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妻に質問したまま30分…沈黙のまま放置、というひどい会合の続きです。「長老を神の経路と認めているか」という質問に対して私は、「組織の秩序のために用いられていることは認めているが、だからといって長老を無条件に100%信頼するというのは危険だ」という答えをしました。その根拠として児童性虐待の話を持ち出しました。ネットを通して知った裁判のことなどは、どこからの情報かを説明しにくいと考え、自分が直接知った経験だけを話しました。「例えば、私の知っている長老が児童性虐待で逮捕されたこ
早いもので、私が初めて人の親となって、もうすぐ22年が経とうとしています。産まれたばかりの小さな我が子を抱いた、あの日…いいえ、厳密にはすでにお腹の中で動き始めた時から、この子は私の命に替えても守りぬかなければ!と思ったのが、ついこの前の事のようですそれまでは、自分の事が一番だったのに、それを忘れて、命懸けで子どもを産み、産後のボロボロの身体でも、子どものためなら3時間おきに母乳をあげて、泣けばおしめを取り替えて、抱っこして寝かして、自分のことなんてそっちのけで、何をするにも子どもの笑顔が一
自発的な寄付で支えられている。寄付が強制されることはない。JWが他の宗教とは違うという、拠りどころのようなものでした。「宗教」というといろいろお金を取られるんだろう、という心配が一般の人の感覚としてあるようですから、この点は自信を持って証言できていました。しかし今から7〜8年前くらい前からでしょうか、急に露骨な寄付の要請が増えるようになりました。巡回監督の車の維持費等のための基金?私は当時会計を担当していましたので、例えば巡回監督が訪問時にかなり高額のクリーニ
前回の続きです。帰省していた時に両親と妹夫婦に会衆での様々な問題、教理の矛盾に悩んでいることを話し、「この組織がただの人間の組織なら全て説明がつく」「もうそう遠くないうちに辞めるかもしれない」と話しました。母は「用いられているのは不完全な人間だから」「いつか正される」「サタンの罠」ということを言いましたが、そんな決まり文句はもう通用しないということをはっきりと反論しました。困った母は最後の砦と思えるような質問をします。「でもエホバへの確信は揺るがないんでしょ?」「も
決議騒動の後、調整者が降ろされ、もう一人の長老は必要で出て行き、前後して新しく3人の2世長老が入ってきました。卒業間近の私たちとしては、とても良い長老に来られてやめにくくなるのも、とても面倒な長老が来て大変な思いをするのもどうしたものか、というところでした。結果は、揃いに揃ったお子ちゃま長老団でした!そのお陰で、私たちはそれから半年〜1年で無事卒業し、その後その長老たちからは一度も接触がないという理想的な(?)自然消滅を迎えることができたのでした。これからそのいきさつにつ
前回はこれまでの地域大会会場を振り返ってしまいました。その中でも一番長く通い、最後の会場となったのが、さいたまスーパーアリーナです。毎回編成は変わりましたが、東京の一部や、群馬の沼田、栃木県の桐生など広い範囲から集まっていました。駐車場は身体の不自由な方などが優先で台数が限られており、電車で通いました。電車で大勢の兄弟姉妹と通うのはちょっと苦痛でした。サラリーマンの私としては一般人の通勤客目線で見てしまいます。気持ちが昂ぶった一部のJWの皆さまが大きな声で電車
私はほぼ覚醒しながらも、家族や親族、友人がJWであること、40年近く頑張ってきたことなどから、ずっと続けていくしかないと思っていました。しかし、これまでの記事で書いたように、思っていたよりも早く妻が覚醒しました。妻の性格からすると完全に覚醒しながらの現役続行は長くは持たないでしょう。私も早く決断しなければと思っていました。「じゃあ二人そろってさあ辞めよう」とすぐにはならないのがこの世界の難しいところです。その頃の私には、もうひと頑張りしなければという思いもありました
