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M1、今年も面白かったです。『たくろう』のほぼ完全優勝、全く同意です。異論ありません。私は、どちらかというとニューウェーブや革新系より、漫才王道のしゃべくりの流れを汲んだたくろうのスタイルが好きですね。確かに令和ロマンの真骨頂であるアクション劇場型もいいのだけど、私はしゃべくりがいいな。シンプルで、自然に見ていられて楽ですよね。なんでこんなにオモロイの?「YAHOO!で天気を見ています。」「やすい軒でおかわりしています。」「大阪府においては、い
色々あっても‥新年は新年です!からはじまって今の拓郎さんの気持ちが書かれています「吉田拓郎スペシャル連載エッセイ」第13話詳しくはコチラでチェック>>
きょうは、吉田拓郎の「外は白い雪の夜」です。この歌は、吉田拓郎にとっては、最初で最後となった1994年の「第45回紅白歌合戦」で歌った名曲です。紅白等は、イヤがる吉田拓郎ですが「バックにこれぐらいのメンバーを・・・・出ちゃる」というような広島弁でいえば「ジラをくった」らしいのですが、そこは天下のNHK、揃えてしまい(笑)流石の拓郎も出演せざるを得ぬ状況になったとか、終わったあとは「二度と出ん」といったらしいですけど(^^;。下は、NHKにジラで揃えて貰ったメンバー
森山良子と吉田拓郎の間には、こんな会話のネタがある。「今日の僕があるのは黒澤久雄のおかげ」拓郎がまだ無名だった頃、よく自身のラジオ番組にゲストとして呼んでくれたのが森山良子だった。そして、その森山良子を歌の世界へ導いたのが黒澤久雄。だから拓郎は、少し大袈裟にこう言うのだ。「今日の僕があるのは黒澤久雄のおかげ」(1979年『セイヤング』吉田拓郎×森山良子回を聴くと、このやりとりがよくわかる)では、この“おかげ”をどこまでさかのぼれるのか。辿ってみよう。吉田
冬うた、松任谷由実、井上陽水、吉田拓郎、松山千春、中島みゆき、さだまさし、アリス、かぐや姫、イルカ、オフコース、チューリップ、冬ソング、70年代、80年代、北海道、札幌オリンピック、札幌市、昭和、歌謡曲。トップページ・プロフィールこれまでの曲目リスト歴音16.冬の道しるべ(冬うた①70~80年代・ニューミュージック編)「立春」を過ぎたとはいえ、まだまだ寒い!雪が降る!降る!降り積もる!今年も降り積もります!冬のうた!膨大な数の、日本の「冬ソング」の中から一部だ
(T日記の秘密ブログ?)僕がどこの誰であるか?それは当分誰だっていいじゃん、そのうち、・・・って事にしてこの出だし始まった「T日記・・今は言えない僕の素性新しい内容は、秘密の会談が・・・サンデーフォークプロモーションのブログということで掲載されています。今は言えない僕の素性が第一話からあります。拓郎ファンなら内容でわかったかもとうとう12話の12月26日正体をバラしました(*^^*)はい!ワタシクシは吉田拓郎と申します皆さま良い年の瀬と素敵な新年をお迎えくださいや
「【25店舗目×3】永ちゃんを矢沢と呼び捨てにする千春にドキッ!〜スタバ巡り9.16都営神保町駅店」S13717・松山千春DATABESE総合TOPPAGENF・アーティスト別LIVEDATABESE総合TOPPAGENF◇更新履歴V1.0:2025.9.16初稿『「●随時更新~最新記事リンク・文章番号&記事タイトル一覧」A1319』「最新記事リンク・文章番号&記事タイトル一覧」S11319・松山千春DATABESE総合TOPPAGE
今日は自分の好きなことこれまでの人生について出来る限り書いていこうと思うそして、今回の記事で少しBLOGを離れることもあるかもしれないそれはそういう時期だから人生でこれまで頑張ってきた振り返りをしつつこれからの限度を知ってるからだと思う兎に角最初に言えることは自分はかっこいい、お姉さん系の女性がタイプということ小さい頃に見ていた戦隊はゴーゴーファイブからデカレンジャーまで毎週見ていたしどれも、今よりもヒーローだったということそれに何よりもテーマがイケてたし、ガ
