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光源氏は、モテモテだったらしいです。紫式部が書いた源氏物語。モデルは誰なのでしょうか?安和の変で、藤原氏に左遷された、源高明という説が有力です。源高明は、モテモテでしたから。光源氏は、20歳ころ、葵の上を正妻に迎えます。4歳年上の女房で、気位の高い美人です。光源氏の子供を出産します。その出産に嫉妬する女性がいます。光源氏の7歳上の恋人、六条御息所です。源氏との恋に狂った御息所は、出産時の葵の上に生き霊として取り憑き、葵の上を夕霧出産後に死なせてしまいました。源氏物語の初期のク
源氏の年上の愛人、六条御息所はシングルマザー。無邪気な娘の言葉が母の胸に刺さる。「私、光の君がお父様になってくれるのかと思っていたわ」かつて愛してくれた源氏が葵の上と結婚。しかも新妻に逢うために、私の家の前を通るのだ。「お母様はね、あの方の幸せを祈っているのよ」娘の髪を梳かしながら、平静を装い、娘へ言い聞かせるが櫛を握る手につい力が入る。娘は振り返る。そして、母の辛さに気づく。新源氏物語森一生監督1961年市川雷蔵寿美花代若尾文子川崎敬三中田康子
いや~笑った!まひろの結婚相手に実資だと?宣孝よ、馬鹿も休み休み言え。そうか・・・この時はもう桐子様はご逝去あそばされていたのね。実資とは最高にウマが合いそうなほほえましいご夫婦だったのにもうあのコントのようなやり取りが見られないのは残念だな~。調べてみると、桐子様は源惟正(みなもとのこれまさ)の娘で、実資が17~18歳の頃に結婚したらしいです。その時の桐子様の年齢は不明なのですが、のちに一女を儲けていらっしゃるので、多分当時のごく一般的な
六条わたりの御忍び歩きのころ、内裏よりまかでたまふ中宿に、大弐の乳母のいたくわづらひて尼になりにける、とぶらはむとて、五条なる家尋ねておはしたり。ーーーーーーーーーーーーーーー【源氏物語イラスト訳】六条わたりの御忍び歩きのころ、訳)六条辺りのお忍び通いの頃、内裏よりまかでたまふ中宿りに、訳)宮中からご退出なさる途中の休憩所に、大弐の乳母のいたくわづらひて尼になりにける、訳)大弍の乳母がひどく病んで尼になってしまったのを、とぶらはむとて、五条な
怪しい少年少女博物館2階右手奥の妖怪のコーナーに展示をしている角川書店の荒俣宏の奇想秘物語陰陽妖怪絵巻陽の巻の天狗車(てんぐぐるま)のフィギュア。牛車の前面から向かってやや右手から見た所百鬼夜行絵巻に描かれた牛車のお化けをベースにして造形化したと思われるものです大きな顔が前面についた牛車のお化けと言う事で、いわゆる朧車(おぼろぐるま)の仲間と言えます正面から見た所。天狗のヒゲが牛車の外にあふれ出て、垂れています。丸い台座の付いたボトルキャップタイプのフィギュア
こんばんはご訪問いただきありがとうございます大河ドラマ「光る君へ」にハマってる方も多いのではないでしょうか主人公である紫式部による「源氏物語」日本のみならず世界中で有名な名作ですがその内容がしっかり分かる人は意外と少ないかも私も把握していない1人ですでも、この大河ドラマを機にせっかくだからちょっと読んでみたいかじってみたいという方にオススメの1冊を紹介します📖「六条御息所源氏がたり」林真理子あの林真理子さんが源氏物語を新しい解釈を交えながら綴ったもの面白い
【秋~夕顔との物語】・・・・・・・・・・・・・・・まことや、かの惟光が預かりのかいま見は、いとよく案内見とりて申す。「その人とは、さらにえ思ひえはべらず。人にいみじく隠れ忍ぶる気色になむ見えはべるを、つれづれなるままに、南の半蔀ある長屋にわたり来つつ、車の音すれば、若き者どもの覗きなどすべかめるに、この主とおぼしきも、はひわたる時はべかめる。容貌なむ、ほのかなれど、いとらうたげにはべる。・・・・・・・・・・・・・・・【夕顔96-1】まことや【夕顔96-2】【夕顔96-3】
上村松園(1875-1949)《焔》1918年@東京国立博物館今回の国宝展の2部\東京国立博物館の150年/に出ていないので、とりあえずご紹介。「源氏物語」の中で、光源氏を恋い焦がれるあまり、生き霊となってしまった、六条御息所を描いた作品です。●上村松園《焔》今回の国宝展の第2部に出品されていると思ったのですが、実は展示されていませんでした。この国宝展のため、東博の本館にあった国宝室が、「未来の国宝」に企画変更。その一回目が国宝展2部の最後に展示して