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4月23日木曜日加橋かつみさんライブに行ってまいりました🎵雨の中五反田Rockyへかつてかつみさんのホームグラウンドだったのに先代のオーナーに「このタコ!」と縁を切り銀座TACTがしばらくは定期公演場でした🎵オーナーが代わりまた五反田Rockyにも帰ってきました❣️1部トッポ「雨の中ありがとうございます」ポール岡田さんと♪HippyHippyShake♪MoneyMoneyなんか目が合っちゃってトッポ「いくつ?」私「70です」トッポ「若
4月15日16日と2days行われました瞳みのる&森本太郎ジョイントライブ@銀座TACT2日目助っ人ベースジェフさん左ギターネロさん右↓始まるにあたり昨日同様ネロさんより観覧注意事項「撮影動画禁止です!ボクはいくらでも(笑)」ふと思ったのは…ネロ越しのピーが写り込んだりってあるかも(笑)ピーは黒Tシャツゴールドのギブソンマーク白パンツタローは黄色のシャツに青のジャケットウクライナ🇺🇦カラー黒パンツピー「僕は橋本淳さんほどじゃない
https://youyoutime.jp/articles/10013299?fbclid=Iwb21leANZJW1jbGNrA1klTGV4dG4DYWVtAjExAAEe06H8z3y4hJAaVFZXQJG_mHurShI98f0Z6Y6pYlMqO83EZfWpOxByrvYoBYw_aem_C1mBQhcVfZnJzuWAanb2aQ↑ここを長押しして開くを開けてくださればインタビューが見られます❣️髪切った?🤣かつみさんはかつみさん目線でファニーズやタイガースを見てい
5月30日金曜日銀座TACTで加橋かつみさんライブに行きました🎵かつみさん6月26日木曜日五反田のRockyでもライブなさいます❣️かつてはここを拠点にライブをなさっていたのですがかつみさん曰く「一度言いたかった!このタコ!」と言ってお辞めになりましたがオーナーが変わって復活されます❣️ジュリー鎌倉芸術館の前日❣️ジュリー誕生日の次の日❣️今回ブログに書かないでね!とのお話が何回もあったのでブログ書いて良いのか悩みましたがまあいいか🤣写真も載っ
1967年昭和42年の11月5日、毎日新聞社が主催した奈良あやめ池遊園地の野外ステージ「ザ・タイガース公演」で、ステージ2回目の観客の入れ替え中に整備の不行き届きで少女達が将棋倒しとなり😨熱狂したファンの列が混乱したため、20数名が重軽傷を負うという事故が起こる💦収容人数2,000人の所に、6,000人とも8,000人ともいわれるファンが押し寄せ、適切に処理できなかった為に起こった事故であった😱胸部強打撲、大腿部挫傷で重傷を負った古○
2011年て15年前なのですね!あの忘れられない東日本大震災が3月11日に起こり未曾有の激震に身震いします!ジュリーはその日栃木県佐野市で音楽劇『探偵哀しきチェイサー』公演中だったそう!公演最初の場所だったんですね!まだ心に余裕もない私は5月に行きました!新宿紀伊国屋サザンシアターまだS席8,500円の頃なんですね!久しぶりに出てきたチラシ!懐かしの『澤會』からのインフォメ!その音楽劇の前から噂が立っていたのがザ・タイガースが復活する??まず
1968年。あのアメリカのアポロ11号が月面直陸に成功した年(1969年)の前の年である。三億円事件があった❗大学の学生運動が活発だった‼️私はまだ小学生だった。私は小学生の時、自分が[欲しい‼️]って思って自分の欲求でもってはじめてレコード店でシングル盤を買ったのだが、それがタイガースの「花の首飾り」だった。↑このシングル盤は今も私の部屋にある。タイガースで、ジュリー(沢田研二)ではなくはじめてトッポ(加橋かつみ)がボーカルをやった
9月15日は昭和の時代は敬老の日祝日でした❣️ザ・タイガースが東京に来て初めて出演した場所が新宿ACB1966年11月23日の祝日この時はブルー・コメッツがダブルブッキングで新宿ACBに穴が空くところまだ上京して半月くらいの新人が穴埋めすることになったとジュリーは話てしましたね❣️新宿ACBは今でいうライブハウスで当時はジャズ喫茶と呼んでいました!たしか入場可18歳以上ではなかったかな?ジュリーも初で緊張してMCもどもったと笑い話をされていました🎵
3月6日金曜日森本太郎トーク&ミニライブプレゼント🎁抽選会↑ドラムを叩くタロー珍しい光景の写真を🎵キーボードとお手伝い遠山裕さんまずプレゼント🎁抽選会サインやらTシャツやら写真やらハズレくじなしというホワイトデープレゼントの大盤振る舞い❣️このサイン本人じゃないような気がする🤣これはファーストアルバムに載っている手形とサイン私が当たったプレゼントはお写真お母様が残してくださったモノだそうです数枚写真が入っていました!1枚だけアップ❣️これは『
1967年から1969年にかけて「グループ・サウンズ」という音楽が大流行しました。グループ・サウンズとは、主として、ヴォーカル、エレキギター、エレキベース、キーボード、ドラムスで構成される4~5人編成のバンドが演奏する音楽のことで、要するに、海外のロック・グループの形を取り入れた音楽でした。しかし、当時の音楽業界はまだ古い体質で、職業作家であるプロの作詞家・作曲家が作った歌をそのまま歌うだけというものが大半でした。グループ・サウンズのブームは、1968年夏ごろにピークを迎え、この年には100を