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坂下門外の変に散った河本杜太郎ですが、そもそも彼がどうして襲撃グループに加わることになったのかは謎という他ありません。というのも、杜太郎は過激に逸る大橋訥庵らの一派を説得するよう、同郷の本間精一郎に言い含められて関東に下ったはずなのです。生来の短気で粗暴な性格から、説得するつもりがかえって彼らに影響されてしまい、同志に加わってしまったのでしょうか。「本間先生といい君といい、越後人は腰抜けばかりだな」などと罵られ、引くに引けなくなってしまったのでしょうか。あるいは首謀者である大橋が逮捕され、
松陰神社の参道萩といえば、歴史好きには松下村塾は外せない。「萩しーまーと」から循環バスに乗って南下、15分ほどで松陰神社前へ到着した。想像していたより大きな鳥居を潜って、参道を歩いてゆくとすぐ横に松下村塾跡の建物があった。松下村塾松下村塾を横目に、まずは本殿にお参り。現在の松陰神社の本殿はかなり立派なものだったが、その前身は、松陰没後の31年
あまり見ないのですが珍しくハマったのが『仁』です。忘れられないのは、久坂玄瑞が坂本龍馬に言い残した言葉惚れてまうやろ画像お借りしましたm(__)mお読みいただきありがとうございました