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本記事は、2016年7月に投稿した記事の補訂版です。藤原頼宗・能信・長家兄弟は道長の子ですが、母の源明子は道長の次妻であったため、嫡妻である源倫子所生の頼通・教通兄弟が摂政/関白に昇ったのに対し、頼宗は右大臣、能信と長家は権大納言に止まりました。頼宗と長家は異母兄頼通との協調路線を歩んだのに対し、能信は頼通に膝を屈することを潔しとせず、頼通との対立も敢えて辞さない言動を繰り返して父道長から睨まれることもあったそうです。それでも、後に後三条天皇となる尊仁親王の立太子を実現させたり、能信の養女
「3つある一条家をそれぞれ解説しよう!」という、連続3回やらかした前企画。「一条家(五摂家)」は、なんだか二条家の解説っぽくなってしまったのですが(もちろん理由があってですよ…無駄に語ったからじゃない!と思う)これに便乗して、二条家の曖昧回避もやってしまおうかな…などと思い立ってしまった…というわけで、今日はそんなお話になります。相変わらず、どこに需要があるんだか分かりませんが(笑)、まぁ自己満足もまた、立派なストレス解消なのでねー。さっそく、wikipediaで「二
裏神道「陰陽道」その36<最終回>◆「武内宿禰」と「継体天皇」の謎籠神社の故・海部光彦宮司は、日本神話における神の「多次元同時存在の法則」を明らかにした。神は時空を越え、名前も変え、性別すら変えると。「神」の名のつく天皇は全て同一人物であり、皇后で唯一「神」の名をもつ「神功皇后」も同一人物。神武、崇神、応神は同じ人物で、騎馬民族だったイスラエル10支族の大王、ユダヤ人ユダヤ教徒だった。武力を表す「神武」は初の天皇であり大和を平定した天皇である。崇神天皇は『日本書紀』での
令和4年度「第58回京都非公開文化財特別公開」のひとつ、冷泉家の特別公開へ行きました。期間がとても短くて4日間しかなかったので初日に。他の文化財は割と長く公開されているのに、厳重管理ですね。恥ずかしながら今まで「れいぜんけ」だと思っていました。「れいぜいけ」だったんですね普段は門が閉じられているので気付きません。同志社大学の施設かと思ってしまいます。御所の北側に位置するので瓦は玄武。あうんになっていました。内部は写真撮影NGです。表からは想像できませんでし
おはようございます。5月も最終週となりました。6月の声が聞こえてきました。6月第1週には今年の祇園祭長刀鉾のお稚児さん、禿さんの発表があります。そろそろ、祇園祭が動き出します。昨日は、祇園祭放下鉾の粽作りがありました。粽作りとは言っても、最初から作るわけではありません。粽は全山鉾町の内、半数ほどが京都市北区上賀茂深泥池(みぞろがいけ)周辺の農家や京北町の農家などにを委託して作っていただいています。粽はわらを笹の葉でくるみ、その葉にイ草を巻き付けて作られます。その粽にそれぞれの山鉾の化粧