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15日の生配信黒川宇宙研究所での個人的考察トーク❤️岩手の千鶴ちゃんと岩手のひたかみさんと3人でおしゃべりしまして『5月20日TOMALIVE天王寺♪”天王寺・茶臼山”』今日は学びの日私の状況を観察するたび同じ受講生の方の話をきくたび変化を感じるそしてそれを受け入れる面白くてステキな皆さまと受講という時間を共に…ameblo.jpご覧いただきありがとうございました❗️動画残ってますので、まだの方はぜひ❗️ご
『近畿の地質的景観』第1回<河内湖>古代大阪は、海岸線が平野部まで深く入り込み、上町台地が半島のように突き出し、その東に河内湾と呼ばれる内海が広がっていました。古墳時代になると、河内湾は淡水化し、潟となってやがて河内湖へと姿を変えました。淀川や大和川の度重なる氾濫により、土砂が堆積し形成された大阪平野は、変遷を重ねて出来た地形でした。●約1万~7000年前(縄文時代草期)1万9000年前から始まった「縄文海進」のピーク時(6500年前)は、大阪湾の海水が淀川沿いに京都
「四」天王寺のヒミツ豊竹咲寿太夫オフィシャルサイトclub.cotobukiこんばんは!!このブログのスタッフのシェリーです文楽の太夫の咲寿太夫さきじゅだゆうさんが、文楽の魅力を、わたしが大阪を中心にした「上方かみがた」の魅力を発信していますさて、今日のテーマは四天王寺大阪は北が梅田、南が難波。これがまず思い浮かぶ主要都市だと思うのだけれど、忘れてはいけないのが、天王寺!!梅田・難波は、いわゆる土地開発をしてできた都市で、豊臣秀吉のころ以降、とくに江戸時代に整備された街そ
『近畿の地質的景観』第2回<上町台地>上町台地は大阪平野を南北に伸びる丘陵地・台地である。縄文~室町時代の上町台地周辺は、埋め立ても少なく自然の土砂の堆積で遠浅になっていきました。江戸時代から大地の西側が、埋め立てや安治川治水、大和川すげ替えなどの土木工事が盛んになりました。・「梅田」:大阪駅界隈の大阪の顔。何故,「うめだ」と言う名前?⇒浅瀬を埋め立てたので「埋めた」→「うめだ」。・「大坂城」:大阪のど真ん中の城。何故,本願寺や大坂城がここにあったの?⇒北東西が遠浅の海や湖
大阪府北部の豊中市から大阪市内の上町台地の西端を通って、府南部の岸和田市まで続く上町断層は、東側が隆起し西側が沈下する逆断層と言われ、垂直の切り立った断層崖が阿倍野区で見ることができます。上町断層崖を訪ねようと大阪メトロ谷町線に揺られて阿部野駅にやって来ました。阿倍野駅から谷町筋を少し南に下り(* ̄- ̄)ふ~んチンチン電車を眺めながら阪神高速14号松原線を潜って(^^♪阿倍野区民センターに立ち寄り阿倍野廃寺の資料を戴いて(´・∀・`)ヘー