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第31話・折り紙の涙前回の投稿のコメント欄ならびにツイッターのリプライに沢山のそれぞれのお気持ちをお寄せ頂きありがとうございました。全部読みましたよ‼️多分見落としはないハズです👍どれをとっても温かい言葉ばかりが届いていて、僕自身励みになります。自分が思っている以上に皆様は『仮面ライダー555』という作品を愛して下さっていた!逆に少々反省です🙇笑自分のこと程よく分からないのが人間ですが、こうやって文章の交流による発見があるのも現代的で良いものですね!ブログ無精なワタクシです。し
この度、キンチョウラジオCM『ゴキブリムエンダー』で、、、僕がやらせて頂いた劇伴(BGM)が、、、なんと‼️ACCクラフト音楽賞を受賞しました!🙌🙌🙌(ラジオ&オーディオ広告部門Aカテゴリー)ACCTOKYOCREATIVITYAWARDS|ACC賞あらゆる領域におけるクリエイティブを対象としたアワードです。www.acc-awards.com202060thACCTOKYOCREATIVITYAWARDS(ACC賞)総務大臣賞/ACCグランプリ決定!www.
第6話3人と3人・後編小火を出し、免停でありながら2ケツをし、そしてピッキング…仮面ライダー史上に残る悪行の連続の第6話笑。まあ何をしてもどこか憎めないのが巧ですが、この一連の行動を演じている時は「現代のヒーローは自由なもんだなぁ」と思いながらやっていました。そのあたりが555という物語の魅力であり井上敏樹ワールドなのですが。さて、この第6話は見返してみると非常に濃い。唐橋さんが濃いぃ!唐橋さんが現場に加わり僕は早速絡みに行きました。…「この人絶対変な人だ…仲間だ!」…と笑。予感は的中
その男の名は村上幸平。昭和51年6月1日生、O型。東京は高級住宅地育ちにして慶應ボーイ、そしてジュノンボーイで業界入りを果たすなど肩書きだけでもなんとも出来過ぎた男である。そんな彼との出会いは私が18の頃だった。初めて撮影現場〜仮面ライダー555〜で会った時の印象は、どこか斜に構えた様子で少々話しかけ辛い空気を漂わせていた。しかし同様のことを彼もまた私に対して思っていたらしい。打ち解けるきっかけとなったのは意外な会話だった。二人とも格闘技が好きということがわかり当時人気絶頂だったK1のこと
第5話3人と3人・前編今回のレビューは巧のバイト先であった喫茶店で書きました。優しいマスターのいた'あの'お店。東京は神保町にある「ラドリオ」がそこです。上京して間もない僕でしたが、実は中学生の頃から純喫茶マニアであったため東京旅行(もう芸能に入る夢を持っていたので、来るべき上京の下見のためにと、両親に夏の旅行は必ず東京にするよう頼んでおりました)の際には必ず神保町界隈を一人で訪れていました。ですのでロケ地としてここが使われた時にも「あ〜、以前から来てるよ、この辺りは。ハッハッハ」と得意げ
二十年前のこの時間、『仮面ライダー555』というひとつの作品が始まりました。それは僕個人で言うところの芸能人生の始まりでもあったのです。文字通り“旅の始まり”でした。この二十年を一言に語ることはできません。しかし、仮面ライダー555だけは一度もその息吹を絶やすことなく今日を迎えたのです。それは仮面ライダー555を愛し、応援下さった皆様の力です。みんなで繋いだ命の炎が二十年経った今も燃え続けているのです。僕はこの炎を守りることが使命のように感じております。それがつまるところ、夢を守る
行ってきましたよ、芳賀家…いや鎌苅家!母となりし旧友、芳賀優里亜さん。知り合った頃は15歳の少女でした。かく言う私も18歳でしたがね…笑時は流れた!我々二人を残してね…笑家庭への憧れは募るばかりです。(村上さんは知らん)芳賀さんは最近では劇作家や演出のお仕事もなされているそうで。いつまでも'丸顔のお姉さん'ではありませんよ!僕らを相手にしながらも卒なく家事、育児を熟す彼女を見て感心。しかしながら職業柄か、まるで'母親役'を演じているようにも思え笑「あの優里亜が!?」とは意外と
金鳥さんのゴキブリムエンダーのラジオCM『なな子と光三郎』が6週出揃い完結致しました。コマーシャル出演は経験していても、コマーシャル音楽を担当させて頂いたのは自身初の事でありました。不慣れな作業から担当者の方にはいくらかご迷惑もおかけしたかもしれません。ですが、音楽屋としてはキャリアに乏しい僕を推薦して下さった事が間違いであってはならないと思い、精一杯取り組ませて頂いたつもりです。折しも、この話が浮上した時期に緊急事態宣言が発令されてしまい、共同打ち合わせもリモートで数回。後は担当者の方