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5月2日(木)赤坂「クローフィッシュ」にて『井上堯之さんを偲ぶ夜』第1部1.青春の蹉跌のテーマ【井上堯之】2.あなたといる時そんな時【スパイダース】3.ガラスの聖女【スパイダース】4.花・太陽・雨【PYG】5.もどらない日々【PYG】6.一人(IStandAlone)【井上堯之】7.傷だらけの天使【井上堯之バンド】8.天使の憂鬱【井上堯之バンド】9.天使の情景M2
太陽にほえろ!第36話3月23日危険な約束脚本:市川森一、山田正弘、監督:山本迪夫この作品はショーケン兄さんが主役。脚本も良かった。アニキは、この脚を書いた市川森一を気に入って、傷だらけの天使でも頼んだのではないかと、、、いわゆる、グランドホテル方式(映画や小説、演劇における表現技法の一つ。ホテルのような一つの大きな場所に様々な人間模様を持った人々が集まって、そこから物語が展開する方式の)で、共同脚本の山田正弘とあれやこれやディスカッションをしながら、創ってい
樹木希林さんがお亡くなりになりました。沢山、沢山楽しませて頂いてありがとうございました。ご冥福をお祈り致します。わたしが、最初にテレビの画面で彼女の姿を確認したのは、森繁久彌さんのドラマ『七人の孫』での女中さん役。小さい子供だったので、内容は覚えていないけれど、家族が観ている横から画面を眺めていたのを覚えている。当時のお名前は悠木千帆さん。そして俳優の岸田森さんと結婚なさっていた。私は内田裕也さんとのカップルより、俄然こちらのお二人の方が興味がある。何故なら、子供心にも、岸田さんを魅力的な俳優さ
■第1話冒頭から登場するこの代々木会館は、複雑な権利問題から”不死身の廃墟”とまで長年云われ続けて来たが、残念ながら2019年(令和元年)8月1日より解体工事が始まってしまった。株)アルデプロと株)ドラゴンパワーによって、昨年末には話がまとまっていたが、年が明け、春になっても一般向けに正式なアナウンスがなされなかった事から、「今回も代々木会館は生き永らえるのか?」と淡い期待を抱いたが、期待虚しく解体工事は始まってしまった。アニキが旅立たれた年にエンジェルビルも無くなってしまうとは・・
監督は神代辰巳、深作欣二、工藤栄一他脚本は市川森一、大野靖子、鎌田敏夫他1974年というと素早く計算すると私は27歳で子供もいないしお金も無いのに専業主婦でいったい何してたんだろう。で、このドラマも見たり見なかったりだったけれどどちらかと言うとこのドラマは後になるほど話題になり視聴率も上がって来てそして遂に伝説のドラマと言われるようになった。お話、というより登場人物と設定を。木暮修・25歳と乾亨・22歳はエンジェルビルの屋上にあるペ
『傷だらけの天使』以外の作品にも「代々木会館」は度々登場している。今回は、それらの作品を此処に集め、60年代から70年代の「代々木会館」を考察したいと思う。●『兄貴の恋人』1968年9月7日公開作品。■上の画像の円内を拡大した物。ワンカットのみの登場だが、60年代の姿を確認出来る貴重なカット。既にビアホールの看板が在る。側面の看板もレア。お隣の「山野美容商事ビル」はまだ建っていない。最期の姿に見慣れた眼からすると、ダクトや配管類が無く、非常にあっさりした印象
時の流れとともに次々と姿を消していく「ロケ地」「傷だらけの天使」の好きな回第10話「金庫破りに赤い薔薇を」一平(小松政夫)がアケミ(川崎あかね)と階段を上がってきた「スバルビル」に続き、何と「新宿小田急百貨店」も閉店!以前訪問したコインロッカー諸共無くなるということか・・・。また「太陽にほえろ」七曲署屋上のロケ地「大久保、佐藤ビル」も今年の1月23日から解体工事へ。実は自分の通っていた高校の屋上も「七曲署屋上」として石原裕次郎が来ていたことがある。
m(__)m💕
最近は沢田研二さんについて書くことが多くなったが、もちろんアニキ(ショーケンこと萩原健一さん)のことは忘れていない。ジュリー甲辰ツアーの開演直前に流れているのが「太陽にほえろ!」や「傷だらけの天使」のテーマソングである。どちらかといえば、あの頃のアニキは、テンプターズ~映画「約束」~「青春の蹉跌」やっぱり映画ファーストであり、TVドラマ「傷だらけの天使」や「悪魔のようなあいつ」は当時軽視していたのですが、、、今年の4月22日に集英社新書から発行された永遠なる「傷だらけ
みなさんこんにちは!!クレイジーケンバンドの横山剣さんがオフィシャルインスタグラムにて傷だらけの天使×ゴールデンエイジのスカジャンを着用されています!!クレイジーケンバンド-Instagram:"まだ色々と秘密ですが、レコーディングを進めております。まずはこんなメンバーで。byスタッフ#クレイジーケンバンド#crazykenband#横山剣#洞口信也#高橋利光#白川玄大#gurasanpark#recording"3,877likes,19co
