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「小谷城」(滋賀県長浜市小谷郡)の(中編)をお届けします。「本丸(鐘丸)」から「六坊」に辿り着いた所で、天気が時雨れだしてきたので、「大嶽城」へ行かずに「清水谷」コースで下山しようと判断しました。前編https://ameblo.jp/highhillhide/entry-12577308984.html中編https://ameblo.jp/highhillhide/entry-12577440171.html「小谷城跡案内図」を見て、下りの坂道で楽だろうと思っていたのですが
ビワイチルートからちょっとだけ逸れて、木之本の【北國街道】沿いへ⭐︎木之本は宿場町、雰囲気が感じられます⭐︎目の仏様の『木之本地蔵院』。日本三大地蔵様の一つに数えられているそう⭐︎旧木之本宿本陣(竹内家住宅)延享元年(1744年)の築。木之本宿の本陣として、参勤交代に行き来する諸大名が宿泊したそう。明治36年には、第22代の竹内五左衛門が日本薬剤師第1号の免状を取得し、現在も「本陣薬局」を営んでいる、との事⭐︎看板、明治時代のものでしょうか。趣がありますね⭐︎その向かいにある、
鹿蒜神社から鹿蒜川左岸を東に下ると、北陸街道(北陸道)と北国街道が合流します。今庄宿の南側に文政の道しるべとして現在でも残ってます。ここから北へ進むと、すぐに燧ヶ城の登城口に着きます。愛宕山の尾根が日野川にぶつかり削られた隘路部です。燧ヶ城は1183年、木曽義仲が仁科守弘らに命じて築いた城で、天正越前一向一揆の際は、本願寺の坊官、下間頼照が総大将として布陣しました。街道沿いは古民家が多少残っておりますが、人通りはまばら…北陸へ入るには、ほぼ、この今庄宿を通る事になります。なので、京へ上る
2023年3月6日(月)松之山街道「稲田(上越市)~松代(十日町市)」(1)つまみぐい街道の旅(GSV)松之山街道は上越市高田から松代,塩沢そして清水峠をつなぐ街道。松之山街道の名の由来は、現在の松代、松之山両町一帯は、江戸時代に松之山郷と呼ばれていた。県道186号、理容サエキ店のあるT字路。ここが、「北国街道と松之山街道の追分」とみた。(上越市稲田)直進が、北国街道右折が、松之山街道国道18号の高架をくぐる。左に、「豪農の館保阪邸」。「戸野目川」を
昨日は、4月10日ぶりにランチ会。妹(三女)が見つけた初めてのお店で母の日のお祝いをかねての食事会。母と三姉妹の4人でした。二女の体調が良くて今回は全員集合♪︎予約してくれていて運転もしてくれていつも妹(三女)に感謝です出雲崎へ向かう途中海沿いのカーブで海が見えたらテンション上がりました。わりと好天に恵まれるランチ会ありがたいです。走行中の車窓からパシャリ。初めてのお店なので場所を探しました。妻入りの町並みの中にありました。あとから調べたら築推定140年の古民家を
すでに7か月半も前のこととなる昨年の10月8日(土)に善光寺街道歩き旅の第2回として、上田から屋代までの区間を歩いた旅の第二弾、その15です。当日の歩行ルートは↓。街道復帰までの道のりや寄り道なども含めて歩いた総距離は23.5km前後だったようですガイドブックは山と渓谷社の『ちゃんと歩ける伊勢参宮道善光寺街道』です。その14では村上義清の奥方の逸話の残る笄(こうがい)の渡し場跡をじっくり眺めた後、泉徳寺というお寺に立ち寄ったところまでをご紹介しました(↓再掲)。街道に戻