた。大勢の方が来てくださった一般弔問の日も晴れていた。なので混乱なく進められて本当に良かったと思っている。でも、告別式の日、斎場へ向かう時突然の大雨慌ててマイクロバスに乗り降りしきる雨の中斎場へ向かった火葬が終わり、お骨を拾い再びホールへ向かう時には雨はすっかり上がり穏やかな日差しが降り注いでいた。あれは夫の涙雨だったのかな。これでお別れだよっていう…甥っ子や叔母はこの日キレイな虹を見たそう別に関係ないのかもしれないけ
母が亡くなる直前のことです。母がいよいよ明日をも知れぬ病状になった時、流石に松の内を過ぎてから私は桐の箪笥を開けて喪服を出しました。それまでは縁起でもないし母が亡くなるなんて考えたくもなかったので怖くて喪服を出す事が出来なかったのですが、とうとうその時が来てしまったのだと私も認めざるを得なかったからです。そして喪服におかしな所がないか、カビなど生えていないかほつれはないか入念にあらためました。大丈夫な事を確認すると私は次に実際に喪服を着て何か問題
ようやく来た娘婿にどうしても聞かなければならない事があった。怒り悲しみは抑え奴の背中に手をまわし、その手で背中をさすった。私「来てくれたんや~」って、いつもの優しい義母を装って、言ってのけた。来てくれたんじゃないやん!お前が喪主せなアカンのんちゃうんかい奴は、穏やかで、いつもの優しい声に安心しきっている。バカよなぁ・・・娘婿「〇〇さんを幸せにするって、約束したのに、約束守れませんでした。」って、私の上着の袖口を握りしめて泣きだした。
夜が明けてしまった。告別式の朝を迎えてしまった。11時半から始まる告別式。式が始まるだいぶ前,バイク仲間お二人が、娘に会いに来てくれた。娘が持っていたスズキの旗と同じものを、棺の中に入れてくれた。それから続々とバイク仲間が、告別式が始まる前に、一目娘に会いたい。最期のお別れを言いたい。最後にお礼を伝えたい。そう言って親族控室に会いに来てくれた。御礼を伝えたいのはこちらの方だ。もちろん本人が一番伝えた
翌日、告別式。夫の大好きだったものと、手紙を入れて、夫が大好きだった、夜勤の会社の制服を上からかけてあげました。最期のお別れの時…お花を棺に沢山入れてもらって、その時に、担当のTさんが、「最後は、喪主様がお顔を撫でて、話しかけてあげてください」と言ってくださいました。ありがとうとごめんねと、私を親にしてくれてありがとうと言いました。泣くなよと言われていましたが、この時は、泣いてしまいました。荼毘に付される為、霊柩車が到着。弔問客に見送られながら、私は霊柩車の助手席に、私以外の親族はマ