ブログ記事258件
金沢城は加賀百万石を治めた前田家の居城であり、金沢市の中でも主要な観光地の一つとなっている。この金沢城、規模は東西約700メートル、南北約700メートルに及び、明治時代初期までは壮大な二の丸御殿をはじめ多くの櫓や長屋が立ち並んで、百万石の威容を誇っていた。ところが、明治維新後に兵部省に接収された金沢城は、陸軍の司令部や兵舎に転用され、明治十四年(1881)に火災で石川門・三十間長屋などのごく一部を除いて、ほとんどの建物が焼失してしまった。そこで、平成十一年(1999)から石川県による櫓・長
全国の城郭建造物「御殿(居館)シリーズ」をお届けしています。御殿については、「はじめに」の中で、軽く触れましたのでどうぞご覧ください。全国「御殿」を巡る”はじめに”↓『全国「御殿」を巡る”はじめに”』「近世城郭」における「城郭建造物」には、「天守」を始め「櫓」「櫓門」「門」「御殿」「番所」「蔵(金蔵)」「馬屋」その他に「御殿」を構成する「茶室」「能舞台」「…ameblo.jp今回は、「金沢城」で現在木造復元工事を進めている「二の丸御殿」の完成予定の絵図、発掘調査状況、御殿
「武るる日本全国の武将と城の旅。ときどき観光とグルメ」武将の墓めぐり、織田信長の石廟の紹介です。武田勝頼vs織田信長、「信長怒涛の甲州征伐~勝頼滅びへの道~天目山の戦い」史跡めぐりの旅は少しお休みです。人物名墓のある施設住所織田信長瑞龍寺富山県高岡市関本町35誤字やリンク切れ等がございましたら、コメントにてお知らせくださいますよう、よろしくお願いいたしますm(__)mスマホで地図が表示されない場合、一度前の記事に戻ってもらい再度次の記事を読み込みすると表示されるよ