ブログ記事40,274件
(※閲覧注意※この記事には腫瘍写真が含まれます)私が乳がん告知された26歳の時腫瘍は約1.5cmくらいほんと、パチンコ玉みたい…(パチンコした事は無いけど何かそう思いました。笑)そんな感じでしたもちろん、腫瘍は皮膚の中にありましたその2年後の28歳の時私の腫瘍は6.5mmぐらいになり半分以下に縮小しました。それから更に2年30歳手前ぐらいまではほとんど変化なく痛みなどもなく……腫瘍の変化がほとんど無く過ごしてきて変化を初めて感じたのが30歳になる手前くらいか
※閲覧注意※この記事には腫瘍の写真が含まれます今日は1ヶ月に1回の定期検診の日!しかも、半年に1回のホルモン注射も含まれ今回は、CTも撮ったので正に、、治療フルコースの日!でした今日の主な治療内容は……■採血■CT■乳腺外来の主治医の先生の問診■ホルモンの筋肉注射:お尻に2カ所■ホルモンの皮下式注射(リュープリン)■骨の皮下式注射(ランマーク)■整形外科の先生の問診注射、全部で5回!!{ヒィーーこの注射祭りを、何日か前から嫌だ嫌だと言っていたら訪問看護の看護
以前も少し書いたことがある"私が手術をしなかった理由"今でも、たまに聞かれる事があるので今回詳しく書いてみようと思います1番最初、乳がん告知当初はお医者さんの言うがままに手術しようと思っていましたでも、そんな時のお医者さんの"手術終わったら今まで通りしていい"と言う一言で"え?癌なのに?風邪でも安静に栄養とってとか言うのに?癌は血液病で特に乳がんは再発が命おびやかすのにこのままでいいっておかしくない?"と、疑問に感じたのがきっかけですその後、一旦手術の予約して
私が乳がん告知されてからの8年間で1番辛かった日々…。骨転移が進んでいたであろう2019年7月頃~10月頃がピークの時期寝れなかった辛さについてコチラの記事で書きましたが…↓↓↓同じように朝、起きるのもその時の私には苦痛で…いつも寝ると同時に朝を迎えるのが、恐ろしくさえ感じていましたというも、、身体中の痛みで歩くのもままならなかった時もう、私は自分でベッドにもたれることもできずもちろん、起き上がる事も出来なくなっていましただから、ベッドにもたれる時はリク
"自分に優しく!ガンには厳しく!"と、たまに言ってる私ですが……これが、どーゆうことか詳しく話してなかったのでお話ししようと思います以前の記事にも書いた事があるのですが……最初ガンを告知された時は"何で私が?!恐い。どっかいって!"みたいに受け入れられずにガンを大否定していましたそして……"自分で治す!"と、決めガンと闘い出して頑張ってる時は"ガンになって良かった"と、全てを肯定しましたでも、今の私は……どちらでもないです。まず、、大前提に今の私は"
私が身体の痛みを感じ始めたのは細かい記憶は無いけど……2019年2月ぐらいだったかな??と、思いますそして、2019年4月にはほとんど外出も出来なくなっていましたそして、この痛みが乳がんの骨転移だったと分かったのは更に半年近く経った2019年9月末にCT検査を受けてようやく分かりましたこの頃はもう座ることもままならず寝転ぶことも出来ずストレッチャーにクッションで傾斜をつけてようやくその体勢をキープできる状態だから、CT検査の時もスライダー使って移動し3人
さっきはご心配おかけしました。。Instagramや、メールに沢山の方から励ましのメッセージ頂きましたまだ全部読めてないんですが、お返事必ず送りますのでもう少し待っててください。。メールはすぐ確認する癖があるんですが、Instagramは見るまでに時間がかかってしまうので、、すみません今ちょっとまだ怒りと幻滅と寝不足で頭がうまく回転してなくて気のきいた文章が書けなくて。。でもお礼を書きたくてアップしました今日こちらを送って下さった方、本当にありがとうございましたm(._.
