ブログ記事138件
花山天皇出家の元慶寺金澤成保久々の社寺巡りを、京都・山科からまた始めることにした。山科の寺院では醍醐寺が有名であるが(以前ご紹介した醍醐寺のブログをリブログしました)、今回ご紹介するのは元慶寺で、花山天皇が愛する女御の死を悼み2年足らずの在位で出家した寺院として知られる。花山天皇が、藤原兼家・道兼父子の策謀にのせられ仏門に入った経緯は、大河ドラマ『光る君へ』にも描かれている。地下鉄東西線の御陵駅を下車して、住宅地を南に歩いて15分ほどのところに、元慶寺の山門が迎える。藤
【京都】大河ドラマ『光る君へ』紀行第10回『元慶寺』65代天皇・花山天皇は藤原道兼の勧めにより元慶寺で出家。歴史物語『大鏡』ではこの出家は藤原氏の謀略と書かれています。【元慶寺御朱印】【元慶寺御朱印】花山法皇は廃れていた西国三十三所観音霊場を復活させたことからゆかりの深い元慶寺は番外札所となり多くの巡礼者が訪れています。【鐘楼門】鐘楼門の上には菅原
中山寺の石棺中山寺(宝塚市)には、仲哀天皇の先后大仲姫が埋葬されたと伝えられる石棺「石の櫃(からと)」があります。伝説によると・・・718年(養老2年)、大和国長谷寺を開いた徳道が閻魔大王から授かった観音霊場三十三ヶ所の宝印を納めたとういう石棺なのだとか。それから270年後、宝印を探し出した花山法皇は三十三所を巡礼。そのため、花山法皇は西国観音霊場三十三所の中興の祖と呼ばれるようになったのだといいます。元慶寺986年(寛和2年)6月23日、花山天皇(花山法皇)は藤原兼家・道兼父子の