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昨日の記事に、本当にありがたいコメントをいただきまして♪やっぱり、虎はいたんですよ!ご近所の方から確かな証言があったんですもん(自信満々笑)で、またまた今日も古い話なんですけど…『想い出の名勝負』アントニオ猪木VS上田馬之助昭和53年(1978年)2月8日日本武道館両者の因縁に完全決着をつけるべく、リング下に五寸釘を敷き詰めて誰にも邪魔させない〝ネイルデスマッチ〟として行われたこの試合。アラカン…っても、嵐寛寿郎じゃありませんよ(いちいち話が古い苦笑)「アラウンド還暦」の男
プロレスの話題怒らないでね!突然はじめます。プロレスの話題???●●昭和の日「上田馬之助とうなぎを喰う」今日は昭和プロレスの思い出特集「上田馬之助」1藤波さんと初めての対戦凱旋帰国の4月2「男は馬之助」3馬之助とうなぎを喰った話(昭和プロレスの部屋より、トラキチマツダさん)4月も残り少なくなってしまいました。「4月」といえば、上田馬之助です!なぜ?はい。藤波さんの激闘の中でも印象に残る試合がたくさんあります。なかでも、4
きょうは年明け一発目恒例の企画をやりたいところなのですが、順番的に小ネタの回となってしまいましたので、それは次回へ飛ばしたいと思います。またまた容量いっぱいいっぱいになってしまいそうで、特別企画なんてやってる余裕はないからです。はい、本日の小ネタは2020年8月から。あのね、このコーナーは過去のXのポストを貼っていく横着記事のつもりで企画されたんですよ。なのにすっかり面倒くさいコーナーになってるんです。きっと読むほうも面倒くさいことでしょう。でもやります。まずはは当時の主な出来
(藤波名勝負特選108戦より)9月19日。猪木・藤波。レフェリー・ルーテーズ。東京体育館。。。これらの言葉だけで、ピンとくるあなた!はい、すばらしいプロレスファンでいらっしゃる!はい、そうです!あの、純粋な「新日本プロレス」ファンならではの、「涙の、猪木・藤波戦」です。リングで闘うふたりも、そして、新日本プロレスの残った選手を、応援するファンも、そう、一緒に戦う決意をしたあの日です。●藤波vs猪木「レフェリー・ルーテーズ、ついにストップ!」▼1985年(昭和6