ブログ記事392件
行願寺別名、革堂の方が有名読み方はギョウガンジとコウドウ京都市中京区行願寺門前町にある天台宗の寺西国三十三所第19番札所。洛陽三十三所観音霊場第4番札所西国三十三所で唯一の尼寺革堂のその所以は行円は仏門に入る前は狩猟を業としていたが、ある時、山で身ごもった雌鹿を射たところ、その亡くなった雌鹿の腹から子鹿の誕生するのを見、殺生の非を悟ってここを開山して仏門に入ったという。行円はその雌鹿の皮を常に身につけていたことから、皮聖とも言われる。真言:おんばざらたらまきりくそわか
別名六道の辻愛称六道さん臨済宗京都府京都市東山区大和大路通四条下ル4丁目小松町595この寺の特殊なのはあの世と通じていると言われているところ、平安京の火葬地であった鳥部野(鳥辺野)の入口にあたり、現世と他界の境にあたると考えられる祭られている小野篁(オノノタカムラ)は、冥途の地へ自由に往来していたという京都人で一定知識のある人は知っている一時、京都にいた西村京太郎ミステリーの舞台にもなっている。(下があの世に通じているという通いの井戸)続くテキストはこちら
京言葉では、この前の戦争と言われる(アメリカとの戦争では最後京都は空爆を受けていないため)応仁の乱とは畠山氏と斯波氏の関東管領の争いに加えて将軍の跡継ぎ問題が絡んだ11年戦争で、京都人がこのまえの戦争というとこれを示す。(太平洋戦争の空爆をアメリカが避けたため)親族を将軍にしたい日野富子が暗躍した。畠山・斯波氏の名は年がたつと、山名宗全(西)と細川勝元(東)の争いになる。山名宗全が西の代表で陣を構えたところから「西陣」と命名された。(碑もある)この戦いで右京区が寂びれた。山