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私が受刑中、年老いた母親が何度も面会に来てくれた。私が入所した当初は、過剰収容の時代で面会も30分が15分に短縮されてた。遠路はるばる来てもらい、15分という短い時間が申し訳なく思ったことを思い出す。面会は事前に知らされることはなく、工場作業中に面会担当のオヤジが迎えに来る。面会室まで行く時間が楽しみでもあり、不安でもあった。家族になにか起きてはないか、憂いはないかと。面会室に入り、母親から子供達の様子など伝え聞くと安堵した。もちろん
出所直前は…釈前になると手紙も予定通りに届かなくなったり最後の面会と思って東京拘置所に出向いたら他の方が先に来ていて面会出来ずに帰ったりもう最後の最後これかーいと最後まで波乱万丈でしたが無事に出所しました(*´꒳`*)買いたい物があるからと言われなんだろうと思ったら…指輪をプレゼントしたいからとヾ(〃∇〃)ツキャーーーッ♡わぁー嬉しい♡♡♡今、毎日連絡が取れて美味しい物を一緒に食べたり毎日、夢を見てる様な毎日を過ごせて本当に幸せの毎日です♡満期までまだまだ
覚せい剤で死にかけた事が今までに2度あった。もっとすごい経験をしている人がいると思うのでこの程度では大した事ないと思う人がいるかもだけど、俺にとっては衝撃的だった。まだ覚せい剤をやり始めてから数回目の時なんだけど、知り合いの女の子と神戸の三ノ宮駅で待ち合わせして覚せい剤を打つためにホテルに入った。ネタはこの子が姫路まで行って引いて来てくれた。そしてその子が目盛り20入れると完璧になれるとか言って、どう完璧になるのかと思いつつも言われるがままに打ってもらった。因みに俺
今日は、掛け持ちの仕事の日でした。少しでも自分の稼いだお金を被害者の方々や両親に渡そうと本業の仕事と掛け持ちし始めたのですが慣れない仕事は、やはり緊張します。仕事をし始めると大丈夫なのですが、新しい職場なので行くまでが緊張してしまい疲れてしまいます。仕事のしんどさよりも今は、緊張の方が大きいです。刑務所へ移送される前日と当日もブログ記事では、落ち着いているように書きましたが、緊張感で死にそうでした。移送されるバスの中では、あまり刑務所の事を考えないよう過ごしていたと思います。時よ
受刑者になってからは未決囚の時と違い朝が少し早くなりました。6時40分くらいには起き6時45分には点呼があります。そして刑務作業が午前と午後に加わります。また、受刑者になってから刑務官の事は、”先生”と呼ぶよう指導されました。優しい先生もいれば嫌味の凄い先生や厳しい先生もいます。刑務作業は、簡単な製品の組み立て作業や紙袋作りです。組み立て作業は、一度覚えたら何となくできるようになったのですが、紙袋作りは、少し苦戦しました。同じ雑居房の受刑者の方に「アホでもできる作業やの
暑さとの戦いが終わったかと思えば、今度は寒さとの戦いになりました。もちろん私達、受刑者が過ごす場所には冷暖房は、ないので凄く寒いです。その代わり、肌着・靴下・タイツなど(各2枚ずつ)に薄地のトレーナーとカーディガン(各1枚ずつ)が支給されます。※お金のある人は、肌着や靴下のみ自分で購入する事が可能です。私は、支給された肌着2枚のみを使っていたので週2回の入浴時に交換していました。冬は、私を含め多くの女子受刑者は肌着とカーディガンを着た上に作業着という感じで刑務作業を行っていました。
有期刑であればいつか出所の日が訪れる。それが仮釈放であれ満期であれその日は必ず訪れる。私は仮釈放をいただいたが、仮釈放を知らされた出所2週間前、頭が追い付かないくらい混乱した。夢か現実かの判断がつかなかった。釈放前の2週間を過ごした釈前寮で頭の混乱を整理しようと努めたが、それでも心が落ち着かなかった。ある意味、ムショに慣れ切ってた。当たり前のように仕事があり、衣食住は約束され多少の規制はあっても慣れてしまえばその生活に違和感を感じなくなって