昨年の今日と同じ日に書いた記事。わたしのメイクの基になる出来事です。↓↓美しい母のもとに生まれるとしかもお母さんに似ていなくてしかも娘だったりすると半端ない見た目コンプレックスに人生を左右されたりするものです。こんにちは!福井美余です。年末の大掃除のときに子供のころの写真が出てきました。パープルのセクシー水着にヒョウ柄ストールが若かりしころの母です。私が4才か5才くらいの頃だから母が、今の私と同じくらいの頃かな。手前にいる、色黒の男子・・・。みたいな
今まで乳がんになって8年……その中で本当に、たくさんの色々な本を読んできましたそれこそ治療の事から、食事療法はたまた哲学的な本まで、様々です笑その中でも、特に好きな本があり、この本に書かれてる事全て好きなのですが……その本の言葉の1つを今日、思い出したので紹介します(↓↓↓以下注釈)"変えられるものを、変える勇気変えられないものを、受け止める冷静さそれを識別する、知恵を持つ"勇気には2つあります。いい勇気と悪い勇気です。いい勇気とは、どのようなものか。哲
おはようございます!(自分ツッコミぐま↑↑↑可愛すぎます♡癒されます多分、朝の私の顔もこんな感じです。笑)朝起きて、ふと心に想った聖句です"それだけではなく、苦難さえも喜んでいます。それは、苦難が忍耐を生み出し、忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと、私たちは知っているからです。この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって神の愛が私たちの心に注がれているからです。"ローマ人への手紙5:3-5この聖書箇所は私が
赤ちゃんをベビーカー乗せながら赤ちゃんのマグを置く場所にコーヒー乗せてマック頬張りながら険しい顔してベビーカー引いてるママとすれ違った。きっと私に子供がいないときやオンオペ育児経験者じゃなければ「お、、、おおww今食べなくてもさwwwww」って思うけど今の私の感想「お腹空くよね!わかるよ!それでもベビーカーでお出かけしたんだよね!えらいよ!!!よくやってる!」ってめちゃくちゃ褒める。人間の本能剥き出しのお母さん。一瞬すれ違っただけだけど私はなんとも愛おしい気持ちになった、
私は乳がんを告知されてから8年間にわたって自分の中での闘いが沢山ありましたその闘いから解放されるのに1番大変だったのが"恐怖心"です。こればっかりは目に見えないからこそ1番やっかいで……身体の痛みとかは薬とかで抑えたり身体にあるガンには自分が納得できる治療法を探したり……色々、術がまだあるのですが恐怖心と闘う為の術が分からなくてどれだけ、前向きな言葉を聞くようにしたり必死に恐怖を追いやろうとしてもその効果は長続きせずせっかく、前無向けた!と思ってもお医
今日も大阪は天気が良くて窓から入る日差しが心地いいです春には歩くぞ〜!と、今日も外を家の中から見ながら思ってます笑朝は、相変わらず皮膚の引っ張りの痛みがあり痛み止め飲んでようやく落ち着いてきました!そして、昨日のブログのコメントで"なぜ、腫瘍が小さくなったと思われるのでしょうか??"とご質問があり"確かに、ごもっともな疑問!"と思ったので考えてみました!何か……言葉で上手く表現しにくいのですが……ただ、腫瘍が痛い時の痛みは内側からナイフで何度も刺されるよ
今の私は、基本自分が乳がんだということを隠す事は無いのですが……(もちろん必要以上にも言わないですが)以前の私は、極力親しい友人や知人を除いて自ら乳がんだと言うことを避けていたように思いますこの時の心境を思い返した時に自分でも、これ!と、いう絶対的な理由は分からなくて……ただ、言えるのは必要以上に乳がんを隠さずありのままの自分を言えるようなった今はとても心地よく、生きやすい!そう思えますそう考えたら……以前の私は、乳がんの自分を受け入れているようでどこか
