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去年から訪れてみたいと思っていた外務省展示室、その時は移転作業中で閉室だったのでしばらく忘れていたのですが、4月から麻布台ヒルズのJP森タワーに移転されていました。https://www.mofa.go.jp/mofaj/annai/honsho/shiryo/archive.html平日から土曜日まで開室されているということで、過去問を3教科こなした後、午後からの塾に行くついでに、遠回りして訪問してきました。見学は無料です。中の展示物は写真OKなのですが、SNSなどへの掲載はお控え
今日のレトログッズは誰トク!?父の中学生のときの卒業アルバム。俺と同じ中学出てるから、校章も同じわけで。1968年卒。この暦・・・古いもの好きにはゾクソクする西暦(笑)我々の時もそうだったけど、アルバムのおわりには、前年1967年の主な出来事。1967年。脳内に当時の国内外のヒット曲が流れてきてゾクソクする(2回目)吉田茂の国葬があったんだねー。釜本がいたサッカー五輪代表が、メキシコ五輪への出場を決めたんだね。甲子園の決勝で・・・なに負けとん広陵高校!・・・一方、グロ
2022(令和4)年7月8日、日本中に衝撃が走った。同日(2022/7/8)11:30頃、奈良県の近鉄大和西大寺駅前で、参院選の自民党の候補者の応援演説に訪れていた、安倍晋三・元首相が、背後から暴漢に撃たれ、亡くなったのである。「まさか、日本で、こんな事が起こってしまうとは…」私は慄然とすると同時に、誠に暗澹たる気持ちになった。そして、今もって、その衝撃から立ち直れていない。安倍晋三氏には、このブログにも、度々ご登場頂いていたが、例えば「コロナ禍」発生当時での、安倍政権の右往
横浜から大磯にある旧吉田邸へ旧吉田茂邸は戦後の内閣総理大臣を務めた吉田茂(1878-1967)が暮らしていた邸宅ですもとは明治17年(1884)に吉田茂の養父・吉田健三が土地を購入し、別荘を建てたのがはじまりです。養父亡きあと吉田茂が邸宅を引き継ぎました。昭和20年(1945)より大磯の邸宅を本邸とし、晩年
高知県の西の端「宿毛市」の龍馬パスポートグルメスタンプはモーニングで貰えます大平洋戦争の戦後処理で活躍してその後政治の中枢を担った吉田茂は宿毛市の名士「竹内綱」の息子さん今はもう無くなってしまったキャバレー「ニュータイガー」の※コロナ騒動のあった店では御座いません😅在りし日の店も写ってますやはりこの時もひろめ揚げオーナー夫婦と行きました😅
吉田茂(よしだしげる)1878年〈明治11年〉9月22日-1967年〈昭和42年〉10月20日外交官政治家位階は従一位。勲等は大勲位旧姓・竹内内閣総理大臣(第45・48・49・50・51代)外務大臣(第73・74・75・78・79代)農林大臣(第5代)、第一復員大臣(第2代)第二復員大臣(第2代)衆議院議員(7期)貴族院議員(勅選議員)皇學館大学総長(初代)二松学舎大学舎長(第5代)を歴任東久邇宮内閣や幣原内閣で外務大臣を務めたのち内閣総理大臣に就任し1
森友学園問題で揺れた日本社会ですが、この問題の不思議なところは、”安倍晋三という政治家”の疑獄事件であるということです。何故なら安倍総理は「自民党清和会」の派閥に属する、端的に言えばアメリカ追従路線というスタンスで政治を行う政治家です。かつて疑獄事件というのは、ロッキード事件、佐川急便事件、リクルート事件、西松建設事件あたりが有名でしょうか。この疑獄事件というのは表沙汰にならない事件の方が圧倒的に多いと私は理解していますし、また、表沙汰になる事件は基本的に清和会の政治家ではないという点で