5年前の今日2020年1月31日、高1の私が篠島ライブの『結婚しようよ』に出逢い、吉田拓郎という名を知った日である。思えばあの日、初めて篠島ライブの映像を目にした瞬間、「私が求めていたのはこれだ!」と、雷に打たれたような衝撃が走った。こんなにも一つのことに夢中になったのは、生まれてこの方なかった。篠島ライブこそが、私にとっての運命の扉だったのだ。この熱狂の果てに、私は1979年という年に惹かれ、集め、巡り、触れようとした。かの年に関わる物を手に入れ、ゆかりの地を訪
ということでどうもこんにちは。「青春=音楽なり!!」の時間がやってまいりました。全く音楽に詳しくない私ニレイニが備忘録的に書いていくアカウントでございます。不定期でやって行きます。(時間とは)あけましておめでとうございますですね!そういえば。今年もCDの購入報告とか、色々投稿して行けたらいいなと思っています。新年一発目は、中島みゆきさん作詞作曲で吉田拓郎さんへの提供曲「永遠の嘘をついてくれ」についてです。1995年6月21日発売のアルバム『Longtimeto
忌野清志郎スーパースター烈伝※2023年に投稿したブログに一部加筆しています。吉田拓郎編昨年、音楽活動からの引退を表明された吉田拓郎さん、今年2月のオールナイトニッポン55時間スペシャルで、とてもとても元気なトーク(笑)を篠原ともえさん、奈緒さんと繰り広げてくれました。でも、ものごころついた時からずっと必ず音楽界に存在して、私たちの進む道を音楽で照らし続けてくれていた吉田拓郎さんが、現役として存在しない音楽界を、私たちは初めてこれから経験していかなけ
先日の「神田川」で石川鷹彦さんの話が出ました。日本のフォークソングを長年牽引してきたギターの神様ですよね。病気療養中ということで、心配しておりましたがNETでは、元気な姿を拝見することが出来ます。↑今年の5月頃の様子です。左から坂崎幸之助71才、石川鷹彦82才、吉田拓郎79才。スッカリ好々爺さんにおなりです。↑11月には、さだまさしさんと共に。右手が不自由な様子で、ギター演奏は無理なのかもしれません。ここは、ひとつ往年の石川さんのギターを(^_^)/~
田家秀樹さんJ-POPLEGENDCAFE3ヶ月連続企画「フォーライフ・レコード50周年」6月第3週は「70年代の井上陽水」と「90年代の吉田拓郎」にフォーカス!(6/16)オンエア分は本日(6月22日)までならラジコで聴けますので録音もダウンロードもしてみてください。田家秀樹さんの思い入れコメントが良いです!!詳しくはコチラ>>6月後半は現社長「後藤豊」氏が登場!https://cocolo.jp/service/Homepage/index/1180
おきざりにした悲しみはまず、長坂誠の人生を振り返りたい。岡山出身。23歳のとき、渋谷のデザイン専門学校で初美と出会い、28歳で結婚。好景気の波に乗り、2人でデザイン事務所を開設するも、バブルが弾けると経営不振に。31歳で離婚。長坂は仕事も住処も失う。42歳。長坂は初美の薬物による死をきっかけに東京を離れ、実父を頼り大阪へ。風俗店で働きはじめる。ウェイター・洗い場・客引き・掃除。何でもやりながら店のショータイムで、ギターを演奏。長坂はギターに熱中し始める。風俗店にいた
忌野清志郎スーパースター列伝南こうせつさんと言えば、70年代フォークの象徴ともいうべきグループ、かぐや姫のリーダーにして、誰もが知っている四畳半フォーク最大のヒット曲の「神田川」を始め数々の名曲を生み出した偉大なシンガーソングライターです。こうせつおいちゃん、とてもユーモアに溢れていて、加えて適度なエロさも魅力でしたね(笑)。神田川のイメージと真逆でとても明るく、吉田拓郎さんが「野の仏」で歌った「笑ったような、笑わなかったような?!」表情がとても魅力的です
