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城陽市の任意団体について考える会城陽市の小学校、中学校、高等学校のPTA、保育園・幼稚園・学童保育所の保護者会費、子供会、自治会等の任意団体の問題を考える情報交換の場。城陽市以外の方も参加OK。入退会が自由な任意団体であるにも関わらず、役員の強制や入会の強要の問題が共通にあります。また、似たような問題があることから、様々なな意見やアドバイスを出しあって、参加者が問題解決方法やヒン…line.me文部科学省に学校やPTAの要望書提出を考える会全国のPTA問題で困っている保護者、教職員のみん
佐牙神社(さがじんじゃ)は社伝によれば、敏達天皇二年(573年)の創建と伝えられている。延長五年(927年)の延喜式神名帳に、名がみえる式内社である。また、造酒司の奉幣があったとされ、我が国の酒造りの発祥と関係があるとされている。当初は、山本の北側の大神宮に在ったものが、永享年間(1429~1414年)に現在地に移したといわれており、今も山本に御旅所がある。御祭神:佐牙弥豆男神(さがみづおのかみ)佐牙弥豆女神(さがみづめのかみ)所在地:京都府京田
大御堂観音寺(おおみどうかんのんじ)の創建年代は不詳であるが、今から1300年前に天武天皇の勅願により義淵僧正が開基され、その後、天平十六年(744年)に、聖武天皇の勅願により良弁僧正が伽藍を整備された寺であると伝えられている。そして、良弁僧正の高弟で、奈良東大寺二月堂のお水取りを始めた実忠和尚を第一世としている。法相・三論・華厳宗を兼学し、息長山普賢教法寺と称た。御本尊の国宝・十一面観世音菩薩はこの普賢教法寺の本尊で、天平時代独特の木心乾漆の技法で造られており、古記録によると天平十六年(
地祇神社(ちぎじんじゃ)の創建年代は不詳であるが、正徳元年(1711年)の「山州名跡志」には、大御堂(現・観音寺)の鎮守として、権現大明神と地主権現の二社がみえ、延喜式神名帳(927年)式内社である。明治の初めのころは、地主神社と呼ばれていた。現在の本殿は三間社の流造で覆い屋の中にあり、覆い屋の石壇には、「天文十辛丑年(1541)卯年吉日大西備前守」と刻まれたものがあるとのこと。御祭神:大国主命、大山衹命、活気長足比売命所在地:京都府京田辺市普賢寺下大門65番地鳥
朱智神社(しゅちじんじゃ)の創建年代は不詳であるが、社伝によると仁徳天皇のとき、現在地より西方の西峰山頂に創建され、宣化天皇元年(535年)にこの地に移され、天王の号を付け、朱智天王と称したとされている。地名の天王は、これによるものとみられる。御祭神は、神功皇后の祖父・迦爾米雷命(かにめいかうちのみこと)で、古代にこの地一帯に勢力のあった息長氏の祖神として祀っている式内社である。清和天皇の御代、大宝天王(牛頭天王)を現在の京都八坂神社に遷し、毎年「榊遷し」の行事を行っていたが、何時からか無くな