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大河ドラマ『光る君へ』関連の模擬問題を作成しました。①『光る君へ』の印象的な場面である「藤原兼通・兼家兄弟の権力争い」、「一条天皇即位式の生首事件」、「道長と伊周の競べ弓」、「詮子が一条天皇に次の関白を道長へと訴える場面」等を記載した平安時代後期に成立した歴史物語は何ですか。(難問です)②京都御所の東に位置し、節分や桔梗のお寺としても知られ、紫式部の邸宅址として注目を集める寺はどこですか。➂紫式部のお墓は、京都紫野の堀川北大路交差点近くにありますが、紫式部のお墓の隣には平安時代初期の公
…京の通り名を付けている事でも知られる施設は?京都市内初の内陸型大規模水族館として、平成24年に梅小路公園・内に開館した「京都水族館」は、令和4年に開館10周年を迎えた。展示コンセプトは、「水と共につながる、いのち。」で、「オオサンショウウオ」「アザラシ」「イルカ」など約250種を展示する。ペンギン相関図ケープペンギン「たけ」飼育する「ケープペンギン」の名前には、「まる」「たけ」など、洛中の通り名に由来して
昨日マイページみてふと気がついたん、22日ブログ更新してないやんちゃんと22日書いてたんですが、「下書き」のままになっていたなので、その日のものを再?アップします最近の写真正面通の専定寺、通称「烏寺」屋根瓦にしっかり「烏」いた!大谷本廟の円通橋違う角度から忘れたころに京都検定2級問題の続きです【公開テーマ・京都一周トレイル】(71)「東山コース」から起点である()は稲荷神社の総本宮で、参道に並び立つ朱色の千本鳥居で海外から観光
皆さま、ゆっくりと休日をお過ごしなさいませ。といっても、お仕事をされている方もおありと思います。どうぞお疲れのないように、おきばりやす!季節が良くなってきました、暑いくらいです。おみほはんは何だかんだと言いつつ・・・・。昨日はお稽古事で大阪へ、2ケ月近くお休みしておりましたので、皆さまにお久しぶりでと言われてしまいました(゜_゜>)今日は主目的は本満寺の牡丹見物に・・・・。姿の良い枝垂れ桜の下に咲く牡丹は終わっていました、残念。例年より早かったようです。幸神社へ参詣
京都検定『光る君へ』関連模擬問題その1【解答】①「大鏡」②廬山寺(漢字で書けますか)➂小野篁(漢字で書けますか)
こちらの興聖寺は水火天満宮と堀川通を挟んで向かいにあります。創建した古田織部にちなみ通称「織部寺」。戦国武将であり、千利休の高弟で茶人としても有名。織部好み、よく目にしますね。古田重然(織部)雲了庵テキストには載っていないので番外です。
NHK大河ドラマ「光る君へ」の視聴率はイマイチのようだが、京都検定の立場からは、興味深い。必ず出題されるだろう。今回は、日記を覚えておこう。ドラマは平安中期(西暦1000年前後=藤原道長は966~1028年)と覚えておこう。なお、年号は成立年代。○974年・藤原道綱母(藤原寧子)『蜻蛉日記』《財前直見》○1010年・紫式部『紫式部日記』《吉高由里子》○1011年・藤原行成ユキナリ/コウゼイ『権記』《渡辺大知》○1021年・藤原道長「御堂関白記」《柄本佑》○1032年・藤原実資
・・・5段の違い棚は何と呼ばれているか?「天下の三大名棚」とは、醍醐棚(醍醐寺三宝院)桂棚(桂離宮)と、霞棚(修学院離宮)で、中御茶屋客殿にある1間半の飾り棚で、大小5枚のケヤキの棚板を互いに組み合わせて吊るし、あたかも霞がたなびく様に見え「霞棚」と呼ばれる。地袋やその上に置く3角棚の小襖絵や引手にも細やかな意匠が凝らされている。
日曜日のお楽しみ「光る君へ」みなさんの「考察」を読んで、一週間首を長くして18時のBS、20時の地上波の2本立て見ましたで、やっぱり最後の次回予告にすべてが持っていかれる~今回、予告からすでに「枕草子」の「香炉峰の雪」シーンで界隈が盛り上がっていましたが、私、すっかり忘れてまして「香炉峰ってなんだっけ?」状態でありました。いかんいかんなぜか「枕草子」で違う話の「大蔵卿の耳がとても感度鋭い」、みたいな話がよみがえってきたわ・・今回は前半の雪でキャッキャするシーンと後半の疫病シーン、対比がす
…令和3(2021)年で10年ぶりに代替わりし7代目となったと云う。「神山号」は、何処の神馬か?神馬「神山号(7世)」が、上賀茂神社の「神馬奉献退任奉告祭」で披露された。7世は、「マインザムーン」の名で活躍した引退競走馬で、JRAより寄贈された。「神山号」の名は、同社の北北西に所在する、祭神・加茂別雷大神が降臨したと伝わる神山(コウヤマ)に因む。神馬の世話は京産大・馬術部が担っている。
