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と思うかたこのGWとりあえず行き場もなく海でも行くか?と思うかたも多いかもかつてワタシもその一人でしたそれが海っぺりに越してきて11年越してきて当初は毎日夕刻には海辺の遊歩道で2年間すずめに餌やりなどしておりました(なぜ、やめたか?はまた次の機会にでも)で毎日海辺にくるとそこはたまに来るのとちがっていろいろなものが目に入ります流れ込む川にワンコの糞をビニール袋ごと入れて捨てるかた(誰がそれを拾うのかしらん)海っぺりって掃除
子宮体がんが疑われ、ロボット支援下による子宮全摘手術を受けるため入院した私。手術前夜、入院診療計画書にサインを求められたけれど、そこに書かれていたのは子宮体がん疑いでもなく、子宮内膜異型増殖症でもなく、全く別の病名『子宮筋腫』でした。前回のお話『私の病名とあの夜の出来事』本当なら、今日退院する予定でした。緊急退院後、どうもお腹周りが窮屈に感じ、太った?とドキドキしながら体重計に乗ると、まさかのマイナス2キロ。恐るべし、スト…ameblo.jp話し合いでは、私の病名は間違
何から書けばいいのでしょうか?ものすごく戸惑っています。昨日、子宮全摘手術のために入院しました。『入院しました【リアルタイム】』本日、無事に入院しました。今回はタクシーを使わず、大きなスーツケースをコロコロ。↑したのは夫ですが(笑)バスと電車を乗り継いで、なんとか到着。ラッシュ…ameblo.jpブログを更新した後、夕食を食べ一息ついたところで、『流血パニック!』とは比較できない、とんでもないアクシデントが発生したのです。看護師さんが病室を訪れ、入院診療計画書に
一大決心をして入院したものの、病院側の手違いによって完全に失われた信頼。元々薄かった関係は完全に崩れてしまいました。前回のお話『手術同意書と入院診療計画書で異なる病名が記載された原因』子宮体がんが疑われ、ロボット支援下による子宮全摘手術を受けるため入院した私。手術前夜、入院診療計画書にサインを求められたけれど、そこに書かれていたのは子宮…ameblo.jp病院側が説明する、同意書と入院診療計画書の病名が一致しなかった原因について。かなり苦しい言い訳で、決して納得したわ
本当なら、今日退院する予定でした。緊急退院後、どうもお腹周りが窮屈に感じ、太った?とドキドキしながら体重計に乗ると、まさかのマイナス2キロ。恐るべし、ストレス!⤵︎⤵︎⤵︎でも、お陰でBMIが25台になりました。あと少しで肥満ともお別れ。人生、悪いことばかりではありません。お気づきの方もいらっしゃると思います。今朝、更新されたまるぽこ。先生のブログ。質問者は私です。まるぽこ。先生、丁寧な回答をありがとうございました。見ず知らずの私にしっかりと対
森永卓郎さんの「書いてはいけない」読まれましたか?経済アナリストの彼が「遺書と思い書いた」とTVで仰ってましたが(あまりにも痩せていて驚きました)昔の写真ですがニッポンの経済がなんでこんなに水平線のように成長もせずおまけに賃金は上がらずじまいなのか?そのわけは実名なども交えて解説してくれています。本は4章で構成されていますが日航機123便の墜落のことなど詳しく書かれています。日航機墜落事故
納得するには苦しい言い訳に、改めて手術をお断りした私。それは結果として、無治療を選択することとなりました。前回のお話『子宮全摘手術の行方』一大決心をして入院したものの、病院側の手違いによって完全に失われた信頼。元々薄かった関係は完全に崩れてしまいました。前回のお話『手術同意書と入院診療計画書…ameblo.jp子宮内膜に異常が生じたのは今年の6月。突然生理が止まらなくなり、子宮体がんの検査を受けると判定は疑陽性のClassⅢaでした。実はそれよりもずっと前から、将来、
なにも食べてないのに起きると朝から気持ち悪いままな日々ですこんなこと書いてどうすんねん??(読まれる方が不愉快でしょうが!?)で在宅の合間に録りためたWOWOWの中から(今になってみました)感動しました(もっと早く見ればヨカッタと思った映画をばご紹介!)そしてワタシが何より好きな皇帝ペンギンのひな(こんな可愛い動画、ありがとうございます!!!!)
子宮全摘手術はしないことを選択した私。今後はX大学病院で経過観察をすることになりました。前回のお話『今後について』手術をしない選択により結果として無治療へ移行したけれど、それは昨日今日の思いつきではありませんでした。前回のお話『無治療をはじめて意識した日』納得するには…ameblo.jpそれは貧血。ヘモグロビン自体はそんなに低くないけれど、もう何年も(10年以上)フェリチンが枯渇しそうな状態が続いています。直近の数値はこちら『ふたつ目の宿題と貧血《膠原病内科定期受
地元に帰ってからも痛みの日々は続きました。翌年普通科の高校に入り直しますが、とにかく痛くて勉強にも集中できない、学校生活も楽しめない、という有様。部活は一年経たずに辞め、2年後半ぐらいから不登校気味になりだし、3年で卒業日数に足りなくなり、結局中退しました。あまりにも苦痛が激しかったせいか、このころの記憶は断片的にしかなく、中退に至った経緯もあまり覚えていません。ただ通学自体がもうきつかったので留年する気にならなかったのかもしれません。その後大学入学の際は高卒認定試験で資格をとりました