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(※閲覧注意※この記事には腫瘍写真が含まれます)前々から、1度動画とは別で腫瘍の変化を時系列でまとめたいと思っていたので……2015年夏ぐらいに腫瘍が皮膚に飛び出てから2020年4月現在に至るまでを簡単にですが写真と共に並べてみます腫瘍が皮膚を突き破った日の話&写真はこちらの記事に載せています↓↓↓そして2018年5月のこの日↓↓↓忘れもしない日から、腫瘍からの大出血が始まりますその時の母との韓国旅行の写真がコチラです↓↓↓2018年11月頃日本にて。もう、
病気て病気になった本人だけじゃなくて家族や周りの人にも大きく影響される事が多いな~と思うそしてコメントで"どうしてもらったら1番嬉しいですか?"と、ご質問いただき改めて考えてみましたなので今回は私が乳がんになってから周りの人に"こうしてもらって嬉しかった事"をまとめてみようと思います正直、私からしたら"こうしてもらって嬉しかった"とか言うこと自体おこがましく思うのですが……でもよく周りの人には聞かれる事なので考えてみました私が病気になってしんどいこ
26歳の時に乳がんを宣告された私の状態はステージⅠの初期の初期1.5cmの腫瘍でしただから、手術したとしても"少し皮膚が凹む程度の傷しか残らない"と言われましたそれでも、その時の私には胸を切るという事が、女性として嫌でたまりませんでしたもちろん"命には変えられない"それは絶対なのですが……26歳のわたしが乳がん告知された時にも書いたように当時の私は自分が癌だということさえも受け入れ難いのに胸に傷がつく。その事は更に輪をかけてショックでしたそして、手術
普段、私はブログで自分の日常を載せたくない。というより"誰が私の日常に興味あるねーん"的な感じであまり載せてなかったのですがコメントで同じ乳がんの方から"ミミポポさんの今の日常を見せてくれたら参考になるので嬉しい"と、温かいお言葉をもらい"確かに……いつもありのままの私を。と思ってブログを書いてるからそういうのも書いてみよう!"と思い…{アリガトゴザイマス!前置き長くなりましたが……早速、今日の私の日常を書いてみようと思います!とりあえず今日の私です
※閲覧注意※この記事は、腫瘍の動画が含まれます今日は今、使用してるイブランス2クール目の2週間ごとの経過観察の為朝から、病院行ってきました採血だけした結果……ほぼ、2週間前と変わらず特に悪くなってるとこもなく順調との事でそのまま続行になりました!けれど!腫瘍は更に2週間前より小さくなり身体中にあったしこりも全部小さくなってて!中には、もう触った感じでは無くなったものもあります!とにかく、そんな感じで順調で良かった良かったーそして!題名にも書いた私の腫瘍が大き
まずはこちらの記事をお読みください♡①私が恋愛をこじらせまくっていた過去②私がバツイチ貧乏OLになった話③離婚の絶望から幸せな結婚までの道のり鶴岡りさです。4日間かけて、私の過去を書いてきましたが想像以上の反響で、自分でも驚いています昨日、「ありのままの私」は「今のままの私」とは限らないというお話をしました。最近、「ありのままの私」という言葉だけが一人歩きしてありのままの私ってそもそも何かわか
(※閲覧注意※この記事には腫瘍写真が含まれます)今日は、朝から1ヶ月検診で病院に行ってきましたので検査結果を報告します!まず、今日行った検査内容が■採血■主治医の問診■ランマーク(骨を強くする皮下式注射)■フェソロデックス(ホルモンの筋肉注射2ヶ所)ですっ注射が嫌いな私は特にお尻の筋肉注射が痛くて嫌で1分くらいかけて2ヶ所打つのですが……今日も、こうして治療が出来てること✨そこに、まず感謝して……長く感じる、それぞれ1分の注射時間はペットのタレの動画を見て可