⚫︎宇治七名園の一つの朝日茶園であった地に建てられ、淀城主永井尚政が再興した寺院はどこか。⚫︎淀城主永井尚政が再興した寺院で、宇治十二景の一つに数えられるのはどこか。⚫︎寺地が茶園「宇治七茗園」の一つの朝日園であったとされ、琴坂のカエデやヤマブキでも有名な寺院はどこか。宇治川の東岸、亀石の近くです。
…鳥の親子が鴨川に引っ越す。周辺住民が見守る中を川岸までの道中が風物詩にもなっている。引っ越すのは何の親子か?要法寺は東山三条の交差点近くにある、日蓮本宗の本山。寺伝によると、日尊(ニチゾン)上人が延慶元年に建立した法華堂に始まると云う。その後、天文5年に起きた天文法華の乱(延暦寺の衆徒らが日蓮宗徒を襲撃し、放逐した事件)を避ける為、堺に一時避難。帰洛後、再興するも天正19年には、秀吉の都市改造によって寺町二条に移され、更に宝永5年
京都のマニアックな地名ネタをまとめました。iPhoneユーザー辞書にデフォ登録の謎地名『雲母坂』はこんな場所左京区一条寺にある『雲母坂(きららざか)』。iPhone機能の一つであるユーザー辞書になぜか最初から登録されている謎ワード。京都人にとっては難読地名の代表格として知られ、実際実在する場所。源氏物語にもゆかりある古道で、日本仏教の母山・比叡山延暦寺へ続くルートの一つにも数えられます。そんな地名がなぜデフォ登録ワードに採用されているのか、謎オブ謎(笑)名称:雲母坂場所:
…本尊・毘沙門天の使いの動物が据えられているが、その動物とは?「鞍馬寺」は宝亀元年に、奈良・唐招提寺を開いた鑑真の高弟・鑑禎(ガンチョウ)が霊夢に導かれ、毘沙門天を祀った事に始まると伝える。当初は真言宗であったが、平安期以降は永く天台宗に属し、昭和22年に「鞍馬弘教」を開宗。同24年には総本山とした。本尊は、護法魔王尊・毘沙門天・千手観音が三身一体となった尊天と云う。本殿金堂の前には、毘沙門天の使いとされる1対
…石造の狛鼠が据えられている神社は?日本の神々は、高天原に住まう天津神と地上に現れた国津神に大別されるが、国津神を代表するのが「大国主命」。地上を開拓した国造りの神とされ、「因幡の白兎」の神話で知られる。『古事記』では、大国主命が素戔嗚尊のもとを訪ねて、幾つかの試練を受ける話が記されている。その試練の一つが、素戔嗚が野原に放った矢を取って来ると云うもので、大国主が試練に挑むと周囲に火をかけられて窮地に陥る。その窮地を救ったのがネ
…建立する計画があり、その構想が存在した史料が平成30年に霊山歴史館で公開されたが、その像主は誰か?霊山(リョウゼン)歴史館は、幕末維新の歴史を総合的に研究する初の博物館として、昭和45年に開館した。この時期、政治の中心であった京都には、この時代に活躍した志士・大名・天皇・公家の他、文人・画家などの遺墨や遺品、書状などが多数残されており、霊山歴史館ではこれらの各種資料・文献などを収集・調査・研究し、公開展示を行っている。平成30年に公開された
東寺に在る康勝・作の像は、空海在世時の住居・跡と伝わる西院・御影堂(ミエイドウ)に本尊として安置されている「弘法大師坐像(国宝)」である。鎌倉期・天福元年、時の東寺長者の発願により、康勝が制作した。康勝は鎌倉期の巨匠・運慶の4男。長男・湛慶が三十三間堂中尊・千手観音坐像の大仏師を務めていた時、小仏師として仕えた。弘法大師坐像はヒノキ材の寄木造。玉眼を嵌め、運慶譲りの写実的な表現が特色。鎌倉前期の肖像彫刻として第一級のもので、空海の
…御霊神社(上御霊神社)がその氏寺の鎮守社であったとも伝わる豪族は何氏か?その豪族は「出雲氏」である。丹波国桑田郡には出雲系の神を祀る神社が多く、その地の人々が進出したと考えられている。出雲郷に住んだ出雲氏一族の具体的な様子は『正倉院文書』に残る神亀3年の「愛宕(オタギ)郡出雲郷計帳」によって知られる。出雲氏によって祀られていたと思われる神が、『延喜式』神名帳に記される出雲井於(イノヘノ)神社と出雲高野神社の産土神である。その出雲高野神