いつも読んでくださりありがとうございます。早いものでブログに私と妻の体験を書き始めて一年半以上たちました。始めたきっかけはというと、どうしても読みたいと思っていたブログの限定記事を読むためでした。それまではアカウント登録をせずに読んでいましたが、限定記事を読むために登録しようとプロフィールなどを書いていたところ長くなり、思いきって記事にしてみたことが始まりです。ブログに書くということには、JWとして生きてきたことの記録、反省、心の整理、思えばいろんな意味合いがありました。
前回の続きです。寄付のことや日本の伝道者数減少のことを話し、この宗教が本当に人々を引き寄せるものとなっているか自己吟味するよう投げかけたところまで書きました。続いて真の宗教を実践する人々は今でも幸福であり、人々を引き寄せている、というところです。〜協会の求める話〜「エホバの証人は会衆という霊的パラダイスに人々を引き寄せており、今でも幸福を味わっている。偽りの宗教から出てエホバの証人になった人の経験などから、いかにエホバの証人の組織が素晴らしく幸福かを強調する。」〜私がし
長老たちは、私からこの会衆の問題の原因が聞けるかもしれないと期待したのでしょうか、本当にすぐに(翌日だったように思います)家にやってきました。この会衆ではざっくばらんに長老たちと会話したりすることもほとんどなく、とにかく長老たちと接する時には自己防衛モードになり、最大限の警戒をするのが普通なのです。(この会衆には何かある…)お子さま新長老たちはそう感じ取り、あれこれ原因を探りたいことでしょう。私としてはぜひ話したいと呼んだわけではなく、私が「この会衆いろいろありましたから
2015年夏、結果的に最後の地域大会となりました。ちょうどその年ぐらいから「地区大会」という呼び方になったかどうか、という頃だったと思います。その時点では、これが最後の地域大会というつもりで出席したわけではありませんでした。あと何回出席するんだろう…早ければあと2、3回かな?ぐらいに思っていました。考えてみれば、9歳ぐらいから夏は欠かさず地域大会に出席してきましたので、30回以上になりますね。子供の頃から家族で引越したり、その後も自分の異動などで様々な土地の地域大会
前回まで書いた最後となった公開講演から、長老たちとはこれといった接触も会話もないまま1ヶ月近く過ぎました。当時はまだそれで最後と思っていませんでしたので、そろそろ次の講演の準備に取りかかろうかとしているところでした(笑)。長老の一人から週中の集会後に珍しく声をかけられました。会衆の長老が総入れ替えみたいな形になり、まだ来てから半年も経たない40代の長老です。MT卒なのでM長老とします。(一期か二期の卒業生、プライドの塊)普段一度も奉仕も一緒にしたこともなく、接触とい
ご無沙汰しております。こちらのサイトですが、信頼できる方が運営しておられますのでご紹介致します。エホバの証人について、中立の立場から大変分かりやすい分類・分析となっています。また、これまでのエホバの証人についての調査や報道についても、一連の流れをまとめてありますので、ご参考になればご活用ください。例えば弁護団のサイトが少し難しく感じる場合などに、手短に一般の方に説明する際にも最適だと思います。エホバの証人についての一問一答-「エホバの証人」を分かりやすくエホバの証人について理解する
夫婦ともに完全に覚醒し、どうやってどういうタイミングでフェードアウトすればいいか、そんな風に考えていた頃のことです。家族にそのことを話す順序ですが、いきなり「辞めた」とか「辞める」と言うのではなく、「会衆での問題が酷すぎる」「組織のコロコロ変わる見解に気持ちがついていけない」→「良心的に講演などの特権を果たすことが苦しくなってきた」→「もうこの組織とは距離を置きたい」という流れがいいかな、と大まかには考えていました。弟に話をした頃と同じぐらいの頃だったと思いますが、実際に卒業する1年
牧羊と言って呼び出された審理委員会まがいの会合について書いていたら6回目になってしまいました。長老たちは「資料」を通して、私たちの長老や組織に対する見方を言葉にさせ、どの程度「反抗的、背教的」なのか確認しようとしているようでした。そして一言も漏らすまいというほどの勢いでタブレットにメモしていました。会衆の人との繋がりやどんな会話をしているか、会衆の人は長老に対してどんな見方を持っているかということまで聞かれました。私たちは、会衆内の友人を巻き込むようなことはしていませんし