このブログを始めてはや1ヶ月とちょっと私がブログを始めるにあたって変わらない想いがあります以前も少し書いた事が、ありますが……同じように闘病中の方が見ても"恐くないブログ"を書きたい。まだ私は腫瘍もあるし中には恐がらせてしまう事もあるかと思います{ゴメンナサイでもこれだけは、したくないのは……誰かの希望を奪うような絶望を与えるような……そんなブログにはしたくない!と思ってます……というのも、私が乳がん告知された当初26歳という歳で、周りに同じような
よく、このブログで私の好きな言葉を紹介させていただいてますが実は、私が1番好きな心に残る詩をまだ紹介させてもらっていませんでしたその詩は「Footprints」という詩でマーガレット・F・パワーズというアメリカ人女性の作った詩ですそして、この「Footprints」を私のブログを見てコメント欄で教えて下さった方が何人かいらっしゃってこの事も、私にはとても嬉しくコメント欄を皆が皆見るわけじゃないと思うので改めてブログで紹介させてもらおうと思ったきっかけにな
26歳の時に乳がんを宣告された私の状態はステージⅠの初期の初期1.5cmの腫瘍でしただから、手術したとしても"少し皮膚が凹む程度の傷しか残らない"と言われましたそれでも、その時の私には胸を切るという事が、女性として嫌でたまりませんでしたもちろん"命には変えられない"それは絶対なのですが……26歳のわたしが乳がん告知された時にも書いたように当時の私は自分が癌だということさえも受け入れ難いのに胸に傷がつく。その事は更に輪をかけてショックでしたそして、手術
今、1日を椅子かベッドで過ごしている私が完全に歩けなくなったのは……(この時、歩く時は手を引いてもらい数歩が精一杯。基本は車椅子移動になっていた頃です)この↑2019年6月末くらいから始まり……2019年9月には完全に歩けなくなっていましたその原因は、乳がんからの全身骨転移により特に左大腿骨の付け根部が大きく1/3ほど骨が溶けてしまい……気づいた時にはすでにヒビが入っていてもういつ折れてもおかしくない。……そんな状態でお医者さんに左脚の加重を一切禁止された為
私の腫瘍が皮膚から飛び出して来たのが2016年30歳ぐらいの時今思うと自分でもビックリなんですが…というか"バカだったな~"てつくづく思うのですが……最初皮膚から腫瘍が出てきたのを"あ、外に腫瘍が出たのは中で広がらずに身体の外に出してくれてるんだ"そう思いましたその後すぐに、これは悪化だと気づいたのですが本当にこの時の私は身体を見る方向が偏っていたように思いますだから今はその失敗を反省して偏った見方に捕らわれないようにと思っていますそして、腫瘍が飛び出
何度か、このブログでお話しした事があるのですが……私が3歳の時に両親は離婚してそれが原因で3歳の私には寂しくて、どこかに母に怒りがあった……というのを31歳くらいでようやく気がついたのですが実はそんな、寂しい。とか離婚して欲しくなかった。とか……31歳になって、その感情に気がつくまでは全く、そんなこと思ってない。と思ってましたというのも、私が6歳手前で母は再婚してるのですが……(その事についてはコチラの記事に書いています↓↓↓)私が小学生くらいの時はまだ、「離
私が好きな言葉。覚書ですこれは、とても有名だから知ってる人も多いはず!「THISISYOURLIFE.」エコデザインベンチャー企業Holstee社のマニフェスト本人達も驚くほどの共感を得て世界中でシェアされた言葉ですこんなポスターまである!↓↓↓THISISYOURLIFE.(原文)“THISISYOURLIFE.DOWHATYOULOVE,ANDDOITOFTEN.IFYOUDON’TLIKESOMETHING,CHAN
私が26歳で乳がん告知され免疫力を上げるために食生活や、生活習慣を見直し身体が作り替えられていく中感じた……"あー、確かに乳がん告知前の私はヤバかったし、兆候もあったな"と、いうこと……これが、絶対病気の兆候!とは保証はもちろん出来ませんが確かに、あった身体の変化……これが何かの、誰かの参考にでもなれば…と思いますまず、乳がん告知前の私はアパレル販売員で朝から晩まで仕事中心の日々を送っていましたいつからか忘れたけど…昔はそんなに身体が、弱い訳でも無かったのに