"痛いのは生きてる証"私が癌の痛みに痛がって泣いて耐えてる時に何度か言われた励ましの言葉たとえ痛くてもまだどこか身体や心に余裕があった時はポジティブに捉えれたし"確かにね〜"って、痛いながらも笑えた話でも……33歳、少しずつ歩けなくなった余命宣告前[後編]にも書いたようにここまで身体中が痛くてしんどくて……もう気が狂う寸前までいった時痛みで泣き叫ぶ私に"痛みは生きてる証だよ!"と言われた瞬間……"そんな生きてる証いらない!何で?!生きてる証に痛みが必
※閲覧注意※この記事には腫瘍の写真が含まれてます苦手な方はどうぞこの記事を見ないようお勧めします↑↑↑(この画像はTOP画に腫瘍の写真が来ないように意味のない画像です。あしからず…)乳がん発覚して8年……色々ありすぎてどこから書こうか悩むのですが……とりあえず今、現在のわたしの状態をお話します今はステージⅣかな?かな?というのも変な話ですが…笑というのも2019年9月末に病院で診断受けた時にはがん末期の状態で骨にも転移して大腿骨の骨にヒビが入り
(※閲覧注意※この記事には腫瘍写真が含まれます)私が乳がん告知された26歳の時腫瘍は約1.5cmくらいほんと、パチンコ玉みたい…(パチンコした事は無いけど何かそう思いました。笑)そんな感じでしたもちろん、腫瘍は皮膚の中にありましたその2年後の28歳の時私の腫瘍は6.5mmぐらいになり半分以下に縮小しました。それから更に2年30歳手前ぐらいまではほとんど変化なく痛みなどもなく……腫瘍の変化がほとんど無く過ごしてきて変化を初めて感じたのが30歳になる手前くらいか
(※閲覧注意※この記事には腫瘍写真が含まれます)以前コチラの記事で腫瘍の変化を時系列でまとめたので↓↓↓余命宣告前~現在に至る"自覚症状の変化"を主に、まとめてみたいと思います(↑2019年1月。歩けなくなる3か月前)身体が動かなくなり始めたのは腫瘍が1番大きくなった頃↓↓↓▷2019年4月末~:骨転移当初(厚みは、私の人差し指1本分。約6cmほどあり縦の長さは11cmを超えてました)✓...治療法:コロイドヨード✓...出血が酷く出血多量で救急車で運ばれることも
この記事は33歳、少しずつ歩けなくなった余命宣告前[前編]33歳、少しずつ歩けなくなった余命宣告前[中編]の続きになります時間と共に良くなると思っていた腰。これが中々思うように良くならず…それに伴って、いきなり介助が24時間必要になり家族も大慌て。髪の毛は洗えないまま10日の時が過ぎましたもう、身体も、精神的にも限界だった頃訪問看護の方達に来てもらう事になりました初めて訪問看護の方に来てもらった時……その時の私はしんどすぎて腰だけじゃなく足なんか左太
実は今日、自宅でネット配信のセカンドオピニオンを受けました!{ジダイハ、シンカシタ…!!と言うのも……今、私がしている治療は主にホルモン治療とイブランスという新薬で今のところ効いてるのですがもし、この薬が効かなくなったら従来の抗がん剤のような副作用の強い薬になるみたいで……私は、癌と闘う為にも出来るだけ自分の体力は守りたくて、今のところ従来の抗がん剤の様な副作用の強い薬を使うつもりは、ありませんですが、もしイブランスが効かなくなった時次の手段をちゃ
今日は、私の記念すべき日!約8ヶ月ぶりに自宅のお風呂場でシャワーをあびれましたーっ(浴槽には、まだです!お風呂場でシャワーです)自宅でなければ、約半年前にホスピスで入浴介助機?みたいな機械を使ってお風呂に入ったのですが……その時は、大分痛みも取れつつあったものの…まだ椅子に座ることもしんどくストレッチャーに防水シートを貼ったクッションなどで身体を支えて、ほぼ私は動かず……というか痛みで動けずそのストレッチャーのまま入浴室に入り頭からつま先まで看護師さん2人が
※閲覧注意※この記事には腫瘍写真が含まれます今日は1ヶ月検診で朝から病院に行ってきました!イブランス1クール目の検査結果も見て今後の治療方針も確認しました{本題に入ります…{ピ…まず、今日したのは採血(血液検査)ランマークの注射(骨を強くする為)ホルモンの注射(お尻に2ヶ所)です{チューシャイッパイ…まず採血の結果!先月から始めたイブランスこの1番の副作用が白血球の低下なんですけど…2週間目の時に少し下がったけどそれもイブランス使用した割に全然下がっていな