前回の続きです。私はほぼ覚醒した状態でしたが、やめたいという思いよりも、やめることはできないという思いの方が強かったわけです。そういう家に生まれたんだから仕方ない、と思うようにしよう、生きているだけでも幸せじゃないか、と自分に言い聞かせていました。(言い聞かせてばかり)そのように仮面を被りながらでも続けていこうと思える私と正反対のタイプ(笑)なのが妻です。妻もこれが真理なんだと納得させるしかなく様々な複雑な思いや葛藤を抱えながらも、私なんかよりもずっと誠実に霊的な日課に取
先回まで家族との話し合いのことを書きましたが、その中で母の祈りの関連で思い出したことを少し書きますね。覚醒してJWを卒業した今は本当に自由になりました。時間や活動の制約から、そして複雑な人間関係から自由になったこともそうですが、何より精神的な自由が大きいと感じています。子供の頃からの母と組織の教えによって、知らず知らずのうちに私の心を恐怖心のようなものが支配するようになっていました。思えば、きっかけとなったちょっとした出来事がありました。小学校6年の時ですが、クラス
A長老の話に続いて話したのは、1年程前まで10年以上調整者を務めていたB長老のセクハラ問題についてです。有能なB長老は地域大会でバプテスマの話をするような名の通った人でした。しかし成員に慕われていたわけではなく、むしろ距離を置かれるタイプでした。ベテルの奉仕部門出身者であり、医療委員の主要メンバーでもあり、まさに組織の優秀なロボットのような仕上がりで、血が通ってない感じというのでしょうか、人としての温かい感情や人間味が感じられない人だったからです。車の話や芸能界の話や美味
はじめまして、Fennelと申します。私の母は私が小学校3年生のころバプテスマを受け「エホバの証人」となりました。私は小さな頃から感受性が強く、子供ながらに様々な場面で組織や教理に矛盾を感じていました。それでもそうした心の隅にある疑念をしまい込み、信じるよう自分に言い聞かせながら真面目に取り組んできました。中2でバプテスマを受け、学校に行きながら補助開拓を行い、正規開拓奉仕も経験し、奉仕の僕になりました。以前は若さと勢いで何でも積極的に行なっていた感じでしたが、30
会合で、「長老を神の経路として認めているか」との質問に、長老だからといって無条件に信頼することは危険だと私が話しているところの続きです。前回書いた児童性虐待の例の次に、長老たちの不公正な扱いによって多くの人が苦しんでいるという例を出しました。会衆内のいくつかの例を出した後、会衆は別ですが、私のいとこが非常に辛い状況に置かれていることを話しました。結婚相手がJWでありながらまさかのDV夫で、その問題を訴えても長老も巡回監督も動こうとしないということについてです。いとこは結婚
妻の覚醒について、1、2回の記事でまとまるかな…と思って書き始めましたが、とてもまとまりませんでした。妻にインタビュー(笑)していると、いろいろな出来事や感情が思い出され、簡単にまとめることはできませんでした。覚醒していく過程の妻は、心の中でも文字通りにも涙していました。やはり真面目に取り組んできた人ほどショックは大きいはずです。もし今になって新しくブログなどから組織の実態を知って衝撃を受け、これまでの人生は何だったのかとショックを受けている方がおられましたら、できるだけ
妻はもともと明るくてユーモアがあり、いろんなことを楽しめる人です。たくさんの方といわゆる交わりをしましたが、私たちは表面的な霊的な会話をするというより、本音トークで話すタイプだからか、若い兄弟姉妹、主婦の姉妹などからいろいろ相談を受けることもありました。私たちが将来自然消滅するなんて想像もせず、一見いかにも安定したクリスチャン夫婦に見えていたかもしれません。しかし妻は定期的にひどい絶望感のようなものに襲われていました。深い深い悲しみの底から抜け出せないような感情でしょうか
前回の続きです。一定額の残高を残して会衆の寄付の残高を協会に送金するようにという指示が出ていた頃のことです。会衆の決議で高額な出費の発表がありました。既に十分高性能なカラーコピー機なのに買い替え、40万以上する高額なカーペット掃除機(業者か!)、電話機など、一緒に会館を使う3会衆で計150万近くの出費です。「一定の残高を残して一括送金をするようにという指示が来たため、会衆で買い替えが必要なものをまとめて購入することになりました」などという説明は一切ないまま、いきなりこんな