刑務所や拘置所では、同じラジオが流れています。TOKYOFM(1番多い)KーMIX(2番目)TBSラジオ(3番目)NHK(相撲)平日は、夕方17時ぐらいからただ19時~ですがTVが見れる人は、聞いてないです。土日の場合、朝9時~11時30分ぐらい午後13時ぐらいから16時までラジオが流れてます。↑と同じくTV見れる人は、流れてません。たまに受刑者のご家族か友人かわかりませんが投稿したメールやリクエスト曲が読まれること流れる
女子刑務所に移送されてから2週間は、新人教育です。私が収容されたW刑務所では8つの工場(うち生産工場は6つ)がありました。2週間の新人教育の間に受刑者1人1人にあった工場を決められます。先生による分類面接もあり「得意な事」や「好きな作業」などを聞かれました。他にも運動場で集団行動訓練をしたり紙折り工場(観察工場)で作業をしたり学力・性格テストを受けたりしました。私は、勉強が得意ではなかったので、書けない漢字や計算問題が多く点数はかなり低かったと思います。また、集団行動訓練をし
最近、刑務官による暴行事件、理不尽な拘束などがニュースになってる。元受刑者の私に言わせれば、刑務官によるそれらは全国的にもごく稀なケース。あってはならないが、私が知る限りほぼないと言っていい。それに比べ受刑者同士の暴行は日常的とまでは言わないが私もよく目にした。もちろん暴行と言っても大怪我につながるようなことまではない。軽く殴る蹴る程度だが、これはあった。私がいた工場はいわゆる侍工場で、元気のいい若い子が多くトラブルも日常的だった。刑務官
今日は、休みの日でした。しかし、少し風邪気味なので昨日の仕事終わりに買った風邪薬を飲んで1日中寝ていました。刑務所にいた頃とは違い暖房もよく効いている場所で仕事をしているのに免疫が落ちてしまったみたいです。本格的に体調を崩してしまったら働けないので気を付けようと思います。でも、受刑者だった頃は熱が出ても直ぐには薬が貰えなかったので今は本当に有難い環境です。体温計で熱を測るのもなかなか許して貰えませんでした。顔が真っ赤になってガタガタと震え出してからようやく先生が体温計を持ってきて
刑務所の中で運動中や昼休憩の時に他の人と会話が出来るんでその時に話題になる話は??①分類いつ進類するのか?②いつ出所?始めて工場に来た人や仮釈の人達が聞かれる。③作業でのクレームあの人、作業が遅いから・・・。愚痴が多め。悪口に近いぐらい④新しいやつくるんか?新入工場や罰明けのやつ、くる??⑤出所後の話出所したら手紙くれ何処に行ったら逢える。連絡とろうな仕事を紹介してやる何がしたい?何を一番最初に食べた
出所して数ヶ月たった頃、眠りが浅くて夜中に何度も目が覚めちゃうから眠剤を飲むようになった。初めは効いてたんだけど少ししたらあんまり効かなくなって、朝起きても寝ぼけてて何してたのか覚えてない事が多くなったので眠剤止めた。ホント10日くらいしか飲んでなっかたのに眠剤止めたその日の当日は全く眠れず。食欲は無くなるし冷や汗もかく。そして急に気持ち悪くなったりもする。覚せい剤の切れ目の状態。そーいえばこれが禁断症状なんだって教えてくれた受刑者がいたなぁと思い、その時どう
受刑者にとって、受刑者同士の人間関係が一番の悩みではあるが、それと同じく病気にかかったらという怖さもある。娑婆なら24時間病院又は薬局に行けるが、刑務所ではそうはいかない。基本的に週に1回、医務回診なるものが工場で行われる。医務回診は、工場に医務担当のオヤジが来て、なんらかの症状がある者は申し出ればその場で医務のオヤジと話せる。ただ、医務のオヤジは医者ではないので何らかの処置をその場でしてくれるということはない。葉が痛いだの、肩が
最近は、忘年会にクリスマスシーズンという事もあり接客の仕事の依頼が多く来ます。なので、工場+接客の仕事が中心で休日も接客の仕事をしています。やらないと決めていた接客の仕事ですが”レギュラーで入って欲しい”とも有難い事に言って頂きました。慣れていないので今はずっと悪戦苦闘していますが頑張ります。そんな忙しい日々を送っているのですが先日、父と些細な事で喧嘩をしてしまいました。とても反省しており後悔しています。実は父には、理想の娘像があったのですが私は勉強も運動も不得意で全く当てはまる