私が乳がん告知されてからの8年間で1番辛かった日々…。骨転移が進んでいたであろう2019年7月頃~10月頃がピークの時期寝れなかった辛さについてコチラの記事で書きましたが…↓↓↓同じように朝、起きるのもその時の私には苦痛で…いつも寝ると同時に朝を迎えるのが、恐ろしくさえ感じていましたというも、、身体中の痛みで歩くのもままならなかった時もう、私は自分でベッドにもたれることもできずもちろん、起き上がる事も出来なくなっていましただから、ベッドにもたれる時はリク
私は、2019年の9月末から標準治療を受け始めたのですがその頃は、今以上に自力で動く事が出来なくていきなり24時間・介助が必要になり仕事をしながら母やニコ、母の知人が代わる代わる傍に居てくれましたけれど、いつまで動けなくて、いつまで私は、24時間介助が必要な状態が続くのか…?母子家庭の私の家は母が働かない訳にもいかない……そんな中、看護師さんに勧められたのが"ホスピスの病院"でした"いざ、家族で看れないとなった時の為にホスピスを体験しておくと緊急でも入り
以前も少し書いたことがある"私が手術をしなかった理由"今でも、たまに聞かれる事があるので今回詳しく書いてみようと思います1番最初、乳がん告知当初はお医者さんの言うがままに手術しようと思っていましたでも、そんな時のお医者さんの"手術終わったら今まで通りしていい"と言う一言で"え?癌なのに?風邪でも安静に栄養とってとか言うのに?癌は血液病で特に乳がんは再発が命おびやかすのにこのままでいいっておかしくない?"と、疑問に感じたのがきっかけですその後、一旦手術の予約して
ブログでもたまに紹介する私のグローバルな家族何かハーフでも無いしでも、どう見ても外人が居る笑笑{アソコニイル不思議な家族構成だと思われた方も少なくないはず実はここに至るまでちょっとばかし複雑な家庭環境だった方かもしれません私が3歳の時に母は私の実の父親と離婚し私が6歳になる前に再婚しましたその人は私の育ての父親となり私が16歳の時母と育ての父親が別居するまでずっと一緒に暮らして来ました私は育ての父親にいつも気を使っていて父が家にいる時いつも窮屈で
私が、闘病生活の8年の中で1番辛かったのは乳がん告知の時と、骨転移が進んだ時とお話しした事がありますが……骨転移が進んだ時は、心より身体の辛さが大きかったですでも、その24時間身体の激痛と大出血に耐え、息も苦しかった時と並ぶ…もしくはそれ以上に辛く耐えがたかったのは私が乳がん告知された26歳の時でした以前、こちらの記事にも書きましたが↓↓↓私が乳がん告知された26歳の時に味わった恐怖は…あの頃の私には耐え難くただ恐怖に支配され、もう食べることも寝ることも……
私が26歳の時に乳がんを告知されその時から8年間色々な食事療法をしてきましたがずっと、これだけは食べていないものがありますそのひとつは、以前こちらの記事に書きましたが↓↓↓もうひとつ、8年間とっていないのが乳製品ですまず、きっかけは乳がん告知直後、色々調べてその時この本を知り納得したからです↓↓↓乳がんと牛乳──がん細胞はなぜ消えたのか2,588円Amazonこの本の著者自身が乳がんになり研究した結果(42歳で乳がんになった著者プラント教授たたいても、たた
ミミポポと読者の方へまずは出会った時の話から…ミミポポとは16才の頃、イベント関係のお仕事で一緒になったきっかけで仲良くなりました。出会った時から、ミミポポは本当に自分にストイックで、私からみていてしんどく無いの?って思うくらい真面目で純粋で、妥協もしない。そんな女の子でした!ギャルやのに笑また、出会って間も無いのですが親元を離れて暮らす私の家で一緒に住む事になり、私のお誕生日に文鳥とミミポポがやってくる事になりました!まさかの文鳥プレゼントと言う凄いサプライズをサ