2013年頃でしょうか。私はまだJW関連のネット記事は全く見ていなかった時ですが、限界が来た妻が先に、ついに見始めたのでした。エホバの証人の教理を徹底的に研究されているブログや、世界中のJW情報を提供してくださるブログなどから知ったのは…BC607の矛盾や外し続けた預言…(1800年代からそんなに終わりの日の預言を外し続けていたのか!)迷走する教理…(そのときの会長の鶴の一声で大事な教理や規則が決められちゃったの?)コンティ裁判から始まる世界的な児童性的虐待裁判とその高
私は鬱病てす病院では前職のストレスと言われていますが、今出ている症状は子供の頃からありました確実にJWと母のせいだと思っています毎日死にたいし消えたいし、またゆく人の些細な行動にイライラし、攻撃したいと思うこともあります、もちろんしませんけど鬱じゃない自分がわかりません泣きたいのに泣けない、泣きたくないのに涙が出るなんて日常茶飯事どうせなら母に殺されたいと思ったこともあります自分で死ぬのは悔しいからこうなったら母に全部の責任を負わせたい仕事や数少ない友人との関わる中で明るくニコニ
職場の最寄駅でも、地元の最寄駅でも毎週のように見かけるJWの路上奉仕あれを見るたびに、自分が子供の頃に同級生にあうかもしれないとヒヤヒヤしながら俯き加減で立っていたことをおもいだします思い出さないように、楽しいことだけを考えて生活するように心がけているのに、視界に入り込んでくるJW一生逃れることはできないの?と辛い気持ちになりますさらに腹が立つのが、職場近くの駅のJWは、雑誌スタンドのそばには立たず、離れたところで近づく人を待ち構えていること雑誌を持ってニコニコ立ってるのがデフォルトだ
普通より濃いめな幼児期を送った私は、いよいよ小学生になります。母は幼稚園に通っていなかった私に、小学生になって困らない様にお家で数字やひらがなを教えていた様ですが、全く学習に興味を持たなかった様です(机に向かって集中して何かをするという行動自体が好きではなかった気がします)そんな状態で入学して、初めての集団生活。もちろんお友達も居ないし、最初は全然楽しくなかった。それでも優しい子がお友達になってくれたり、徐々に集団生活に慣れていくんですが、変わらず学習は苦手。家では相変わらず集会、奉仕
今日は両親について書いていきます。わたしは一応一人っ子なのですが、父親違いの兄がいます。母と父は再婚。兄は10歳以上離れていましたし、実の父親について行ったため一緒に暮らしたりしたことはありません。たまに遊びに来ていましたが、兄という認識はできませんでした。しっかり関係性が理解できたのは小学校3〜4年生の頃だったと思います。母はわたしが2〜3歳の時にバプテスマを受け、エホバの証人になりました。聖書の教えが全て正しいと思い込んでいた母は、ことあるごとに鞭でわたしのお尻を叩きました。鬼の
家族の中での会話の続きです。母は祈りが聞き届けられることが信仰の大きな根拠のように言いました。「どんな祈りが聴かれたかってこと話そうか?」と母が言うので私は「いや、いいよ」と自分で質問しておいて何ですが話を遮りました。子供の頃から聞かされていますが、母の「祈りが聴かれた」というのはちょっと思い込みが強いというか、客観的に見れば偶然なのにたまたま祈りと一致してしまった時に「祈りが聴かれた!」と信仰を強めてしまうパターンです。例えば、母がバプテスマを受けたときに交わっていた会
私にとって最後の公開講演になったのは、「宗教が果たす役割」についてのものでした。割り当てられた時は、最近ダニエルの預言とかそういう扱いにくい主題ばかり続いていて「嫌がらせか?」と思っていたので、また固いお題で困ったなと思っていました。さて準備に取りかかってみると、他の宗教を偽りとしJWだけを真の宗教とするお決まりの内容ですが、もう自分の口からそのまま筋書き通りには語れないと感じました。残念ながら渾身の書き込み入りの筋書きはもう捨ててしまいました。私は当時、講演者たちがタブ