最近工場に、前回9年の刑期で宮城刑務所に入所していたという受刑者が配役されてきた。(その時は強盗事件を起こしてしまったらしい)で、その受刑者、宮城で俺と同じ事件で逮捕された人間と一緒だったそうだ。同じ工場で数年間一緒に仕事をしていたみたいなのだがその工場には冷暖房が完備されていて、かなり過ごしやすかったという。おいおいおい、俺よりも随分と楽な受刑生活を送っているんだな(笑)。ただでさえ、謎に俺より刑期も短いのに。
女子刑務所、移送後の初日の流れ後は、かなり長くなったので感情などは書きませんでしたが恐ろしくて死にそうでした。何回も懲役へ行っている方は、ケロッとしていましたが私は不安症なのかバスに乗っている間も手錠をかけられた手は小刻みに震え続けていました。何度も深呼吸をして気持ちを落ち着けていました。それほど未知の世界へ行くのが怖かったのです。お風呂に入れられ、21時に眠る時も明日から行われる2週間の新人教育がどういうものか、体力的についていけるかと不安ばかりでした。新人教育が始まった後も他の
刑務所に移送されて受刑者生活が始まり暫くたった頃。免業日に、犯罪の被害に遭われ大切なご家族を失った方の話を聞く機会がありました。当時の事を思い出すだけでも手が震えます。遺族の方は、事件から数年経っても心が晴れる事はなくずっと悲しみの中にいました。苦しくて辛い経験なのに涙を流しながらも私を含む聞いている受刑者に向かって最後まで気丈に心境を語っておられました。受刑者の前で話すのは、とても怖くて勇気のいる事だったと思います。事件が終わり何年過ぎようとも被害者遺族の方の心の傷は癒えな
こんにちは(^ω^)もう9月になりましたね🍂まだまだ暑いですが、少しずつ涼しい時間も出てきている気がして季節の変わり目だな〜って実感しています今日は大阪刑務所へ移送されて移送通知が届いてから初めての面会へ行った事を書いていきますね令和4年5月初め頃に移送通知が届きました!大阪刑務所へ面会へ行ったのですがもう道中でバクバクしていましたまた知らない場所へ初体験で行って、、、もう塀が高くて長く続いてるから道を走ってたらあっ、これなんや!!って直ぐに何となく分かりました駐車
このブログを始めて6年ほどになる。始めたきっかけは、自戒のため。私自身、偉そうなことをここで書いているが、実際は元犯罪者。しかも初犯で一発実刑、犯した罪は深い。罪名については被害者もいるが故に触れない。それは今後もずっと触れることはない。コメント欄を閉じたのは、お前の罪名なによ?どこのムショに行ってたのよ?なんて素敵な内容の書き込みをいただき更生とは程遠い場所に今もいる私はブチ切れたから。笑。面倒なコメントは一切拒否。
仕事が忙しくブログの更新がまたもや滞ってしまっていました。気が付けばもう春ですね。しかし、まだまだ寒くて湯たんぽは欠かせません。ブログが滞っている間、メッセージを頂きました。とても温かい言葉で溢れていました。私は20代の一番大事な時期に事件を起こしてしまいました。そして、女子刑務所で受刑者として過ごしました。事件後は、いつ死んでもいいと思い続けていました。出所後も、そのように思いながら自分の心身を痛めつけ休まずに仕事をして過ごしてきました。ブ
刑務所にいる時運動の時間いつものようにシャブ中同士で覚せい剤の話で盛り上がってた。俺が大阪に住んでた事もあって、大阪出身の受刑者とよく話する事が多かった。ある時俺が「覚せい剤打ちやすいラブホテルってないんですかね?」って聞いたら、「あるよ!」って言われて、「難波の〇〇ってホテルなら受付のおばちゃんにジュースとか弁当持ってってよろしくって言っておけば、警察が外でウロウロしてたりすると、今まずいから出ない方がいいと言って教えてくれる」って言ってた。あと警察が顔写真持って