変えられるもの性格は変わらなくても態度は変えられる見た目は変わらなくても言葉使いは変えられる収入は変わらなくても生き方は変えられる事実は変わらなくても受け止め方は変えられる相手は変わらなくても自分は変えられる変えられないものより変えられるものに目を向ければ今よりも前に進めるこれは、私の心に残った言葉の1つです以前、コチラの記事にも書きましたが↓↓↓変えられるもの変えられないものこれをしっかり識別すること。そして、変えられないものを見て一生懸命、頑張って
今日は、私の記念すべき日!約8ヶ月ぶりに自宅のお風呂場でシャワーをあびれましたーっ(浴槽には、まだです!お風呂場でシャワーです)自宅でなければ、約半年前にホスピスで入浴介助機?みたいな機械を使ってお風呂に入ったのですが……その時は、大分痛みも取れつつあったものの…まだ椅子に座ることもしんどくストレッチャーに防水シートを貼ったクッションなどで身体を支えて、ほぼ私は動かず……というか痛みで動けずそのストレッチャーのまま入浴室に入り頭からつま先まで看護師さん2人が
ナリさん、こんにちは😊友だちにブログを教えてもらってから、いつも拝見しています。私は子育て中で、ナリさんの子育てに関するブログも凄く納得しながら読んでます‼️でも、結局私はいつも苦しくなる方を選んでしまっているな~と反省。私は母子家庭育ちで母は仕事仕事の毎日で、その頃はそれが普通で何も思っていなかったと思うけど、振り返ると寂しかった。今は私が仕事は、家族・子どものためと頑張ってるけど疲れてイライラして子どもに当たってしまっていて。母親と同じことしてるやん‼️と気付いて、
乳がんとか関係なく過去の自分を振り返って"私ってどんな人間だったのかな?"って考えてみて思うのは……"いつも私は満たされていなかった"って、思います例えば、何回か今まで過去の私のお話しでしたように以前の私はこんな感じで↓↓↓コスプレしたりパーティだったりとにかく着飾って遊ぶ事が大好きでオシャレも好きなんだけどとにかく物欲も凄くて……今、思えばその根本原因は"満たされない"という想いから来ていたように思います派手な服装がダメとかパーティがよくないとかオシャ
昨日は、定期検診で嬉しい報告もできて……温かい、お言葉もたくさん頂き……本当に心から感謝します↓↓↓病院後に訪問介護の看護師さんが来た時にも検査報告もして良かった!凄いねー!と話していて……"でも、ミミポポさん傍から見たら、治療始めてから何も問題なく順調に回復してるように見えるけどここまで来るまで色々、悩んだりもあったよね?"と、看護師さんたしかに……基本、私は過去の問題から学ぶ為以外は過去を見ることより前を見る方が好きだから…笑あまり、そんな事をわざ
よく病気になった時に思う"何で、私が?!"と、いうような……病気になった理由を知りたくなる人が多いと思います少なくとも、私はそんな事を考えたりもしましたでも、これって結局理由なんて誰にも分からないそのような、お話しを以前コチラの記事でしたのですが…↓↓↓このように……そんな分からない理由を解決できなくても解消はできる。私は今もそう思っていますでも、1つだけ今まで私が読んだ本で"あー。。確かに…なるほどな~"と、納得できた"私が病気になった理由"の、捉え方
"親の死に目にも会えない覚悟でいろ"私は17~20代前半までのアパレル販売員時代そんな上司の言葉を本気で受け止めて仕事をしていましたその時の私の生活は朝6時に起きて準備して終電ギリギリで帰宅して寝るのはいつも夜中の2時とかでした休みも週に1回あるか無いか…そんな働き詰めの毎日。だから、朝メイクしながら途中、意識飛んでるなんて、日常茶飯事でした。笑私が働いていた、お店は全国的にも人気で有名なお店だったので毎日絶え間なく店内はお客さまで溢れていて体育会系で真っ直
今日もご訪問ありがとうございます放送を観て頂いた皆様ありがとうございました!若い世代の方にも何か考えるキッカケになってもらえたなら嬉しいなと思います。久しぶりにブログアクセス数が11万を越えてましたご訪問下さった方もありがとうございました改めてこれからもよろしくお願いします今放送しているフジTVの木10ドラマ「嫌われる勇気」観てはる方いはります?「アドラー心理学」を通して事件をみる女刑事の物語これまで心理学を勉強したこともないしこのアド