私は今、乳がん末期のステージⅣだけどなぜか、ずっと変わらないのは……"私はガンでは死なない。"って言う、確固たる自信。いや、確信笑これは、2019年9月末"このままだと年は越せない"と、余命3ヶ月もないと言われても変わりませんでしたその時、お母さんは泣いてお医者さんも深刻な顔。私も、身体中痛くてもう、座ることもできなくてストレッチャーにクッションひいてなんとか身体を支えて……話すのも、しんどくて息切れながらようやく声を出せる状態。そんな状態でも私は、余命を言
こうやって思い返すと、今の私はすごく父親に影響されてるのかも。だから海好きだったり、料理するのが好きなふみくんに心抱いたのかな?笑ふみくんと家庭環境のこと今までもっとたくさん話したよね?なんであの時今まで話してないていになってたんだろ?あれもまたふみくんの優しさかな。何が優しさなのかわかんないけど笑笑口下手さんのことだからきっと優しさだったんだと
昨年の今日と同じ日に書いた記事。わたしのメイクの基になる出来事です。↓↓美しい母のもとに生まれるとしかもお母さんに似ていなくてしかも娘だったりすると半端ない見た目コンプレックスに人生を左右されたりするものです。こんにちは!福井美余です。年末の大掃除のときに子供のころの写真が出てきました。パープルのセクシー水着にヒョウ柄ストールが若かりしころの母です。私が4才か5才くらいの頃だから母が、今の私と同じくらいの頃かな。手前にいる、色黒の男子・・・。みたいな
昨日は、定期検診で嬉しい報告もできて……温かい、お言葉もたくさん頂き……本当に心から感謝します↓↓↓病院後に訪問介護の看護師さんが来た時にも検査報告もして良かった!凄いねー!と話していて……"でも、ミミポポさん傍から見たら、治療始めてから何も問題なく順調に回復してるように見えるけどここまで来るまで色々、悩んだりもあったよね?"と、看護師さんたしかに……基本、私は過去の問題から学ぶ為以外は過去を見ることより前を見る方が好きだから…笑あまり、そんな事をわざ
※閲覧注意※この記事には腫瘍の写真が含まれます今日は1ヶ月に1回の定期検診の日!しかも、半年に1回のホルモン注射も含まれ今回は、CTも撮ったので正に、、治療フルコースの日!でした今日の主な治療内容は……■採血■CT■乳腺外来の主治医の先生の問診■ホルモンの筋肉注射:お尻に2カ所■ホルモンの皮下式注射(リュープリン)■骨の皮下式注射(ランマーク)■整形外科の先生の問診注射、全部で5回!!{ヒィーーこの注射祭りを、何日か前から嫌だ嫌だと言っていたら訪問看護の看護
私がガンになって、やめたこと末期ガンになって、ようやくやめれた事がありますそれは……"完璧を求めない"ということですガンになるまでの私はいつも完璧を求めていましたそれも、無意識に!そもそも完璧って何だろう??いつも目指すところがあってそこに到達してもまた目標が出てきて追いかける車輪を転がすハムスターみたいにどこまでも、どこまでも突き進んで結局、どこまでいっても満足出来ない!そんな風になってしまう……以前の私は、そうでしたいつも、何かを目指していていつ
(※閲覧注意※この記事には腫瘍写真が含まれます)私が最後に韓国に行ったのが2018年12月のXmasから末までですこの時、出血が止まらなかったと何度かこのブログで話した事がありましたが……詳しくどんな状況だったか話した事が無かったので今回お話ししようと思います私は、韓国に彼氏が居るので元気な時は、互いに月1回程度行き来していましたこの時の私の身体の状態は身体は動いたし元気だったけどとにかく出血が酷くて……もう、どこで大出血してもおかしくない状態で出歩く時はとにか
この記事はコチラの記事の続きになります↓↓↓先日の記事でお話ししたように初めて腫瘍が皮膚を突き破って出てきた時は私にとって、衝撃でもあり大きな変化でもあったのですが……じゃあ、その後私の日常生活にも大きな変化があったのか??と、思い返してみると……私の日常生活は、ほぼ変わらなかったです変わった事と言えばガーゼを持ち歩くようになったぐらいですそんな私は、変わらず友達とも遊んだしパーソナルカラーの講師もカフェのバイトもしたりして働きもしていましたそして、そ