多分木曜日の夜*:..。o○☆゚帰宅したらTVで闇サイト殺人が再現VTR付きで放送されていた報道を覚えている人も多いと思う闇サイト殺人事件2007年8月24日和暦だと平成19年d( ̄ ̄)千種区自由ヶ丘の路上で男性3人が共謀して通りかかった女性を拉致車内に監禁した車は日産リバティ目的は強盗男性3人は闇の職業安定所で知り合いオフラインであった主導したのは当時派遣社員の川岸健治受刑者組んで何かをやらないか呼びかけに応じたのは無職だった堀慶末受刑者新聞販売員の神
今日は、掛け持ちの仕事の日でした。掛け持ちの仕事ですが、最近は他よりも少しだけ時給の高い食品工場へ行っています。仕事が終わってからは、安定剤を処方して貰っている精神科へ行きました。精神科の先生は、私が犯罪を犯した元受刑者だと知っているのですが、事件の事を詳しく聞いたり怒ったり説教をしたりせず1人の患者として優しく接してくださっています。精神科を受診したのは、出所してからPTSDの影響で手の震えや吐き気が止まらなくて乗り物や狭い場所がダメになったり他にも色んな症状がでていて面接した保護
1年前に誹謗中傷なども覚悟の上で逃げない為に前へ進む為にブログを始めました。ブログを始めてから沢山の方々と出会い助けられてきました。最初の頃は、社会復帰が怖くて怖くて怯えて食事も喉が通らない状態だったのですが何とか1年が経ちました。安定剤と頓服を飲むながらですが逃げずに掛け持ちで働き続けここまでやって来れました。本当にありがとうございます。被害者の方々へも決められた金額を渡し続ける事が出来ています。また、湯浅さんのブログを読み改めて自分の罪の重さを実感しました
今日は、出所後の話になります。※私個人の話で、他の方には当てはまらない場合が殆どなので、あまり気になさらないでくださいね。出所後は、父と母にかなりお世話になりました。そして、実家でお世話になりながらハローワークに相談して元受刑者だった事を明かしたうえで働き口を探しました。※服役中も探したのですが見つかりませんでした。その後、運よく働き口は決まり働かせて貰ったのですが、給料は異常に低くて10万円もない月が多かったです。10万円もない為、被害者の方々に渡せるお金はほんの僅かになってし
まだ先の話ですが刑務所の中でもお盆休みは、あります。刑務官などの職員が休暇を取るためでもあると思います。ただ、受刑者にとっては、つらい休日。なぜかというと自由な時間?が長いゆえに下手なことしたら休み中・休みの前に何か問題起こしたら何もない部屋で過ごすことになるし、娯楽が新聞とラジオのみになるから。やることがない人は、つらい。TV見れますが、寝れますが夏場は、暑いのでやる気が起きないし、暑くて、寝れない。汗でイライラしてきま
刑務所は、当たり前ですが冷暖房がないので夏は暑くて冬は寒いです。さらに冬の時期の水は氷のように冷たくなっているのですが自己洗濯や洗顔の時は使用しなければいけません。自己洗濯は、前にも書いた通り他の女子受刑者の分も嫌がらせでやらされていたので手はよくアカギレになっていました。また、刑務所に移送されてからは毎年、霜焼けになってしまい痒かったです。特に足先の指が大きく腫れてしまい刑務作業中にも痒くて掻きたくなる事が多かったです。そして私が移送されたW刑務所では、昼食前の30分間に外運動が
ここ最近もメッセージをいただくことが多い。こんな私にとありがたく感じる。仕事が忙しく返信が遅れ申し訳なく思う。待ち人方々からのメッセージには受刑者を想う気持ちがつまってる。私自身、このブログを通じ待ち人方々とメッセージ等で繋がることで待ち人方々の苦しみ辛さを知った。刑務所という未知の世界に相手がいることがなおさら不安にさせるのだろう。大丈夫だろうか、元気なのか、ムショで辛い思いをしていないだろうか、病気になったりしてないか、
覚せい剤で死にかけた2回目は今までで一番覚醒剤にどっぷり浸かってる時で、毎日のように覚せい剤打ってた時だった。そしてある日何か指令が来てしまって1Gを飲め!という指令。こんな時に限ってジュース1本もなくて水で飲む事に。すげぇ不味いし苦くて全然飲めない。飲むたびにおぇ~、にが~って感じで少しずつ飲んでやっと飲み干した。多分飲み干すまでにけっこう時間かかったと思う。飲み干した後、体がブルブル震えて気持ちいいんだか何だかよく分からなくて気を失った。そして目が覚