印刷職人である老人の”最後の純愛”を貫くべく、命がけで老人が愛するモエ子を救った修、亨と老人であったが、夜の呑み屋街で修と亨が観たのは夜の世界に身を落とすモエ子の姿だった・・・このシーンの冒頭に三番街の青線地帯の映像がインサートされている事から、モエ子は街の”小料理屋”で春を売る様になった設定なのだろう。モエ子が堕ちれば堕ちるほどこのシーンは活きてくる。当時建物の角は”入り隅”になっていたが、現在は普通の”出隅”になっている為当時と現在とでは若干イメージが異なるが建
腎臓がんの中でも稀な紡錘細胞がんのくつです。夢のような過去は消えてゆく…デイヴ平尾さんの曲一人…の歌詞です。夢のような過去は消えて行くひとりだけでただ歩くもう誰もいないチュ・・・誰もチュ・・・いないチュ・・・ひとりだけでただ歩く風が運ぶ春はさけて行くひとりだけでまだ唄うこの俺を笑うチュ・・・誰もチュ・・・いないチュ・・・ひとりだけでただ唄う*リピートうん
みなさんこんにちは!!TOYSMcCOYSTORE-Instagram:"_TOYSMcCOY2024SPRING&SUMMERCOLLECTIONトイズマッコイ2024年春夏カタログが完成いたしました。今回の表紙はスティーブ・マックイーンと新ブランドゴールデンエイジの両A面仕様!!本日出荷させていただきました!!トイズマッコイストアー通信販売ご利用のお客様には商品と一緒に発送させていただいております。ストアー店頭でも無料にて配布中です。#t
本日2回目の更新です。トイズマッコイの本日入荷した商品です。Newarrival19"NY"76TEE"IAMGOD'SLONELYMAN"カラー&サイズ:/OFF,BLU,OLV/M,L,XL¥8,800税込NewarrivalTHEGOLDENAGE傷だらけの天使乾亨スカジャン"兎と独楽"カラー&サイズ:/RED/M,L,XL¥88,000税込NewarrivalCOTTONRAYONSATEENTOUR
綾部貴子の依頼を受けた修は、仕事に必要な小道具を大東京美術に借りに行く。かつて新宿に存在した『大東京美術』。店内もロケに使用された。後方のビルは現存し、渡り廊下も健在。残念ながら『大東京美術』は現存せず。この辺りは新宿の一等地である為か区画統合し、大きな建物に建て替えられている所が多いが『大東京美術』が在った場所は当時のままの区画なので往時の面影を追う事が出来る。
嘆く綾部貴子と、何かに捉えられたかのような辰巳。夢とも現実ともつかない最終エピソードの前後を暗示するような幻想的なシーン。高層ビルで空が埋まってしまったが、今も当時の建物がちらほら確認出来る。屋上の佇まいは変わらないが、半世紀弱でここまでビルが増えた。三井ビルも京王プラザホテルも、現在では特別「高いビル」ではなくなってしまった。
往年のクールスファンの僕はこれまで多くのクールスの画像や映像を目にしたがこの画像は記憶にないので初めて見たかもしれない左から、舘ひろしさん、岩城滉一さん、水口晴幸さん、水谷豊さん、村山一海さんだと思うクールスと水谷豊って意外な組み合わせだと思うのだが何に使われた画像なんだろう?年代的には、たぶん1975年(昭和50年)中頃じゃなかろうか?クールスが初めて雑誌の誌面に登場したmcシスター1975年6月号以降の撮影だと思う岩城さんは歌手・俳優としてデビューした後かも知れないが
ひとつ前の当ブログで、松田優作さんと「ショーケン」こと萩原健一さんについてのエピソード、『ブラックレイン』(1989リドリー・スコット監督)と『誘拐報道』(1982伊藤俊也監督)のキャストは元々逆だったという話を書きました。このお二人はプライベートでもつき合いがあったようで、ずっと前に読んだことがあるのですが、優作さんが萩原健一さんの家に来て、「健ちゃん、原田芳雄はもうダメだなあ。最低よ、あいつは」なんてことを言い出したそうです。若き日の優作さんは原田芳雄さんの喋り方からファッション、ヘア
本日は原宿ナイキへ普段履き用のシューズAF-1を購入に。海外客のごった返す店内には噂の「NIKEヴェイパーフライ」が有った。ドーピングシューズとも揶揄される?ヴェイパーフライ。手に取ると相当な厚底。これでスピード出せるのかな?と思うけど一旦スピードに乗れば関係ない。日本ではレースと言えば、靴底が薄いタイプの信仰が根強いけど、今後主流が移っていくのだろうか?ネットでは品薄状態だと店頭在庫は有った模様??レース参加も減らしてタイムを追わなくなった自分は、この手の
誰に頼まれたわけでもないのに勝手に始めた“メンズビギヒストリー”今回これを書くにあたって、後世に残るかもしれない?記事の性質上、いつものようなクダラナイ話は抜きで…って、こんなこと書いてる時点でアウトだけど…また、先に断っておくが、私はメンズビギのヒストリーを全部知っているわけではない。私がBIGIグループに入社したのは1987年のことである。さらにその後十数年は、メンズビギの兄貴的ブランド「バルビッシュ」を担当していたからだ。なにせ40年以上続くブランドである。