今年7月に「京都・観光文化検定試験」通称「京都検定」の3級を受験しました。(その時の模様はこちら↓)『京都検定を受験してみた』「京都・観光文化検定試験」通称「京都検定」を受験してきました。私は京都生まれでもないし、京都に住んでいるわけでもないですが、神社仏閣巡りが好きなのと、マラニ…ameblo.jpこの時は、京都市内でマラニックイベントを企画開催している「やんちゃ村」のスタッフとマラニック参加メンバー有志で団体受験をして、事前に勉強会などをしてもらったおかげで合格できました
…を描いたのは誰か?『観音猿鶴図』の作者は、中国・宋末~元初の禅僧画家「牧谿(モッケイ)」。慈悲深く岩上に座す白衣観音を中幅に左幅には竹藪から出て子を探す鶴、右幅には樹上で子を抱く手長猿の三幅対である。画面の格調の高さや墨の深い諧調、鶴や猿の母性愛にじむ象徴性に富んだ名品。牧谿は浙江省の西湖湖畔の六通寺(リクツウジ)に住み、無準師範〈東福寺の開山・聖一(ショウイチ)国師〉の弟子だった頃に日本人の留学僧から慕われ、親しまれた事もあって、早
明暦2年建立の妙心寺・法堂の天井にある「雲龍図(八方睨みの龍)」を描いたのは、狩野探幽である。霊雲に囲まれた円相にいる巨龍が、渦巻く雲中から出現する姿を躍動的に描いた大作。円相の外に「探幽法眼守信筆」の款記(カンキ)があり、明暦2年、探幽55歳の時の筆に成る事が分かる。8年の歳月を費やして描かれた龍は、墨の濃淡を効果的に使い、雲中から現れるダイナミックな描写で奥行きが感じられる。探幽は江戸初期の画家で、狩野永徳の孫に当たる。徳
…『阿弥陀二十五菩薩来迎図(早来迎)』を所蔵する寺院は?浄土宗総本山「知恩院」である。浄土宗開祖・法然上人の没後間もなく、上人の行状を描いた絵巻が制作されそれらは、『法然上人絵伝』と称される。その内、知恩院に伝わるものは、先行する「法然絵伝」を集め再編集して制作された。阿弥陀如来の四十八の誓願に因み48巻(235段)からなる一人の伝記としては、最大級の高僧絵伝となっている。『阿弥陀二十五菩薩来迎図』は、屹立(キツリツ)する山岳を
ろじうさぎさんとは、京都検定の勉強会のご縁です個人的にも、ちょっと前建仁寺の帰りにふらっと和パフェを食べに寄せてもらいました築100年以上の町家宮川町にあるろじうさぎさん↑画像はお借りしましたこの画像もお借りしました朝食や、昼食は予約必須いわゆるおばんざいが食べられ…ゆっくりくつろげるお店です昨日は、そのろじうさぎさんの10周年イベントが六角kitchen109でありました六角kitchen109は、ろじうさぎの、おかみさんの従兄弟さんがやったは
…唯一現存するとされる国宝の茶室は?「待庵(タイアン)」である。天正10年、山崎に陣を敷いた羽柴(豊臣)秀吉は千利休を招き茶室を造らせたと云う。妙喜庵3世功叔和尚が利休の弟子であった縁で、同庵にそれが移築されたと云う説が伝わっている。建物は切妻・杮葺(コケラブキ)・南側に深い土間庇を付けおろす。その下にある躙り口(ニジリグチ)は、通例よりもやや大きく取ってある。壁面には下地窓と連子窓(レンジマド)を設ける。茶室の内部は2
京都近郊在住40代主婦Mです。いきなりなんですけど、京都検定の合格証があると、国際マンガミュージアムが期間限定ですが、無料で入れるんですよ去年京都検定3級に合格した後に知ったのですが、特典でいろいろな美術館、博物館、ホテルなどなどで割引があったりします。その中でイチオシが国際マンガミュージアム。普通だと入るのに大人900円かかるところがなんと無料何回かいくと京都検定の受験料ペイできるレベル(京都検定の回し者ではないです、念のため)しかも、直近の京都検定の合格者だけでなく、過去の合格
伏見下油掛町竹田街道と油掛通の交差点、伏見駿河屋の前⚫︎明治28年(1895)、日本初の路面電車として開業した京都電気鉄道の路線はどれか。伏見線⚫︎日本最初の市街電車は第四回内国勧業博覧会への旅客輸送を目的に敷設され、明治28年(1895)2月に東洞院塩小路ー伏見下油掛町間にまず伏見線が開業した。この伏見線に続き4月に開通した路線は木屋町線とどこか。鴨東線⚫︎蹴上発電所の電力を利用した電気鉄道の敷設を発案し、京都商工会議所の初代会長にもなった人物は誰か
寛文2年の『案内者』には誰の筆になると記されているか?源氏物語抄・信伊筆歌仙色紙幅寛文2年刊行の『案内者』には「大文字は三藐院(サンミャクイン)の筆画にてきり石をたてたり」と云った記述がある。三藐院は、江戸前期の廷臣・近衛信尹(ノブタダ)の出家名で、信尹は筆力の強い書に優れ、本阿弥光悦・松花堂昭乗(ショウジョウ)と共に寛永の三筆に数えられた能書家。『案内者』は、中川喜雲(キウン)の著作である。