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大急ぎ案件ありすぎて、ちゃんとした更新サボっていました。でもコレ、書かないと忘れてしまう。。と思い、この前の日食新月の日の事を残しておきます。日食。めっちゃ暴風🌀🌀🌀やった日!なんなら暴風雨🌀🌀🌀やった日!実はその日に、超久しぶりに六甲山南麓の金鳥山に登山予定があって、天気予報で風速8m前後なのは分かっていたのですが「雨予報も無くなったし、よかったー♪」くらいに思って朝起きたら、物干し竿落ちてた……💧要するに尋常じゃない暴風。
春の繁忙期もようやく終わったので、以前から計画してた神社巡りの旅2024スタート✨もちろん仙台空港から✈️スカイマークで神戸空港までスカイ❗昨年に時間がなくて行けなかった兵庫県⛩️保久良神社。思ったより勾配が急で51歳のおじさんにはかなり辛い坂道でした😖。ご本殿はお祭りが近いこともあり開放されてました。前持って準備した山形のワンカップ🍶お布施と封筒裏にカタカムナ80首(ミトロカヘシ)を記載したのをお賽銭箱に投函し参拝🙏。大昔は社殿や本殿もなく巨石を御神体としてお祀りし、古代の人々は
レムリアの愛に目覚めるブログ女神のヒーリングセラピスト〜マナイア英子です先日の新月の日、強風と雨でどうなるとかと開催延期をもよいつつも決行した保久良神社1dayリトリートのレポートお届します。まずは岡本八幡神社のほうから登っていきます。到着!保久良神社は、神社まで車は入れないので登ってくるしかありません。まずは参拝。雨と大嵐のような風で桜はちっていたけど、まだまだ咲いていいま
『保久良神社と浦島太郎の内緒話』日本には、神社が8万社以上もある。その数はコンビニよりも多いらしい。『保久良神社』は兵庫県神戸市、金鳥山の中腹に鎮座する。その主祭神のひとり、『椎根津彦命』。…ameblo.jp↑の話の続き。保久良神社の祭神『椎根津彦』、別名『珍彦(うづひこ)』は神武東征の時の皇船の先導者だった。『ウヅ』はヘブライ語で「光」とか「東」という意味だという説がある。「太秦(ウヅマサ)」のウヅもだろう。光とは太陽の光。「太陽」に「船」と言えば、エジプトの『太陽の船』。そして、
日本には、神社が8万社以上もある。その数はコンビニよりも多いらしい。『保久良神社』は兵庫県神戸市、金鳥山の中腹に鎮座する。その主祭神のひとり、『椎根津彦命』。神武東征において、船路を先導した人物。なんと、亀に乗っております🐢椎根津彦命は元々、『珍彦(うづひこ)』のいう名だった。『渦』、つまり↓『カタカムナ』のことですよね~。※カタカムナはあまり調べ過ぎると消されてしまうらしいので、喋り過ぎないようにしよう。珍彦は亀の背に乗ってやってきた。『浦島太郎』っぽいと言えば簡単だが、
久しぶりの投稿です前回、どんな投稿で終わってたかな~と自分のブログを見返して・・・びっくりしました私が望む出来事が起こっていたので(・・・しんどかったんですけどね〜)どういうとかと言いますと、、、「自分の感情をコントロールすることを鍛える」と書いた前回の投稿から早速少し気分が落ちまして・・・ブログを書く気も起きずさらに、子どもの高校受験&卒業&入学などなどイベントもあり忙しく・・・バタバタ生活する中で低空飛行をしておりました。
『天照大御神の内緒話』『天照大御神(アマテラスオオミカミ)』神々の国「高天原(たかまがはら)」を統べる太陽神であり、皇室の祖『皇祖神』と言われた最高神である。女神とされているが、元…ameblo.jp↑の続き。『天の磐船』に乗って降臨した『饒速日命(ニギハヤヒノミコト)』。降り立った場所には現在『磐船神社』が鎮座している。磐船神社は「天野川」の渓谷沿いにある。天野川つまり、『天の川』だ。ここがとても重要なのです。前回書いた通り、古史古伝『ホツマツタヱ』等によると、古代には『アマテル
こんにちは。Hirokoです!先日、六甲山系の金鳥山へ行ってきました!今回は、その不思議な力であふれているゼロ磁場にあるパワースポットをご紹介します!参加したのは、ガイド1,000回以上!2,500回以上六甲山に登ったという達人龍宮道場の寅ちゃんが主催する『金鳥山ゼロ磁場ツアー!』です。以前、寅ちゃんのブログに目がとまり、直感でここ行きたい!と思って、友達にLINEすると、すぐに、行こう!となり、他の友達にも声をかけていたところ、なんと偶然友達の友達が
前回は、最近学び始めたカタカムナの凄さを初心者なりに綴ってみました。今回はカタカムナを知るようになったキッカケや不思議な体験を綴ってみます。私の体験ではあるけれど、何かのご縁の始まりや、シンクロ的なことがどんな感じで起こるのか?そんな1つの例として読んで貰えたらと思います。それにより、あなたの人生の中で今回の私と似たようなことが起こった時、戸惑うことが減ったり、前向きに進めることを願い綴ってみます。全くカタカムナに興味の無かった私
カタカムナの聖地とされる「保久良神社」ですが、カタカムナ人(アシア族)の文明は、今から1万2千年以上前に栄えていたのではと考えられています。「カタカムナウタヒ」しか表立った文献とは残されていないのですが、その他の資料などは、恐らく人目につかいないところに保管されていると推定され、謎に包まれています。カタカムナ文明の唯一の証拠となる「カタカムナウタヒ」は80首で構成されていますが、円や直線を用いた八咫鏡文字で記されています。その記し方も独特でらせん状に右回り、さらに一見記