15年前の今日10月30日に、僕は初めて襟裳岬を訪れた。当時北海道の食を楽しむツアーを一緒に楽しんでいた「チーム○○」のメンバーが、敢えて「何もない」襟裳岬への訪問を、僕のたっての希望で叶えてくれたのだった。襟裳岬は濃霧が発生しやすく、強風に見舞われやすいのだが、当日は濃霧も強風もなく、僕はただ一人岬の最先端までたどり着いて、念願の襟裳岬を堪能したのだった。その襟裳岬を題材にした曲は、1961年の島倉千代子と、1974年の森進一の2曲があり、当地には歌碑も建立されている。襟裳岬の名を一躍
忌野清志郎スーパースター烈伝井上陽水編最近、吉田拓郎がオールナイトニッポン55周年記念イベントに出演したことを書かせて頂きました。拓郎がそこで語った話の中で、フォーライフレコードでの社長業は今考えても全く自分らしくなく、やりたくないことをやってしまったと話していましたが、そのフォーライフの最大のキーマンの一人が井上陽水です。ホリプロでの清志郎との出会いというか、「フォーライフ」とは、4LIFEの意味も込めていて、4(フォー)とは、小室等、吉
「中島みゆき『永遠の嘘をついてくれ』に思うこと~中島みゆき作品解説21」S3566・松山千春DATABESE総合TOPPAGENF・アーティスト別LIVEDATABESE総合TOPPAGENF◇更新履歴V1.0:2016.2.20初稿V1.1:2019.2.27最新エディタにて記事を作成、旧記事と差し替えおよび吉田拓郎のコメントを追記V1.2:2024.2.01歌詞の追加及び是正『●随時更新~最新記事リンク・文章番号&記事タイトル一覧(A13
N|視点の編集者の言葉※一部抜粋欲しいものに手を伸ばす自分でいたい届かないかもしれないけれど最初から諦めるよりマシやって無理だったら諦める強さを持たないといけない何事も、先ずはひとつやってみる。初めの一歩進む勇気と、叶わなくて諦める勇気。どちらも違ってはきますが、かなりの勇気がいる。今の自分は、一歩進んでもそれ以上は進めれず、諦める事も出来てない。ナマケモノのように宙ぶらりん🦥今までの人生の中で、何度も分岐点に遭遇し、どちらに進めばいいのか悩み歩んで来ました。その時々に
昨日から気温が下がってきました。今日は雨で畑の草取りはお休み片付けていないコタツをしまおうと思っていたけど予想最高気温18度コタツをつけたしフリースも着てる今日は片付けどうしよう?4月中旬皆生温泉風雅さんの宿泊の後用事が2つあって米子市公会堂さんにやってきました。米子市角盤町2丁目61以前はこちらがイベント会場やコンサートの中心でしたがJR米子駅近くに米子コンベンションセンターが出来てからはそちらがイベントの中心
中村雅俊さんが歌っていたイメージが強いけど拓郎さんも歌っていたんだねそれぞれの歌い方にきっと特徴があるんだろうけどどんなふうに違いが出るのかな🙄(同じ種類でも置かれた環境で咲き方も変わる🌸)たぶんこれまでの人生でしてきた体験の違い😅♪何気ない毎日が風のように過ぎてゆくこの街で君と出逢いこの街で君と過ごすこの街で君と別れたことも僕はきっと忘れるだろうそれでもいつかどこかの街で逢ったなら肩を叩いて微笑んでおくれ♪どちらが正解なんて言うことはなくて比べること
1970年代の原宿を検索すると、かつて神宮前交差点の一等地にそびえていたオリンピアアネックスの姿が次々と現れる。そこには、1975年から1980年にかけてユイ音楽工房が拠点を構えていたという。画面越しに広がる当時の風景に思いを馳せれば、向かいにはあのセントラル・アパートが鎮座し、時代の熱気と文化のうねりを静かに見下ろしていたのだろう。あぁぁ!!!!ここで、あの伝説の篠島ライブが生まれたんですか!!!!しかし、私がオリンピアアネックスの存在を知った頃に